學vol.69

二松学舎教員エッセイ(永富友香 教諭)

二松学舎教員エッセイ(永富友香 教諭)

二松学舎教員エッセイ(永富友香 教諭)

中高では演劇部、大学では大学祭実行委員会に所属。学業はそこそこに、青春のほとんどを部活や委員会活動に捧げた学校生活を送る。大学の専攻は民俗学。卒業後は大阪府の公立中学校の勤務を経て、本校で教鞭をとって8年目。

好きの理由

 「美術館に行って絵を見ることが好きです」と言うと、「社会科の先生だから歴史を感じるものが好きなんですか」と聞かれることがあります。確かに職業柄もありますが、なんだかそこに理由をつけることに、疑問をもつ自分がいます。

 私が美術館に興味を持ったのは、高校生の時、友人から上野の国立西洋美術館で開催されていた「ドレスデン国立美術館展」に誘われたのがきっかけでした。初めて国立西洋美術館に行き、初めて音声ガイドを借りて、初めて友人と絵を見ました。新しい世界に立ち入ってしまったことへの興奮と少し背伸びをしているようなこそばゆい気持ち。そんな中で、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」という作品に出会いました。この展覧会で、一番印象に残った作品です。お土産にクリアファイルとマグネットを買って帰るくらい。今考えると、なぜそんなに印象に残ったのかわかりません。展覧会で目玉の作品だったからか、人が多くて見るのに苦労したからか。のちにフェルメールという人物、彼の光を描く技法などを調べましたが、そこにも理由は見つかりませんでした。

 それから私は気になる展覧会があれば、美術館に足を運ぶようになりました。美術館を選ぶ基準は、「自分が気になったかどうか」。行った先で好きな絵を見つけては、その絵のマグネットやポストカードを記念に買うという楽しみも増えました。そうやって美術館に行くうちに、自分が好きだと思った作品の共通点を考えるようになりました。そこに理由を見つけられるような気がしたからです。ただ、私が選ぶ作品は人物画、風景画、点描画、抽象画など様々。そこにも「好き」の理由はなさそうです。でも、それでいいのかもしれないと思うようになりました。

 人は「好き」に理由を求めたがるけれど、こういった理由のない「好き」があってもいいのではないか。その時の感情で、その時の好きなものを見つける。あとから「私ってこの時、こういう作品が好きだったんだ」なんて振り返ってみる。そうやって、大人になった今でも新しい自分を見つけ、新たな一面を知ることはすごく素敵なことだと思うようになりました。だから私はこれからも美術館に行きます。その時の私が好きな作品を見つけるために。

 

二松学舎教員エッセイ(永富友香 教諭)

ロンドンのナショナルギャラリー。海外の美術館もまだまだ訪れたい!

二松学舎教員エッセイ(永富友香 教諭)

美術館めぐりで集めたマグネットやポストカード

學vol.69

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。