本学の歴史

 二松学舎は、明治10(1877)年10月10日、明治・大正を代表する漢学者三島中洲(創立者および学校名由来等は別ページ)が麹町(現在の千代田区三番町、現二松学舎大学九段1号館所在地)の自宅を漢学塾二松学舎として創立したことに始まり、爾来、漢学塾、専門学校、そして現在に続く大学、附属高等学校・中学校の三つの時代を経てきました。

【漢学塾時代】

 漢学塾創立時は、明治維新から10年国情なお騒然とし、西欧文化の摂取に汲々としている最中であり、時節を憂いた中洲先生は、東洋の文化・精神を学ぶことこそわが国本来の姿を知り得ると主張。東洋学の確立と新時代を担う国家有為の人材の育成を目指し、漢学塾を立ち上げました。建学の精神は、塾の講堂に掲げた舎則、すなわち「漢学の目的たる己を修め人を治め一世に有用なる人材を養成す。記誦詞章の一儒生となるにあらず 故に仁義道徳を以て基本と為さざるべからず、是経書の課ある所以なり」にあります。この意味は「漢学の目的は学問で自分の身を修めたうえで人を治め、社会に有用な人材になるということにあり、詩歌や文章を暗記する一学者になることではない。また学問は仁義道徳(道徳心に基づく倫理観の醸成)を体得することから始めることが重要であり、これが儒教の教えである」ということを意味しています。

 漢学塾創立後、明治13(1880)年改正教育令により、二松学舎は私立中学から各種学校となりました。同14(1881)年中学校教則大綱によって英学塾・算学塾・漢学塾に分けられ、漢学塾の位置づけとなります。同19(1886)年中学校令施行により中学校に学生が集中し、漢学塾は入学者が激減。二松学舎も経営難に陥ります。同20(1887)年7月漢学塾二松学舎に国語科を併置します。その後、同27(1894)年日清戦争(~1895年)勃発の頃から、東洋学(欧州の東洋学、オリエント学)が興隆。同30年代には、文部省において中等教育から漢文を削減・廃止の動きがおこるなどの影響で、ますます入学者が減少します。そうした時代背景の中、同36(1903)年には、学校法人二松学舎の前身である財団法人二松義会(入江為守会長)を設立。漢学の必要性と「東洋固有の道徳文学の維持・拡張」を世の中に主張していきます。

 明治42(1909)年財団法人二松義会の設立が文部省から認可、私立漢学塾二松学舎を設置、寄付行為を定め、会長他4名で構成する理事会、創立者子孫、塾卒業生、教授等25名の評議員会を設置し、運営を始めました。大正6(1917)年、三島中洲から経営難の漢学塾の運営を託された渋沢栄一が二松義会理事に、同8(1919)年には舎長に就任しました。この間、明治末期から興された漢学の必要性の世論の流れは、結果として同10(1921)年帝国議会における「漢学振興ニ関スル建議案」の可決へとつながり、同12年にはこの建議を受け大東文化協会も設立されました。(現在の大東文化大学の前身である大東文化学院が九段に設立されています。)

【二松学舎専門学校時代】

 昭和3(1928)年、国語科教員養成の二松学舎専門学校を設立。山田準が初代校長に就任しました。専門学校設立趣意書には、「近年、忠孝仁義の大道を陋見(ろうけん※狭い見かた)し、軽佻詭激の風漸く瀰漫せんとするに至る。本舎は茲に従来の目的を弘布且つ徹底せしむるには、専門学校を設置し、国語科を併置して国体及国民道徳の真義を研修体得せしめ、国語漢文に通ずる多数の堅実なる中等教員を養成して、之を各地の中等教育に従事せしめ、以て人心の匡救正道(きゅうきゅうせいどう、正しい方向へ導く)の宣揚を勉めんとするものなり」と書かれていました。また、同6(1931)年には専門学校の卒業生の会である松苓会が創設。その後、同20(1945)年専門学校校舎は戦災により全焼しますが、代々木教会を借りて学校を再開します。同21(1946)年専門学校は四年制に移行し、翌年漢学塾二松学舎は廃止となりました。

【大学/附属高等学校/附属柏中学・高等学校】

 戦後昭和23(1948)年二松学舎高等学校(現在の附属高等学校)を設置し、翌24(1949)年専門学校は二松学舎大学に移行、文学部国文学科(定員70名)、中国文学科(同30名)でスタートします。その後、同26(1951)年に私立学校法が施行されたことに伴い、財団法人二松学舎は、学校法人二松学舎に名称を変更しました。同33(1958)年千代田区三番町六番地15に2階建校舎1棟を新築。同38(1963)年吉田茂を学校法人二松学舎舎長に推戴します。同41(1966)年には大学院文学研究科修士課程国文学・中国学専攻、博士課程中国学専攻を開設しました。

 昭和44(1969)年には附属沼南高等学校を設置。附属高等学校と附属沼南高等学校に「論語」を特設科目に置き、全学年に必修とするなど建学の精神に沿った教育を両附属高校において実践することとしました。昭和57(1982)年に大学沼南校舎(現柏キャンパス)を開校。文学部の定員増(200名→400名)が認可されました。また平成3(1991)年には国際政治経済学部を開設。同13(2001)年には、大学院国際政治経済学研究科(修士課程)を設置しました。

 大学はこの間「国漢の二松学舎」として、一貫して東洋の精神文化を基盤とした人間教育の実践、とりわけ国語や書道、中国語の各教科を担当する中等教育の教員養成に努めながら、創立以来伝統と実績のある国文学・中国文学における教育研究活動分野で成果を挙げてきました。平成9(1997)年には、大学基準協会維持会員校に加盟(現在に至る)。同16(2004)年、日本漢文学研究の分野で、世界トップクラスの研究教育拠点の形成を重点的に支援する文部科学省の「21世紀COEプログラム」に採択されました(「日本漢学研究の世界的拠点の構築」)。また同年には、九段キャンパスのシンボルとなる九段1・2号館が竣工します。同21(2009)年、大学のキャンパスをそれまでの柏・九段の2キャンパス体制から、九段に集約することを計画。それに伴い建設を進めた九段3号館も同年に完成しました。

 平成23(2011)年4月には新たに附属柏中学校を設置し、附属沼南高等学校を附属柏高等学校に改称。附属柏中学・高等学校として中高一貫教育の実現を図りました。また同年、附属柏中学・高等学校の新体育館が竣工しました。

 平成24(2012)年10月、二松学舎は創立135周年を迎え、二松学舎長期ビジョン「N’2020Plan」を策定・公表。主に大学と両附属高等学校及び中学校の教育の質的改善や教育環境整備を主軸に推し進め、これに基づく行動計画である「アクションプラン」を同25(2013)年度より計画し実行しました。具体的には「スチューデントファースト」を掲げ、教育の質的な改善やキャリア教育の充実、奨学金の拡充、グローバル面では海外留学提携校数の引き上げなど学生支援を中心に改革を推進。また両附属高等学校・中学校では「論語」を基礎とした人格教育実施のほか、海外研修等国際化の進展を図り、附属柏中学・高等学校では東京大学に2名現役合格等超難関大学への進学実績が格段に上昇するなど、それぞれ新たな教育改革計画を進めました。同26(2014)年には、九段4号館が竣工、また同年に実施した九段1・2号館の大幅リニューアルにより教員個人研究室やラーニングコモンズ等を設置しました。同28(2016)年には附属高等学校野球部合宿所を全面改築。また漢学塾時代の卒業生夏目漱石に因み、大阪大学大学院基礎工学研究科石黒浩教授と漱石の孫である夏目房之介氏の協力を仰ぎ、漱石アンドロイドの制作を行い、二松学舎ブランドの浸透を図りました。その後18歳人口の更なる急減やAI、IoTなど第4次産業革命による経済・社会環境の大幅な変化予想、東京23区内所在大学増員規制等経営環境の悪化を背景として、同29(2017)年の創立140周年時には、学修(習)者本位の教育の実現を目標に「21世紀型教育体制の構築」を目指す「N’2030Plan」を策定・公表しました。同年、文学部都市文化デザイン学科開設、海外大学協定校も学術交流協定校を加えると40大学を超える数となりました。さらには大学1学年の入学定員が80名(600→680名)引き上げられたほか、九段5号館を取得し、国際交流センターの移設や個人研究室等の設置を行いました。同30(2018)年国際政治経済学部に国際経営学科を開設。また、法政大学や大妻女子大学等千代田区内近接大学コンソーシアムが結成され、現在も定期的にシンポジウムを開催するなど活動を行っています。令和2(2020)年には法人・大学のガバナンス・コードを策定・公表、同3(2021)年には、新型コロナウイルスパンデミック禍のもと、学生や生徒に対し最大限の防疫対策を講じ、オンライン授業を展開。大学学生に1人1台PCを配布、Wi-Fi環境整備等ICT教育環境の一層の充実・強化を進めました。両附属高等学校・中学校においても、モバイルノート(タブレット)を配布し、対面・オンラインの授業を行っています。同4(2022)年には、二松学舎創立145周年を迎え、大学に文学部歴史文化学科、大学院に国際日本学研究科(修士課程)を開設しました。また、両学部共通の初年次教育に数理データサイエンスを含む新カリキュラム導入。さらに大学では、文学部都市文化デザイン学科の編入学定員30名を設け、収容定員は、学部・大学院あわせて2,514名から2,934名と、420名の増員となりました。今後の方針としては、大学教学事務のDX(デジタルトランスフォーメーション)化の推進と教育の質確保のための各種施策の展開を決定しています。

 そのほか、「N’2030Plan」の開始後約5年間の実績としては、教育の質のレベルアップ、キャリア教育体制の整備、奨学金制度の拡充、学生・生徒一人一人にPCやタブレットの配付、無線LANネットワークの充実・強化等ICT教育環境整備に加え、高大接続による親大学への進学者の引き上げ等着実に成果を上げています。また、附属高等学校・中学校における進学実績の向上は、附属柏中学・高等学校は千葉県東葛地域のブランド校としての地位を着実に固めてきましたが、附属高等学校にあっては改革道半ばであり、さらに前進させる必要があります。

 また、法人所管事項である財務基盤は、この5年間も引き続き安定した基盤を維持。R&I社の発行体格付けは「A-(安定的)」、私学事業団経営判断指標、「A」ランク(A1~A3)を維持しています。次に人材育成面では「学校法人二松学舎SDに関する規程」の制定等階層別・職務別の研修体制を構築。教員・職員の資質向上促進のための全学的な体系を整備しています。次に、「二松ブランド」引き上げのための戦略的広報体制を整備し、入試・キャリア関連広報の一元化などを目標に、着実に各種施策を実施しています。

 ガバナンスの充実については、令和3(2021)年末に「学校法人二松学舎 二松学舎大学ガバナンス・コード」を公表。認証評価機構の定期的受審、R&I等民間格付け会社の診断等透明性の高い組織運営を維持していく予定です。
 学校法人二松学舎では、今後も学修(習)者本位の教育体制の構築のため、教学事務のDX化を進めながら、教育の質の向上を図って行く計画です。両附属高等学校及び中学校においても探究型・体験型授業の展開を通じて幅広い視野を養い、倫理観を持った人材の育成に励んでいく方針です。