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二松学舎の由来

二松学舎(にしょうがくしゃ)の「二松」とは、読んで字のごとく二本の松のことです。「二本の松」とは「学問をする場所」の象徴で、中国は唐の時代の名文家・韓愈(かんゆ)の「二本の松を向かいあわせに植えて、日々その松の樹の下で書物を読んだ」(「藍田県丞庁壁記」)という故事によります。これは、漢学を学ぶ者にはよく知られており、本学の創立者三島中洲も自作の漢文「二松學舍對」にこの故事を引き、「余が庭にも二松あり(中略)学舎に命じて二松と曰ふ」とその名の由来を記しています。 二本の松は、九段キャンパス中庭に植えられ、今もなお、三島中洲の精神と共に受け継がれています。

二松学舎で学んだ、先人たちの言葉

犬養毅

話せば、わかる話せば、わかる0

欧米の先進的な政治思想を採り入れ、「憲政の神様」と呼ばれた犬養毅。
五・一五事件で襲われた犬養が、暗殺者に対し『話せば、わかる』と語りかけたエピソードは有名です。
自らの命を落とす直前まで、立場を異にする相手の意見に耳を傾け、話し合おうとした犬養。その姿勢は、“傾聴”と“議論”を重んじる二松学舎大学の学びの中に今も根付いています。

犬養毅 五・一五事件にて/1932年
平塚雷鳥

元始、女性は実に太陽であった元始、女性は実に太陽であった

女性解放運動家で、「青踏社」を創設したことで知られる平塚雷鳥。彼女もまた、二松学舎の学生のひとりでした。
女性は決して、他者の力を借りて弱く光る月のような存在ではない。自らの力で光輝く「太陽」なのだ ――。
読む人の心を揺さぶる、その圧倒的な文章力の根底には、二松学舎で培った漢詩や文学のたしなみと、政治や人権問題への深い造詣があったと考えられます。

平塚雷鳥 『青踏 第一巻第一号』青踏社/1911年
夏目漱石

私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています

明治時代を代表する文豪、夏目漱石。14歳で、当時漢学塾であった二松学舎へ入塾しました。
この学び舎で「史記」や「論語」に触れ、東洋文学の人生観や儒教的倫理観、優れた表現技法を学んだ漱石。後世に遺した名作の数々にも、その神髄を垣間見ることができます。

夏目漱石 『こゝろ』岩波書店/1914年