▲ 令和5年に青森県六戸町から東京都江東区に移築された旧渋沢邸。中央にある2階建ての「表座敷」は明治11年に竣工。左側の洋館は昭和5年に増築された。渋沢栄一と子、孫、曽孫が4代にわたり暮らした。江東区指定有形文化財
「近代日本経済の父」として知られ、本学第三代舎長でもある渋沢栄一の肖像が、新紙幣の1万円札に採用されました。これを記念し、渋沢とゆかりの深い企業を学生が訪ねる特別企画。今回は、清水建設株式会社を国際政治経済学部4年次生の2人が訪問しました。渋沢が同社の相談役に就任したいきさつから、旧渋沢邸の移築事業を手掛けた背景などについて、副社長執行役員の大西正修さんに教えていただきました。
清水建設株式会社 副社長執行役員大西正修さん
渋沢栄一が相談役をおよそ30年務めた
本川 早速ではございますが、御社と渋沢栄一先生の関係について教えてください。
大西 当社が設計施工を手掛けた「第一国立銀行」(明治5年竣工)の出来栄えを、総監役(のちに頭取)の渋沢翁が高く評してくださったことがはじまりでした。二代目店主の二代清水喜助に渋沢邸の設計施工を任せていただき、明治11年に「表座敷」が竣工しました。関係性がより深くなったのは、明治20年以降です。三代目店主の清水満之助が34歳の若さで急逝し、長男の喜三郎が四代目になりましたが、まだ8歳だったため、三代満之助の遺言にもとづいて渋沢翁に相談役への就任を懇願しました。渋沢翁は快く引き受けてくださり、以来約30年にわたって経営指導していただきました。
本川 渋沢先生からはどのような教えがあったのでしょうか?
大西 お客様を大事にしなさいということは、何度もおっしゃっていたそうです。数字だけではなく、人のつながりを大切にする。まさに『論語と算盤』の教えですね。当社には、創業以来「出入りの大工」という企業文化があり、建物が完成したあともお客様と末永くお付き合いしてきました。渋沢翁の教えはこれと合致し、脈々と受け継がれています。
榎本 『論語と算盤』の大切さを、社員の皆様にどのように浸透させているのですか?
大西 令和元年に『論語と算盤』を社是にしました。社員に配付する小冊子「シミズマインド-論語と算盤-編」(左写真)には、渋沢翁が相談役として語った訓辞や、『論語と算盤』を現代語訳したものの一部を掲載させていただいています。この小冊子を使った社内研修も行いました。ほかにも、歴代社長が渋沢翁について語った言葉や、役員による『論語と算盤』の実践講話をイントラネットで社内公表しています。また、皆さんの先輩である安岡定子先生に論語を解説いただいた記事もイントラネットに掲載しています。
国際政治経済学部
国際経営学科4年次生榎本安純さん
「論語と算盤」を社是にし、社内全体で共有する取り組みを行っていることや、旧渋沢邸を、未来を創るために歴史を学ぶ施設に位置づけていることなどから、清水建設様の渋沢栄一先生に対する強い思いを知ることができました。「温故創新」という同社の考えを広く伝えていきたいというビジョンも伺えて、とても勉強になりました。
国際政治経済学部
国際政治経済学科4年次生本川祐太さん
旧渋沢邸を実際に拝見しながら移築の際にご苦労された点などを伺い、古き良きものを残すための努力とそれを可能にした技術力の高さに驚きました。大西副社長がお話の中であげられた『論語』の章句「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」※ がとても印象に残っています。何事も、楽しむことを忘れない気持ちを大切にしていきたいと思います。
※【書き下し文】之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
旧渋沢邸を青森から東京へ
榎本 さまざまな方法で、渋沢先生の教えに触れることができるのですね。旧渋沢邸の移築事業を手掛けられたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか。
大西 この旧渋沢邸は、明治11年に東京府深川福住町(現・江東区永代)に当社が建てた渋沢翁の邸宅がもとになっています。二度の移築や数度の増改築を経て平成3年以降は青森県六戸町にありました。ただ、木造建築は十分に手入れをしていないと傷んでいきます。私たちは、旧渋沢邸の建物を何とか保存したいと考え、所有者や管理者と話し合った結果、「それほど大切にしていただけるなら」と譲り受けることができました。旧渋沢邸は関東大震災や戦災を免れて現代に残っています。東京に移築するにあたっては広大な用地が見つかるかどうかが課題となっていましたが、うまく巡り合えました。いくつもの奇跡が重なって今ここに旧渋沢邸があるのです。
榎本 移築にあたって、大変なことはございましたか?
大西 一度解体した部材約2万点すべてにナンバリングをして慎重に管理し、正確に再築しました。破損・劣化した部材も修繕し、できる限り活かしています。また、現在の立地に旧渋沢邸をそのまま移築するため、部材一つひとつを江東区の有形文化財として指定してもらい、再築後に建築物として指定変更しました。100年後もずっと残していくことを私たちは考えています。
本川 今も昔も確かな建築技術のある御社だからこそ、旧渋沢邸を残すことができるのですね。今後の活用について教えてください。
大西 早ければ令和7年度にも一般公開する見通しです。ここは「温故創新の森 NOVARE」という当社の人財育成とイノベーションの拠点で、歴史資料館や技術継承を行うアカデミーなども敷地内にあります。私たちが培ってきた建設の歴史を知っていただき、未来の技術について議論していただきたいですね。ぜひ友達を連れていらしてください。
※2024年12月(発行月)時点