原子や分子、光子などミクロな世界のふるまいを解き明かす理論「量子力学」。その誕生から100年にあたる2025年を、ユネスコは「国際量子科学技術年」と定めました。近年は、量子力学を応用した量子コンピュータの実用化も大きな注目を集めています。
今回は、量子力学を専門とする大関真之教授(東北大学大学院)と、万葉集を研究する本学の塩沢一平教授という、対照的とも思える領域のお二人にお話を伺いました。最新の科学技術と人文学研究の間に潜む意外な共通点、科学の視点から見た人文学の可能性など、多角的な視点が交差する対談です。
「0」でもあり「1」でもある。
量子力学がもたらしたもの
塩沢 2025年は、量子力学が生まれて100年という節目の年でしたが、そもそも量子力学とはどのような理論なのでしょうか?
大関 一言でいえば、人類の常識を根本から覆すような理論です。今でもそうかもしれませんが、当時の世界では「物の動きは必ず決まっている」と誰もが信じていました。例えば、川に放った葉っぱは流れにそって進むとか、ボールを投げれば決まった軌道を描くといったように、物の動きには決まった法則があると考えられていたのです。
ところが、原子や分子といった極めて小さな量子の世界では、従来の常識が通用しないことがわかってきました。この世界では、物の動きは一つに決まっておらず、何が起こるのかを示す「確率」までが決まっている。天気予報のように、この場所にある確率は30%、別の場所にある確率は40%という具合に、確率的に予測するしかないのです。
それから、量子の世界では「離れている物同士が影響し合う」という独特の現象も起きます。今、私たちの目に見える物は、手で押したら動きますよね。これは手の力が局所的に影響を与えているわけで、離れていたら何も起こりません。それに対して、量子の世界では離れている物同士が影響することがあります。
こうした現象を説明する理論を「量子力学」と呼ぶようになったのが約100年前のことです。その後、量子の性質を利用した技術が次々と生まれました。その一つが、量子コンピュータです。
塩沢 通常のコンピュータは「0」か「1」を一つずつ処理しますが、量子コンピュータは両方が重なった状態を扱うそうですね。
大関 そうなんです。量子コンピュータの基本単位「量子ビット」は0でもあり1でもある“重ね合わせの状態〟で処理します。時計の針が動く途中のように「0なのか1なのか、どちらの可能性もある」状態です。ただ、そのまま結果として出るわけではなく、測定した瞬間に0か1かどちらかに決まります。こうした特性によって、より複雑な計算をすることができるのです。
塩沢 近年、人文学の領域にデジタル技術を応用する「デジタル・ヒューマニティーズ」が注目されています。量子の技術を人文学研究に活かすとしたら、どんなことが考えられますか?
大関 量子コンピュータのシミュレーション技術を活用すれば、人文学がどのように進化して今の文化構造になったかが見えてくるかもしれませんね。何かの文学作品について、人々がどう理解したのか傾向を解析する時に、「0」か「1」だけではなく、ちょっと「0に近い1」や「1に近い0」のような曖昧な部分まで考慮して解析できると思います。
あるいは、作者の周辺状況が与えた影響を取り込むこともできるかもしれません。誰もが知っているような文学作品も、もしかすると“作者が妻とケンカをしてネガティブな感情を抱えていた”など外的な要素が影響している可能性があります。そこまで含めて分析するような構えで研究をすることができて、面白いかもしれません。

文部科学省ウェブサイトをもとに作成
量子とは 物質や光を形づくる最小レベルの単位。原子を構成する電子や陽子、光を粒として扱ったときに現れる光子、クォークなどの素粒子が含まれる。量子の領域はナノメートル以下のスケールで、人間の周りの物質とは異なる特有のふるまいを示す。そのふるまいを説明する理論が「量子力学」である。
コンピュータは「加速器」に過ぎない
塩沢 私たち教員は、「この作品の主題は?」など、答えを一つに集約させてきたかもしれません。作品として表出したものだけを見れば一定の答えが出たとしても、実際にはもっと多様な要素が絡み合って一つの作品になっている。そこを汲み取って教える時代になってきているのかなと感じました。作者が弟子や友人とどんな交流をしていたかなども、作品からわかってくるのではないでしょうか。
大関 できる気がしますよ。その時代の出来事や風土に関わる資料を網羅的に量子コンピュータに学習させて、当時の人たちがどんな会話をしていたかシミュレーションすることも今の技術で実現できます。その交流の中で生まれた文化を解析したり、新たな文学作品を作ってみたりもできるかもしれません。
あるいは歴史の検証にも使えると思います。例えば、関ヶ原の戦いに関するありとあらゆるデータを学習させて、歴史学で言われてきたことと合致しているかをシミュレーションする。もしも史実と違っていたら、パラメータを変えてもう一度試してみるなど、いろいろな仮説検証ができると思います。
塩沢 二松学舎では夏目漱石のアンドロイドを制作して、本物に近い姿を現代に甦らせました。中身までは甦っていませんが、量子コンピュータを用いれば、漱石アンドロイドが現代について語ることもできるのではないでしょうか。
大関 二松学舎大学には夏目漱石の資料の蓄積があるので、もしかしたらできるのかもしれません。
ただ、そうした応用をするには人間が「こういう仮説があるよ」と仕込んであげる必要があります。量子コンピュータを含め、コンピュータは万能の装置ではなく「加速器」でしかないと私は考えています。
塩沢 加速器とはどういうことでしょう?
大関 例えばエクセルで計算をするにしても、生成AIで絵や音楽を作るにしても、それを叶えたい“思い”を持っているのは人間ですよね。コンピュータは、人間の思いをより速く実現させるための加速器に過ぎないのです。今後、その加速器をうまく使いこなすことが求められる時代になり、人文学を研究してきた人たちの出番が来ると思います。人文学ブームが起こるのではないでしょうか。

しおざわ・いっぺい 1961年神奈川県生まれ。1984年成城大学文芸学部国文学科卒業、2010年東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門分野は古代和歌・歌謡論から現代J-POPで、特に三浦大知のファン文化研究に取り組んでいる。ほかに高等教育(大学マーケティング・大学改革)も研究。著書に『大伴家持 都と越中でひらく歌学』(花鳥社)など。
デジタル化による一様性に
ブレーキをかけるのは人間
塩沢 人文学の意義や役割について、大関先生の見解を聞かせていただけますか。
大関 これからますます重要になると思っています。
デジタル技術は効率化が進み、誰もが同じ結果を高速で得られる方向へ向かっています。コンピュータが生み出す成果物は、どうしても一様化しやすく、人間的な揺らぎや曖昧さは排除されていくでしょう。さらに、人間の限界をはるかに超えた処理能力を持ち、人間がコンピュータに使われるような時代も来るかもしれません。
そのような未来において、「ちょっと待って、これはわからない」「本当にそれで良いのだろうか」とブレーキをかけられるのは、やはり人間です。私は、人間が生きる意義の一つは「エントロピー」、つまり均一ではない多様性や揺らぎを世界にもたらすことにあると考えています。その複雑な揺らぎや多様性に価値を見いだし、追究する学問こそが人文学です。デジタル化が進んで世界が一様性へ傾くほど、人文学が持つ「最後のブレーキ」としての役割は大きくなるのではないでしょうか。
塩沢 人文学は今でも魅力があるわけですが、未来においても価値があるのですね。
大関 私はそう思います。そう遠くない将来、「理系の研究はもういいよ」という時代が来るかもしれません。すでに数学の世界では、人間が何十年も解けなかった定理をコンピュータが証明できるようになりつつあります。今後も計算能力が飛躍的に向上すれば、理数系の領域の多くは機械に任せられるようになり、人間が担うべき役割は減っていくでしょう。
そうなった時、人間は何に目を向けるのか。おそらく心や感情といった領域ではないかと思います。古典を読んで何百年も昔の人に共感できるのはなぜか。文学が心を揺さぶるのはなぜか。こうした問いは、デジタル技術が進歩しても簡単には解き明かせません。結局のところ、一番わからない存在は人間自身なのだと思います。その「わからなさ」と向き合う人文学は、これからの時代における究極のフロンティアとなるでしょう。
塩沢 時代の移り変わりは、学問体系にも影響を与え得るのですね。
最近は、文系・理系の壁を越えた学際的なカリキュラムを導入する大学が増えています。文理融合教育についてはどのようにお考えですか?
目先の不安や効率性だけに、
とらわれないために
大関 実は私、一番好きなのは歴史学なんですよ。東京工業大学(現・東京科学大学)の1年生だった時、教養科目で歴史学の授業がありました。文献や資料を読み込み、比較して仮説を立てて推論し、検証する。そうしたプロセスは、理系の研究とほとんど変わらないことに気づきました。ベースに数式があるかどうかというスキルセットの違いなんですよね。文系・理系という区分け自体、もともとは後から便宜的に作られたものでしょう。
ですから、文系の学生に理系的だと思われているスキルセットを身につける機会を、大学1・2年生の段階で設けると大きく変わるはずです。逆に理系の学生も、文系で行われている研究の方法論を学ぶことは必要だと思います。お互いの方法論を共有することで、「今までとは違う手法のほうが研究しやすい」という気づきが生まれることもあるでしょう。
塩沢 大学教育の場でも、文理横断型の教育は今後ますます必要になってきます。
大関 ただ、学生は常に就職のことを意識していますから、「就職に有利だよ」と言わない限り、なかなか乗ってきてくれません。
最近、私の研究室では就職活動を始めた学生に「どのくらいの年収が欲しい?」と聞くんです。すると多くは「1千万円くらい」と答える。少し考える学生は「今は物価が上がっているので2千万円」と言います。そこで「じゃあ2千万円を稼ぐには、どんな業種やキャリアプランが必要か考えてみよう」と促すんですね。その次に「希望通りの年収を得て、貯蓄ができたら何に使いたい?」と聞くと、みんな決まって老後の備えや、病気・けがへの不安を挙げます。その不安を解消するためにはどのくらい貯金が必要かも計算させて「それでも余裕があったら何をする?」と尋ねます。すると、ほとんど何も出てこないんです。「あなたは何をしている時が一番楽しいの?」と聞くと、多くが「ゲームをしている時」と。
もちろんゲームを否定するわけではありませんが、人間の欲ってそんなものなのか? とさみしくなりますよね。手塚治虫や藤子・F・不二雄のような大きなビジョンでなくてもいい。もっと素朴なSFでもいいから、「こんな未来になったらいいよね」という希望は思い描けないものかと考えてしまいます。未来を想像する力が全体的に弱くなっている気がするんですよね。
だからこそ、古典も含め、いろいろな国や文化に触れて刺激を受ける必要があると思います。そして、そのインプットの題材は文系科目に多いんですよ。
塩沢 そういう意味では、私が専門とする万葉集は、日本最古の歌集として知られていますが、天皇・官僚・防人まで、実に幅広い層の心情が詠まれています。昔の人たちの営みを見つめることで、未来をどう生きるかを、ぜひ考えてほしいですね。
大関 人間が生み出してきた文化的な営みを総動員して、未来を想像しなければならない時代になったと思います。人は何に喜びを感じ、何を大切にし、何を守ろうとするのか。そうした人間の本質と向き合うことで、目先の不安や効率だけにとらわれた近視眼的な発想を引き剝がすことができる。そのために必要なのが、人文学的な思考なのだと思います。

おおぜき・まさゆき 1982年東京都生まれ。2004年東京工業大学理学部物理学科卒業。2008年同大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。博士(理学)。同大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教などを経て現職。専門分野は統計力学、量子力学、機械学習。著書に『量子コンピュータが変える未来』(共著、オーム社)など。
私達がなぜ「聖地巡礼」をするのかという問いと、古代の人もなぜ旅をし、地名を歌に詠むのかをデジタル技術で横断的に研究し理解する──これをデジタル・ヒューマニティーズ(DH)といいます。
みなさんは、「聖地巡礼」と聞くと、アニメやマンガの舞台となった場所やアーティストゆかりの地を訪れることを想像するかもしれません。例えば『けいおん!』の滋賀県豊郷町、歌手LiSAの故郷岐阜県関市、『スラムダンク』の神奈川県鎌倉高校前など。『ラブライブ!』の聖地は東京都千代田区です。
実は1300年前の『万葉集』の日本にも「聖地巡礼」や、親しみを持った土地を訪れたり、訪れたりしたこともない有名な土地を歌に詠む世界がありました。「吉野」離宮は持統天皇の夫・天武天皇ゆかりの地で、持統在位8年の間になんと31回も中に通っています。『けいおん!』の聖地から15キロほどしか離れていない「蒲生野」では、万葉ファンが大好きな
あかねさす 紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
という歌も歌われました。
現代の「聖地巡礼」は「作品に没入した人が、作品の感動を再度味わうため」ともいわれています。そして、聖地で「懐かしさや既視感」を味わうという研究もあります。これにSNS発信からその意味を分析することも可能です。一方、持統天皇の吉野への旅は、聖地を繰り返し訪れることによって聖なる力をもらい受けるという、政治的・宗教的な捉え方が一般的です。
こうした現代「聖地巡礼」の研究蓄積とデジタルな分析からの成果を古代万葉に適応して、その意味を情動から再検討することも可能でしょうし、その逆の方法も考えられます。また、世界の古代・現代の「聖地巡礼」の文献をも横断的に利用し、これを世界的な視点で理解できる可能性もあります。
また、VR技術により、万葉時代の土地を再現し類似体験することで、その意味を理解したり、脳波を測定することによって、脳科学的に「聖地巡礼」の意味を理解することもできると考えられます。
私達は、学部・学科、文・理を越えた無限の成果を身につけることができる時代を迎えています。そのためにAI教養とDHを実践的に理解していきたいと思います。
デジタル・ヒューマニティーズ
取り組み事例
【国文学研究資料館との事業推進】
二松学舎大学は、2020年に締結した大学共同利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館との覚書に端を発した協定や交流活動に基づき、同資料館とともに典籍データベースの構築事業を推進しています。特に、国内外の多くの機関等及び同資料館が所蔵する古典籍(江戸時代以前の書籍)等資料の書誌情報と、その一部の高精細画像を一度に検索・利用できる「国書データベース」においては、本学から和書や漢籍の史資料を数多く提供してきました。(現在も継続中)
同データベースの大きな特色は、各書誌情報が著作典拠(作品としての情報)によってまとめられ、同じ作品のバリエーションである個別資料を容易に比較できることです。また、検索方法も、著作検索や著者検索のほか、画像に付けられたタグ検索、全文テキスト検索等多彩です。画像情報の公開では、画像が見やすく感覚的に操作できるビューワとして、IIIF*ビューワであるMirador3が採用されており、世界中の他のデジタルアーカイブの画像と簡単に連携することができます。加えて、画像がある書誌にはDOI(デジタルオブジェクト識別子)が付与。永続的なアクセスが保証されています。これらは無料で公開されているため、誰でも利用可能です。
デジタル技術との融合によって広がる人文学研究。本学の持つ豊富で貴重な資料や研究の蓄積が、日本だけでなく世界におけるさまざまな文学研究等に役立っています。
*IIIF(International Image Interoperability Framework:トリプルアイエフ)とは国際的な画像相互運用のための枠組み

写真提供:国文学研究資料館








