學vol.63

理事長対談「水戸英則×夏目房之介」

理事長対談

本学創立140周年記念として、2016年に始動した「漱石アンドロイドプロジェクト」。夏目漱石の実の孫である夏目房之介先生には、プロジェクト顧問として、多大なご協力をいただいています。今回は、マンガ評論家として活躍する房之介先生と改めて漱石について語り合うと同時に、これからの日本の教育について意見を交わしました。

水戸 漱石アンドロイドプロジェクトにご協力をいただき大変感謝しております。改めてプロジェクトのご感想をお聞かせいただけますか。

夏目 この話を聞いて、一も二もなくお受けしたんです。僕は「マツコロイド」※の大ファンで、あんな風に漱石アンドロイドが色んな人とコミュニケーションをとったらどんな展開になるんだろう? とわくわくしました。新型コロナの流行が落ち着いたら、落語や対談をさせてみてはいかがでしょうか?

水戸 興味深いご提案をありがとうございます。少し似た取り組みとしては、平田オリザ先生の作・演出の演劇「手紙」に漱石アンドロイドが出演したことがありました。

夏目 あれは面白かったですね。ただ、対談となると動作の再現が難しいかもしれません。残っている漱石の写真を見ると、弟子に語りかける時は前かがみで机にもたれかかるような姿勢のことが多いんです。

水戸 なかなか知ることのできない漱石の素顔ですね。談話『落第』には、漱石の中学、大学予備門(今の高等学校)時代の交友や、英文学を学び始めた様子のほか、漢学塾時代に在籍していた二松学舎についての描写もあります。房之介先生はこの作品をどう読まれていますか?

夏目 漱石が自分に設定したハードルはずいぶん高いんだな、と感じました。作中で自らを「怠け者」と書いていますが、今僕達が想像するような怠け者とはレベルが違います。当時の学生は圧倒的な知識層でした。大変な勉強家の中にいたが故に、漱石は自分から一年留年を選んで学び直しました。これは相当な努力だったと思います。

水戸 今の学生は知識欲が少なく、勉強に対して貪欲になる必要がありますね。ところでなぜ、漱石がそうできたと思われますか?

夏目 漱石が生まれた翌年に明治が始まり、彼は国家の創設とともに育ちました。おそらく、自分も国家の一部を担っているという意識が強かったのではないでしょうか。大きな重圧や責任を感じて、もともと漢学が好きだったのに、英文学を学んだのだろうと思います。

水戸 漱石は幼い頃から漢学に親しみ、自作の漢詩も多く残しています。房之介先生は、漢学についてどのようなお考えでしょうか。

日本の教育は「一律、横並び」を脱し、学生・生徒自らが力を育む探究型教育の展開が課題です。——水戸英則

みと・ひでのり●1969年九州大学経済学部卒業。日本銀行入行、フランス政府留学、青森支店長、参事考査役などを歴任。2004年、二松学舎に入り、11年理事長に就任。文部科学省学校法人運営調査委員、日本私立大学協会常務理事、日本高等教育評価機構理事などを務める。

夏目 正直なところ、高校時代の漢文の授業はひたすら眠かったですね(笑)。ただ、唐の時代に李白が書いた漢詩の中の「煙花三月 揚州に下る」という漢文だけは鮮明に覚えています。この漢字の並びから、風景がブワーっと目に浮かぶようで。大学時代には、集中的に『史記列伝』を学んだ時期もありました。そして数十年をへて50代で書を習った時、改めて李白のこの漢詩を読むとやっぱりすごい。何千年という中国の歴史の中で、最高峰の漢詩ではないかと感じています。

水戸 ずっと漢詩とつながりがあったのですね。一方で、房之介先生はマンガ評論の第一人者でもあります。どのような経緯で、マンガ評論を始められたのでしょうか? 本学は今年、大学院に国際日本学研究科を新設しました。日本のマンガやアニメなどのポップカルチャーを研究し、世界に発信できる人材の育成を目指しています。

夏目 僕より先のマンガ評論家もいますが、難しい内容が多かったんですよね。僕は漫画家でしたから、面白おかしく絵解きをしながら評論していました。例えば「『ゴルゴ13』の骨格はどうなっているのか?」というテーマでマンガを模写しながら評論して、この世界の裾野を広げたとは思っています。それから、89年に手塚治虫さんが亡くなり、あまりの衝撃から『手塚治虫はどこにいる』を書いたんです。僕が本腰を入れてマンガ評論を書いた最初の本でした。ここから講演やテレビ出演の機会が増え、若い人たちが始めた「漫画史研究会」に参加もしました。その中に東京大学大学院の院生もいて、彼らが活躍し始めたのが2000年代。アカデミックなマンガ論が登場して、20年がたちますね。

水戸 房之介先生の活躍が、日本発のマンガ評論の土台になっているのですね。さて、混沌とするこの世の中で、人材育成は恒久なる課題です。房之介先生も学習院大学等で教壇に立たれておられましたが、今の若い世代と接して何か気になるところはありますか?

夏目 一番はプレゼンテーション能力ですね。ゼミで発表する時も手元のメモを読んでいるだけで、聴いている人を全く見ない学生がほとんどなのです。2019年に大英博物館で『マンガ展』が開催された時も、聴衆を向いて発表した日本人は僕だけでした。プレゼンテーションの目的は、自分の発言で人を動かすことですから、僕のゼミではメモの読み上げ禁止で、しゃべりかけなさいとしていました。

水戸 非常に大切なポイントだと思います。わが国の小中高教育は、みんな横並びの「一律教育」であり、子どもたちが自らの力を育み、プレゼンする能力を削いでいると指摘されています。探究型教育への早急な展開が課題ですね。本日はありがとうございました。

※「マツコロイド」…タレントのマツコ・デラックスさんの全身を型取りし、表情やしぐさ、癖などまでリアルに再現したアンドロイド。漱石アンドロイドと同様に、大阪大学の石黒浩教授が監修している。

仲間と一緒に盛り上がった「漫画史研究会」からアカデミックなマンガ論が登場しました。―夏目 房之介

なつめ・ふさのすけ●1950年東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。出版社勤務をへて、漫画家、コラムニストとして活躍。模写による独自のマンガ評論を展開する。92年『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)が注目を集め、99年手塚治虫文化賞特別賞受賞。『マンガは今どうなっておるのか?』(メディアセレクト)、『マンガに人生を学んで何が悪い?』(ランダムハウス講談社)など著書多数。2008年4月~21年3月まで、学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻教授を務めた。

學vol.63

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。