學vol.62

理事長対談「水戸英則×小和田恆」

理事長対談

明治10年に漢学者・三島中洲が創設した二松学舎。一貫して東洋の精神文化を基盤とした教育を続け、政界や文学界、教育界に有用な人物を輩出してきました。今回は創立145周年を記念し、水戸英則理事長と名誉博士・小和田恆先生が言葉を交わしました。日本の近代化が残した課題や、これからの高等教育のあり方とは―?。

*新型コロナウイルスの流行を踏まえ、対面ではなくメールにより行いました。

水戸 二松学舎は明治10年に漢学塾として創立され、今年で145周年を迎えます。明治から大正、昭和、平成、そして令和の時代を俯瞰し、日本の置かれた状況をどうお感じになっていますか。

小和田 日本は急速な進歩を遂げて、世界の中の一流の近代国家になりました。それは、日本人の果たした非常に大きな成果だと思います。ただ、かなり無理が伴っていたことも事実です。日本の近代化は、多くの人にとって西洋化でもありました。それが悪かったとは言いませんが、日本の伝統的な文化と西洋文化をどのように調和させるのかという問題は今でも残っています。夏目漱石の『草枕』の冒頭に、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」という有名な言葉があります。西洋的な合理主義を取り入れて物事を割り切って考えると、日本社会では角が立ってしまう。だからといって、日本の伝統的な社会原理である情を中心にすると、流されてしまって合理的な判断ができなくなる。そういう矛盾がある中で、三島中洲先生は二松学舎を作られたわけですね。西洋化の流れと、伝統としての漢学を両立して教えることは非常に重要だと思います。

水戸 本学の建学の精神「東洋の精神による人格の陶冶」は、小和田先生がおっしゃることと一致しています。明治10年当時は国情もまだ騒然とし、西洋文化の導入に汲々としていたことでしょう。三島中洲先生は、漢学を通じてわが国本来の姿を知ることを大切にし、東洋学の確立と新時代を担う人材の育成を目指されました。

小和田 もう一つ、グローバリゼーションの波が押し寄せてきたことも、この145年を語る上で欠かせません。グローバリゼーションとインターナショナリゼーションは同じような概念だと思うかもしれませんが、実は全く違います。インターナショナリゼーションは、国と国とが関係性を作り、世界の中に入っていくことです。明治の初めの開国は、まさにそのプロセスでした。それぞれの国で固有の文化や社会があるので、ただつなげようとしてもうまくいきません。例えるなら、電圧の違う機械を無理やりつなげるとショートしてしまうようなものです。そこを、外交や翻訳などがトランス(変圧器)の役割を果たして調整してきました。ところが、グローバリゼーションは世界が一つの社会になってしまい、トランスの入れようがありません。自分の考え方を主張しながら相手の主張も認めて調和させなければなりません。これからも日本人が格闘していく問題です。

水戸 世界がフラットになったことで、一人ひとりが正解のない問いと向き合う社会に変わってきたのですね。そうした中、大学教育にはどのような役割が求められているのでしょうか?

小和田 4年制大学では「社会の役に立つ人材」を育てることが使命だと思います。それは、就職した時に即戦力になる人材を育てるという意味ではありません。民主主義においては、国民の意思が政治に反映されるわけですから、国民の民度が高くなくては優れた国にはなりません。従って、社会に貢献する能力を持っているという意味で、社会に役立つ人材の育成が大学に求められています。具体的に言えば、教養やリベラル・アーツがより重要になっていくでしょう。教養というベースが備わっていれば、社会に出て困難に直面した時にも応用が利きます。現に、アメリカのハーバード大学では、アンダーグラデュエート・レベルのハーバード・カレッジには学部がありません。日本では教養学部にあたる「アートアンドサイエンス」で自分の興味関心のあることを学び、専門的に学びたい人は大学院に進みます。

水戸 まったく同感です。本学では、初年次学部共通で教養教育を導入し、歴史や哲学、英語、数理系の科目を配置しました。学生達がグローバル社会を生き抜いていくために、豊かな教養を涵養していきたいと考えています。

小和田 歴史と文学は、何をおいても学んでほしいですね。外務省の新入職員は、まず2年間外国の大学に留学して海外研修を受けます。海外に赴任し、その国の言語を勉強した上で、現地の文学をたくさん読むのです。その国の社会や文化、人々の考え方が一番よく分かる方法は、その国の文学を学ぶことだからです。同時に、その国の歴史も勉強します。歴史を学ぶと、周辺国との関係性がよく分かります。新たに開設した歴史文化学科では、まさに歴史と文学に力点を置くようですね。

水戸 本学の歴史文化学科では、日本史、欧米史、アジア史、さらに思想史や文化史も学べる環境を用意しています。史料の分析やフィールドワークを通じて、広く社会に貢献できる人材を育てます。大学としてさまざまな改革を行っているところですが、学生に求められる能力について、小和田先生はどうお考えでしょうか?

グローバル化で世界がフラットになり、一人ひとりが正解のない問いと向き合う社会に変わりました。水戸 英則

みと・ひでのり●1969年九州大学経済学部卒業。日本銀行入行、フランス政府留学、青森支店長、参事考査役などを歴任。2004年、二松学舎に入り、11年理事長に就任。文部科学省学校法人運営調査委員、日本私立大学協会常務理事、日本高等教育評価機構理事などを務める。

小和田 やはり、授業で身につけた知識を使って「考える」ことだと思います。論語には「学びて思はざれば則ち罔し、思ひて学ばざれば則ち殆し」という言葉があります。いくら学んで知識を身につけても、それを考えることをしなければ、本当の意味でものが分かったことにはならない。他方、自分の頭の中で勝手に考えるばかりで知識を蓄積していなければ非常に危ないということを、孔子は言っていたわけですね。私は、よく新入生に大学で何をしたいか訊ねるのですが、「友達を作りたい」「部活を楽しみたい」という声が多い。確かにそれも大切ですが、大学は学び、考える場であることを頭に置いて、大学生活を送ってほしいですね。

水戸 学ぶことと考えることは別であり、知識を用いた思考力が重要になるわけですね。ただ、学生に考えるように言っても、肝心の考え方が分からない場合もあるようです。

小和田 現行の受験制度では、知識を身につけることだけに集中し、考える余裕がないのでしょう。そこは極めて重要な点で、大学の先生の指導方法を振り返る必要があります。そもそも大学で教えることには「教育」と「教授」の2つの面があります。「教育」は教えを通じて育てること、「教授」は教えにそって知識を与えることです。どちらも大切ですが、大学においては教育の役割がより重要だと思います。例えば、ハーバード大学ではロースクールで始まった「ソクラテスメソッド」という方法で、先生が学生に「なぜ?」という質問を繰り返しながら教育します。学生が意見を述べると「なぜそう思うのか?」と。学生は嫌でも考えざるを得ません。対話によって、考える力が育まれるわけです。こうした指導は、オンライン教育では難しく、対面教育でなければできないと思います。

水戸 やはり直接、言葉を交わす意義は大きいのですね。本学では、新型コロナウイルスの感染予防に配慮しながら、対面授業を基本とし、オンライン授業と併用しています。漢学塾以来の伝統である少人数教育ゆえに、実践できることかもしれません。
 ところで話題は変わりますが、小和田先生ご自身が学生だった頃、勉強やそのほかで打ち込んでいたことについてお聞かせください。

小和田 太平洋戦争が終わった昭和20年、私は旧制の中学校1年生でした。それまで「軍国少年」として育ってきた私には、戦争が終わったというより、負けたという事実が非常にショックで、これが私の一生を規定したと言っても過言ではありません。なぜ日本は負けたんだろう、一体何が起きたんだろうという思いから、国際関係に関心を持ちました。紛争はどうして起きるのか、戦争をなくすにはどうすればいいのか、国際法はどんな役割をするのかなどを考え、国際司法裁判所の裁判官という職業につながりました。
 私がこうして教育について語るのも、考える力を持っている人が大勢いたら、先の戦争にはならなかったと思うからです。考える力がないと、社会がおかしな方向にいったとしても、抵抗することができません。冒頭で話した夏目漱石の言葉に戻りますが、日本は智に働けば角が立つ社会だから、戦争が「おかしい」と思ってもほとんど誰も言えませんでした。情に棹さしているから、流されてしまったわけです。敗戦体験は、私が学問に打ち込む原点になりました。

水戸 今の日本の若者は、戦争のことを現実的に感じる機会が少ないかもしれません。ロシアによるウクライナへの侵攻は今も続いていますが、小和田先生の体験を知ることで決して他人事ではないと感じてほしいと思います。さて、昨年オランダのライデン大学と東京大学が国際交流協定を結び、6年間にわたる「小和田恆記念講座」を開設したそうですね。両国の学生たちに、どのようなことを教えるのでしょうか?

小和田 今年は「国際関係と感情」をテーマにした講演を中心にして、学生同士の討議セッションをすることが眼目になります。人々の感情がいかに国家間の紛争を引き起こす原因になるかを、フランス人の国際政治学者が話します。学生たちには、オランダと日本の文化や考え方の違い、ものごとを考える道筋の違いを踏まえながら議論してもらいます。違うバックグラウンドの人と話をするには、自分の考えを持っていなければなりません。私は〝他流試合〟と言っていますが、知識を教わるだけで終わらせず、自分の頭で考える機会を学生に与えたいと思っています。

水戸 本当のグローバリゼーションを経験できる、貴重な講座ですね。近い将来、多くの職業はAIに代替される可能性がある中、グローバルな人間関係に対応できるコミュニケーション能力を要する職業は、今後も存続すると言われています。本学の長期ビジョン「N’2030 Plan」でも、そうしたヒューマンプレミアム度が高い人材の育成を目指しており、小和田先生が記念講座を開設した意義に大いに共感しました。本日はありがとうございました。

授業で身につけた知識を使って「考える」ことを学生達には意識してほしい。小和田恆

おわだ・ひさし●東京大学教養学部卒業。ケンブリッジ大学法学部大学院修了。現在、二松学舎大学名誉博士。外務省条約局長、官房長、OECD日本政府常駐代表大使、外務審議官、外務事務次官、国際連合日本政府常駐代表大使、国際司法裁判所裁判官、同所長等を歴任。学術分野では、東京大学で30年以上教鞭を執り、早稲田大学大学院教授。ハーバード大学、ニューヨーク大学、コロンビア大学等で招聘教授を務める。主な著作に、『国際関係と法の支配(小和田恆国際司法裁判所裁判官退任記念論文集)』(共著、信山社、2021年)、『平和と学問のために ― ハーグからのメッセージ(広島大学 講義録)』(共著、丸善、2008年)、『国際関係論(放送大学大学院講義用教科書)』(共著、放送大学教育振興会、2002年)、『外交とは何か』(共著、日本放送出版協会、1996年)、『参画から創造へ 日本外交の目指すもの』(都市出版、1994年)などがある。

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広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。