學vol.61

特集:ポスト・コロナの教育~これからの私立大学そして二松学舎に求められる教育とは~両角亜希子教授(東京大学)×瀧田 浩教授(二松学舎大学)×佐藤 晋教授(二松学舎大学)

特集:ポスト・コロナの教育~これからの私立大学そして二松学舎に求められる教育とは~両角亜希子教授(東京大学)×瀧田 浩教授(二松学舎大学)×佐藤 晋教授(二松学舎大学)両角亜希子教授(東京大学) × 瀧田 浩教授(二松学舎大学) × 佐藤 晋教授(二松学舎大学)

今年145周年を迎える本学は、漢学塾から専門学校、大学へと、時代の要請に応えながら形を変え、発展してきました。新型コロナ、気候危機、グローバリゼーションの加速などによって予測困難な時代を生きる学生たちは、以前にも増して創造力、課題解決力、人間力が求められています。そうした中、私立大学が果たすべき役割は何か。そして、二松学舎大学はどのような教育を行っていくべきか。大学経営論が専門で東京大学大学院の両角亜希子教授と、本学の瀧田浩文学部長、佐藤晋国際政治経済学部長が語り合いました。

コロナ禍2年目で見えてきた
大学教育における課題

両角 私は大学院生を中心に教えていることもあって、コロナ禍以降の2年間はオンライン授業が中心です。授業の設計や教え方はずいぶん変わりました。事前に課題を与えて、授業中にディスカッションをする、知識を与えるための授業はオンデマンド教材を使って学生が好きな時間に見られるようにするなど、工夫しています。皆さん、しっかり課題に取り組むので、対面だけだった頃よりも学修成果は上がっており、オンライン授業の可能性には期待しています。一方で、デメリットも見えてきました。オンラインだと、どうしても学生の反応がわかりにくく、議論が深まらないことがあるのです。大学という「場」を共有することの大切さを再認識させられました。学生達に話を聞くと、全てオンラインでいいと思っているわけではなく、授業によっては対面で議論したり、学生同士の関係性を築いたりしたいそうです。対面とオンラインを組み合わせたハイブリッド方式で授業をした時、実際に大学に来た学生は楽しそうに盛り上がっていました。

瀧田 本学でも昨年度の初めから、オンライン授業を取り入れました。ただ、もともと漢学塾として始まった大学ですから、教員と学生が丁寧に交流して学ぶことを大切にしており、できるだけ対面授業も再開したいと思っています。昨年度の秋頃からは、十分に感染対策をとった上で、ゼミや少人数授業は対面にしました。今年度も、新型コロナがある程度落ち着いている時は、学生を半分に分けて対面に戻していましたが、いわゆる第6波が広がってからはオンライン中心です。
 本学では夏休みと春休みにゼミ合宿期間があり、同じ釜の飯を食べて親睦を深めていました。サブゼミも盛んで、学舎としての二松学舎を育んでいましたが、ゼミ合宿は中止か、オンラインや通いでの実施になり、サブゼミの実施も難しく、学生にどう影響するか心配しています。コロナ禍の1年目は、オンラインでも遜色のない教育ができましたが、2年目になると学生側のモチベーションに不安が出てきました。授業に対する緊張感やチャレンジ精神が欠け、ややルーティンになっているように感じます。

佐藤 国際政治経済学部では、対面授業を受けに来た学生は驚くほどかなりの少数でした。他の大学も同様の傾向があるそうです。以前は当たり前だった「授業は大学に来て受けるもの」という形式がなくなり、大人数授業ならオンラインでいいと思ってるのかもしれません。また、コロナ禍でアルバイトができなくなり、大学までの交通費が負担になるなど、学生の生活スタイルの変化も関係しているようです。昨年は、コロナ禍によってオンライン環境の整備が緊急課題になっていましたが、今は「学生の自主性をどう引き出すか」というフェーズに変わってきています。グループワークやビジネスコンテスト、企業経営者による講義など、学生の興味・関心をひく工夫を、仕組みとして取り入れる必要があると感じています。

両角 学生のモチベーションや自主性の問題が、今年度の方が著しいということは、私も感じていました。文部科学省の中央教育審議会がまとめた「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」では、今後実現すべき方向性の一つに「学修者本位の教育」への転換を挙げています。オンライン授業の導入は、学修者本位の教育に大きく関係していると思います。今、お二人の先生がおっしゃったように、何らかの方法で大学という「場」の良さを体感してもらいながら、一部オンラインでいいところはオンラインを入れていくという柔軟な発想での組み合わせが求められています。
 例えば、米ミネルバ大学は全授業がオンラインです。講義にはオンデマンド教材を使い、フィールドワークやディスカッション、プロジェクト授業に時間をかけるそうで、大学の良さを組み合わせた一つのモデルとして注目されています。学修者本位の教育を実践するには、日本でもそうした設計を考える必要があります。教育のDX化や、それを支えるLMSなどを活用して、学生個人が学びを振り返ったり、学び足りない部分を教員に相談できたりする環境を検討する時期に来ています。

佐藤 本学でも大学DX推進部会を開き、学生が自分の成績、適正、個性などを客観的に理解できる取り組みを進めています。漢学塾時代から引き継いだ少人数教育という伝統と並行しながら、AIなどの新しい知見を活用し、学修者一人ひとりに合わせてカスタマイズした教育を提供したいですね。

瀧田 教育のDX化は、私も非常に重要視しています。いかにして学生が受け身にならず、学修者本位のプログラムにするかがポイントだと感じています。本学は人と人が向かい合って学ぶ「寺子屋的な場」を守ってきました。大学全体としては、アナログの中でどこまでデジタルを取り込むのかという方向性で考えています。対面授業だと、自分の見解を他の学生に話して「それって違うんじゃない?」と言われて、自身を相対化する視点を得たりすることもありますよね。多様な者が集まって、異なる意見を交わすことに、大学の「場」としての意味があります。
 オンラインの場合は、学生が手を挙げて細かいことを質問することが減りますし、教員が研究マナーや知識の細部について留意を促すことも減ってしまいます。そのような些細な負の堆積により、学問において最も重要な「壁にぶつかって乗り越えていく経験」がしにくいのです。学修者本位とは、何でも自由にさせて全て認めるという意味ではなく、きちんと「壁」を示していくことも含まれると思います。

佐藤 学修者本位の教育に転換する大前提として「どんなことが学べる大学なのか」という情報を発信し、今以上に高校生とマッチングさせることも重要です。偏差値や就職に有利かどうかだけではなく、本当に興味・関心があるかで大学を選んでもらうのです。入学後は基礎科目を学んだ上で、本人の興味・関心の分野に進みますが、その過程で知識欲や自己向上欲が満たされる経験を重ねていくと、学生の主体性が養われます。基礎的な科目はある程度、必修にして教えることになりがちですが、主体的に学ぶ意欲を引き出す方法を考えなくてはなりません。それが、大学教育の質を保証することにもつながります。

両角亜希子 教授(東京大学)

もろずみ・あきこ●東京大学大学院教育学研究科教授。慶應義塾大学環境情報学部卒、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了、博士(教育学)。産業技術総合研究所特別研究員、東京大学大学総合教育研究センター助手、助教、東京大学大学院教育学研究科講師、准教授を経て2021年より現職。専門分野は高等教育論、教育社会学。研究テーマは大学経営で、著書に『日本の大学経営-自律的・協働的改革をめざして』(東信堂)、『学長リーダーシップの条件』(東信堂)など。

ポストコロナの教育方針は
ぶれないDPが指し示す

両角 今、先生方のお話を聞いて「ディプロマ・ポリシー」(DP/卒業認定・学位授与の方針)の重要性を感じました。入学時点ではデコボコしていた能力も授業を受けていく中で伸びていき、卒業段階でどうなるかを学生自身が見通せるようにする。同時に、教員も授業でどんな能力を伸ばすのか、意識しながら教える。そのように大学の「入り口と出口」をDPで示すことで、貴学の良さが学生にも、社会にも伝わるのではないでしょうか。昨今、文科省は学修成果の可視化を求める流れにあります。大学教育には可視化できない価値もあるので、見えない部分も含めて、大学としての目標を明確にすることが大切です。そこがぶれなければ、ポストコロナの教育も、おのずと方向性が見えてくることでしょう。

瀧田 ちょうど今、本学の新しいDPをまとめているところです。先ほど、学問の壁という話をしましたが、学生が壁を乗り越えようとする時に、「こういう目標の大学だから基礎を徹底して教えるんだな。力がつくだろうな」と思えるDPにしたいと考えています。教員側もまた、学生たちに「今日の授業はDPに関係しているよ」と声を掛ける。そのように「使えるDP」は、教育の質を保証する一つのツールになることでしょう。

佐藤 両角先生から「可視化できない価値」というお話がありました。以前、私は本学のキャリアセンター長を務めていましたが、学生が社会に出た時、まさに可視化できない価値や能力が問われる場面がたくさんあります。学業成績以外の部分も含めて伸ばしていくことは、大学の大きな役割です。本学は一貫して「社会で有用な人物を育てる」という方針をとってきました。しかし、オンライン授業が中心となった今、リテラシー(物事の適切な理解・解釈・活用力)教育は問題ないものの、コンピテンシー(社会人基礎力=職場での成果につながる行動特性)の教育は手薄になってきています。ニューノーマルと言われる時代で、どのようにしてコンピテンシーを伸ばすか、その教育の枠組みを検討しています。

両角 貴学のデータを拝見していて、丁寧に正確に学ぶ、じっくり物事を考えるといったところに魅力を感じました。なかなか可視化しにくいのですが、学生達が「自分も成長したな」と自己評価できる部分でもあるような気がします。最近、GPA(成績評価基準)を採用する大学が増えてきましたが、自己評価もとても大切だと思うんです。加えて、教員も一緒に学修成果を振り返り、「確かにあなたはこの辺りが伸びたね」と伝える。そのように、自己評価と他者評価が組み合わさって学生は自信をつけ、就職活動でも自己アピールできるようになります。

瀧田 私は大学時代、恩師に言われて忘れられない言葉があります。その先生は「オールAの成績を取っている学生は、恥じるべきだ」と仰っていました。学生が自分の専門分野にのめり込んでいれば、オールAにはならないという話で、私は一定の真実性があると思っています。両角先生がおっしゃるように、教員が学生の力の推移を見て言葉を掛けることで、人間的な力は身についていきます。一方で、GPAが意味を持つとすれば、学生が自らの知の状況を相対的に知り、学びを修正していくことではないでしょうか。そういう意味では、授業評価を平準化したほうがいいと思うんですよね。昨今、教学マネジメント(注1)の確立が語られますが、数値で測れる能力と、測れない能力の両方を大事にして、学生が生き生きとするマネジメントを目指したいところです。

 佐藤 晋 教授(二松学舎大学)

さとう・すすむ●二松学舎大学国際政治経済学部長。国際政治経済学部教授。慶應義塾大学卒業後、慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程政治学専攻修了。博士(法学)。専門は、近現代の日本政治外交史、東アジアの国際関係、インテリジェンス研究。著書に『現代日本の東アジア政策』(早稲田大学出版部)、論文にSatō Susumu, “The Nakasone Yasuhiro Years: Historical Memory in Foreign Policy,”in Iokibe Kaoru, Komiya Kazuo, Hosoya Yūichi, Miyagi Taizō, et al. eds, History, Memory, and Politics in Postwar Japan(Japan Publishing Industry Foundation for Culture)など。

学生との「対話」に基づく
教学マネジメントの重要性

両角 教学マネジメントで大切なことは、過度に形式的にならず、「対話」を重視することだと思います。例えば、教員の皆さんがコロナ禍における学生の変化のデータを見て「自分はこう思う」「いや、私はこう思う」という建設的な議論を通して共通の見解を見つけたり、「考えは違うけど、そういう側面もありますね」と認め合ったりする場をどれだけ設けられるか。また、教学マネジメントを確立する過程で、どこまで学生の声を取り入れられるか。実際に授業を受け、カリキュラムを体験しているのは学生で、どこを改善すべきかの答えを持っているのも学生です。教員にとっては問題が感じられない授業でも、学生に聞くと「ここから急にハードルが上がる」などという意見があるかもしれません。丁寧に対話を重ねることで、良い改善のサイクルが作られ、貴学の個性がより際立つ教学マネジメントになっていくことでしょう。

瀧田 私も同感です。教員と学生、職員と学生、教員と教員など、さまざまな対話が集約され、なおかつ大学としての歴史も踏まえて、皆が納得できる教学マネジメントがいいですね。
 夏目漱石は、本学の漢学塾時代の卒業生です。漱石が、自身の教育観について書いた「愚見数則」という文章では「日本中を探し求めて『この人だ』と決めた人を師匠とする。師匠は親よりも尊い存在である。教師の方も教え子を実子以上にかわいがり、尊んでいく。それが真の教育だ」としています。レトロに見えるかもしれませんが、こうした歴史に紐付けた教学マネジメントでなければ、学生にとって生きたものになりません。大学の歴史や起点を忘れずに学んでいくことが、遠いように見えて実は近道だと感じています。

佐藤 国際政治経済学部では、実務家教員を増やしたり、学生をインターンシップとして派遣して企業からのフィードバックを受けたり、卒業生の「5年後アンケート」を実施したりして、カリキュラムの改善を図っています。また、実務に役立つ授業だけでなく、学問の体系や理論もしっかり教える必要があり、そのバランスが大事です。本学の第3代舎長でもある渋沢栄一は、「理論と実践」を「地図と現実」に例えて学生に伝えていました。学問の理論は大局観を示すもので、学生時代は役に立つのか立たないのかはわからない。でも、社会に出て迷った時、その理論が地図のように進むべき方向性を示してくれると。学問はすぐに役立つものだけではないという視点も、教学マネジメントを考える上で欠かせません。

両角 文科省が提唱している学修者本位の教育や教学マネジメントは、難しい言葉のようですが、ある意味では当たり前のことで、今までも各大学が続けてきています。私立大学は、それぞれに建学の理念があり、大学ごとに多様な価値観を持って教育するという特徴があります。貴学は漢学塾から始まった歴史を持ち、夏目漱石や渋沢栄一という偉人が関係してきたという強みもあります。今、時代は大きく動いています。それでも、大学として大切にしてきた経験は、大学運営のコアであり続けるのではないでしょうか。

(注1)「大学がその教育目的を達成するために行う管理運営」と定義される。

 佐藤 晋 教授(二松学舎大学)

瀧田浩 教授(二松学舎大学)

たきた・ひろし●二松学舎大学文学部長。文学部教授。早稲田大学教育学部国文学科卒業、千葉大学大学院文学研究科修士課程修了、立教大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。調布市武者小路実篤記念館評議員、有島武郎研究会評議員。専門分野は日本近代文学。『白樺』派を中心とした文学研究や最近では高度経済成長期の文化研究も。論文に「本多秋五の〈野性〉と〈後退〉―「『白樺』派の文学」への接近―」(『二松学舎大学 人文論叢』第102輯)、「武者小路実篤と漢学―勘解由小路家・高島平三郎からの影響と『論語私感』」(『講座近代日本と漢学 第6巻 漢学と近代文学』)など。

學vol.61

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。