學vol.59

特集:サステナブルな社会へ〜渋沢栄一の「論語と算盤」から“今”を考える〜

特集:サステナブルな社会へ〜渋沢栄一の「論語と算盤」から“今”を考える〜

本学の第三代舎長を務めた渋沢栄一。生涯に約500もの企業の創設や経営に関わりながら、常に「公益」を追求していたことで知られます。そこには商工業の力で国や社会を豊かにするという渋沢の使命、志がありました。大正5年に出版された『論語と算盤』には、道徳に基づくビジネスを行い、富を持続させることの大切さが記されています。この渋沢の経営哲学は、時代を先取りしていたと言えるかもしれません。現在、企業の持続的な成長に不可欠と言われる「ESG」や、持続可能な開発目標「SDGs」は、いずれも企業の利益と公益の両立を目指す概念です。本特集では、ESGに造詣が深い早稲田大学の川本裕子教授と本学国際政治経済学部の髙岸直樹教授が、『論語と算盤』をヒントに、現代の社会経済の課題を考察しました。

気候変動で、企業のESGを重視する機運が高まった

髙岸 渋沢栄一は晩年『論語と算盤』で「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と説きました。それは、昨今よく聞く「ESG」の考え方に通じるものがあります。ESGとは、「環境(Environment)」、「社会(Social)」、「企業統治(Governance)」の3つを指し、企業が長期的に成長するために経営上考慮すべき要素として注目されています。川本先生は、数々の企業の社外取締役などを務めていらっしゃいますが、なぜ世の中はESGに注目するようになったのでしょうか?

川本 企業が社会的な責任を負うという考え方自体は、古くから存在します。欧米では1920年代に、キリスト教的な理由から酒やたばこ、ギャンブルなどに関する企業には投資をしないネガティブ・スクリーニングから始まりました。その後、公害問題や石油危機もありましたが、今ほどは気候変動が注目されず成長志向が強い時代が続きました。しかし、先進国と新興国の格差などの社会問題も深刻化し、2004年に国連環境計画(UNEP)が発表したレポートでESGという言葉が初めて使われました。さらに、06年に国連のアナン事務総長(当時)が機関投資家に「責任投資原則」(PRI)※1 を呼びかけたことで、ESGの観点からの投資が一気に浸透しました。ここ数年は、法制度やSNSなどの影響で企業活動が透明化されたことから、ますますESGを重視する機運が高まっています。

※1 投資決定にあたり売上高や利益などの財務指標だけでなく、受託者の役割としてESGへの取り組み状況にも配慮すべきとするガイドライン。

髙岸 ESGと近い概念で、近年は「SDGs」(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)も広がっています。両者はどういう関係性にあるのでしょうか。

川本 途上国の開発に関する議論は、1970年代から国連主導で進められてきました。国連は2000年に「ミレニアム開発目標」(MDGs)を発表し、国際社会の共通目標として貧困やジェンダー、エネルギーなど8つの課題を掲げました。その後、15年の見直しで「サステナブル」(持続可能)の概念をタイトルに冠し、目標数を17に増やしたものがSDGsです。ここ数年、ESGとSDGsが両輪となって、サステナブルな企業活動が展開されるようになりました。

髙岸 SDGsの目標達成には、企業もESGを意識した企業活動を行うべきですね。日本企業におけるESGへの取り組みはどうでしょうか?

川本裕子 教授(早稲田大学ガバナンス&サステナビリティ研究所所長)

かわもと・ゆうこ●早稲田大学大学院経営管理研究科教授、同大学ガバナンス&サステナビリティ研究所所長。1982年、東京大学文学部卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。88年英オックスフォード大学修士(開発経済学)修了、マッキンゼー東京支社に入社。マッキンゼーグローバルインスティテュート(ワシントン)、マッキンゼーパリ支社勤務などをへて、2004年早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、16年同大学院経営管理研究科教授(現職)。20年同大学ガバナンス&サステナビリティ研究所所長(現職)。日本取引所、三菱UFJフィナンシャルグループ、ヤマハ発動機など20社以上の社外取締役を歴任。※2021年5月現在の略歴

渋沢栄一の説く公益性は企業の「価値創造」が大前提

川本 残念ながら、日本の社会問題への対応は、あまり鋭敏でないまま今日に至りました。例えば、企業における女性の活躍は遅れていて、ジェンダーギャップ指数(世界男女格差指数)は153カ国中120位。まだまだキャッチアップの段階と言わざるを得ません。
 欧米におけるESGの議論の出発点は多くが環境や社会問題であることに対し、日本のESGは「ガバナンス=企業統治」が起点になっています。これは日本では、長期にわたって企業の収益性が低い状態が続き、経営者のリスクテイクを支えるためにガバナンス改革がスタートしたということがあります。

髙岸 日本と欧米ではESGへの取り組みの出発点が違うということですね。

川本そうなんです。その認識はぜひ皆さんに持っていただきたいですね。経済成長を考える上で企業の収益性を重視することは当然のことです。もちろん、持続可能であることが最も大切ですので短期収益だけを追求することとは全く違います。「日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一も、企業がきちんと稼いで利益を得ることを大前提とする方でした。富を生み出す「価値創造」を大切にされていたと思います。最近はテレビなどで〝渋沢ブーム〟のようになっており、企業の利益を社会に還元するところばかり強調されていることが気がかりです。

髙岸 企業は利益を上げなければ持続できません。渋沢栄一は、企業の経営理念を実現するためにも一定の利益を確保することは大切だと考えていたわけですよね。

川本 おっしゃる通りです。そもそも企業は社会的な課題や人々のニーズを満たすために存在しています。実は日本は、新型コロナ以前の18年も19年も経済的に成長していません。本当はそこに焦点を当てた議論をしなければならないとも思います。

サステナブル社会における人材の「適材適所」とは?

髙岸 日本経済全体のサステナビリティが問われる時代なのですね。新しい時代に転換するためには、企業の人材育成も重要なテーマだと思います。『論語と算盤』には〝適材適所〟という言葉があり、人々がしかるべき場所で働き、よい結果を出すことができたら、本当の意味での企業の社会貢献であると教えていますが、これを現代に当てはめるといかがでしょうか?

川本 これまで日本企業はメンバーシップ型の終身雇用を続けてきました。正社員の大部分を新卒採用し、定年まで抱え込むモデルです。雇用の安定化などプラスの面がある一方で、技術や知識がアップデートされにくかったり、正社員と非正規社員との待遇に格差がついたりする課題も抱えています。渋沢栄一が活躍していた明治時代は、もっと社会に躍動感がありましたよね。渋沢栄一自身も農家の出身で政治家を志し、実業家になるなど、自由な雰囲気の中で実績を上げました。これからの社会も、労働の流動性が強められていく方向性が望ましいと思います。。

髙岸 大学だけでなく、企業も人材を育てる役割を担うようになるのですね。有能な人材は、より魅力的な企業に移ることもありそうです。

川本 それがまさしく〝適材適所〟ではないでしょうか。企業としては、人材の流出を防ぐために、常に働きがいのある職場にして、人材を適正に評価する努力が大切になると思います。働く人達は、社会人になってからも再び大学に戻ったり、大学院に進んだりして、知のアップデートを惜しまないでほしいですね。。

髙岸 私は本学のキャリアセンター長を務めており、学生達の進路をサポートしています。ESGの視点を進路選択に役立てることは可能でしょうか?

髙岸直樹教授(二松学舎大学キャリアセンター長)

たかぎし・なおき●二松学舎大学国際政治経済学部国際経営学科教授 、同大キャリアセンター長。1992年日本大学大学院法学研究科博士前期課程私法学専攻修了。98年税理士高岸俊二・直樹事務所 (現在に至る)。2014年東京理科大学経営学部非常勤講師 (現任)、16年二松学舎大学国際政治経済学部准教授、21年教授。同年同大キャリアセンター長(現職)。象印マホービン株式会社社外監査役や社外取締役(現任、独立役員)等を歴任。

川本 少し難しい問題です。例えば、最近、環境への配慮をアピールする企業が非常に増えましたが、実はもともと環境負荷があまり高くない企業が多いのです。本当は、CO2排出量の多い石油や石炭にかかわる企業の取り組みが重要なのに、そうではない企業が目立っています。ですから、環境対策だけを基準に就職先を決めようとすると、間違った方向に進む恐れがあります。
 ただ、社会問題や企業統治の側面は、よく見比べてほしいと思います。例えば、女性管理職比率や、社会問題、人権問題の捉え方はどうなっているか。それらの情報が適切に開示されているか否かには、企業の姿勢が表れます。

髙岸 透明性が高い企業は風通しがよく、働きやすいのではないかと読み取ることができますよね。私はもう一つ、企業の原材料の調達方法も注目すべき点だと考えています。昔のように「安ければよい」といった調達方法では通用せず、生産者に適正な対価を支払う企業姿勢が重要視されてきています。ここも、渋沢栄一の言う公益性につながる発想だと思います。

川本 そうですね。フェアトレード(※2)制度が徐々に広がっていることからも、原材料の調達は大切なポイントだと思います。

※2 「公平・公正な貿易」の意。具体的には、途上国で生産された製品や原料を適正な価格と対等な関係で継続的に貿易をするという国際的な取り組み。

お金は得ることだけでなく、「使う」ことも難しい

髙岸 このように、企業レベルではサステナブルな社会経済のための取り組みが進められていますが、翻って個人ではどうでしょう? 若者たちが日頃から実践できる「お金とサステナブルな付き合い方」があればご教示ください。

川本 やはり、自分でお金を稼ぐ経験をすることが大切ではないでしょうか。それとともに、お金を「使う」ことにも意識を払ってもらいたいですね。単に買い物をするだけでなく、年に500円でも1000円でもいいので、金額を決めて投資や寄付をしてみるのです。例えば、自分が応援したい企業の株を買えば、その会社の業績が気になりますよね。本当に正しい企業活動をしているとわかれば、もっと投資したくなるでしょうし、そうでなければエグジット。投資をやめようと判断するわけです。株式市場に参加すると、経済活動に参加することができます。サステナブルな企業を見極め応援することができるのです。

髙岸 『論語と算盤』には、お金を「よく集め、よく散ぜよ」という一節があります。手に入れた利益をどう使い、いかに社会を持続させていくかは、時代が変わってもなお普遍的な課題だと思います。

川本 そうですね。お金は、得ることだけでなく、使い方も非常に難しいものです。現状では、日本企業はお金をため込んでいるところが多く、株主へのリターンは若干よくなっているものの、従業員や顧客、取引先など他のステークホルダーへの還元には課題があります。成長を維持できる状態になっていないのです。この問題が、若い人にもっと認識されるといいなと思います。

髙岸 同感です。川本先生のお話しで、ESGを通して、渋沢栄一の本質にも迫ることができました。本日はありがとうございました。

渋沢栄一の言葉『論語と算盤』より

正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ

 『論語と算盤』の冒頭「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」という章にある言葉です。渋沢は、空虚な理論に走ったり、虚栄を張ったりすれば本当の成長はできないとし、実業界を盛り上げ、多くの人にモノが行き渡るようにしてこそ国全体の富となると述べています。そして、正しい道理の富をなし永続させるためには、道徳と経済という懸け離れたものを一致させることこそ極めて大切だと訴えました。この章では、本学の創立者である三島中洲が、「論語と算盤」という言葉とともに、様々な例を挙げながら道理と事実と利益とは必ず一致するという主旨の文章を渋沢に送ったことも記されています。

私の素志は適所に適材を得ることに存するのである

 「素志」とは平素からのこころざしという意味です。渋沢は、適材を適所に配置することで何らかの成績をあげることこそ、人が国家社会に貢献する本来の道であるということを常に心に置き、自身も実践しました。権力を守るため、能力のある人を閉じ込めてしまうようなことは決してせず、活動する世界は自由であり、人は平等でなければならないと力強く述べています。

真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずるようでなくてはならぬ

 渋沢のお金に対する考えが述べられています。お金は「社会の力を表彰する要具」であるから、貴重なものとして扱うのは正しいとしながらも、能力のある人は経済界の進歩のために、よく集めると同時に善用(正当に支出)し、社会を活発にしなければならないと説きました。価値あるものを重んじるということを曲解するあまり、むやみに物惜しみするだけの「守銭奴(金銭に執着する人)」にならないよう注意を促しています。

學vol.59

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。