學vol.58

特集:「古典」から見つかる明日〜歴史を知ることの意味〜

特集:「古典」から見つかる明日〜歴史を知ることの意味〜

2020年11月、本学は国文学研究資料館と学術交流協定を結び、またデータベース構築に関する覚書を締結しました。館長のロバート キャンベルさんは、日本文学研究者として、近世から明治期、特に江戸中期から明治の漢文学を中心に研究されています。今回は、キャンベルさんと旧知の町泉寿郎教授が聞き手となり、国文学研究資料館の取り組みや古典の魅力、人文学系学問の価値などについて語り合いました。グローバル化やデジタル化がますます進展する現代社会において、本学が果たすべき新たな役割も浮かび上がりました。

歴史的資料の画像を世界中で共有する「IIIF」とは?

 初めてキャンベルさんにお目にかかったのは、1995年、私が二松学舎大学大学院の院生で、国文学研究資料館(国文研)でアルバイトをはじめた時でした。

キャンベル 鮮明に覚えていますよ。私は整理閲覧部参考室長として着任し、資料展示の企画実施に携わりました。町さんに、杉浦梅潭の展示などで大変力になっていただきましたね。現在、国文研は東京・立川市にありますが、当時は品川区の戸越でした。

 国文研の歩みや事業内容について、改めてお聞かせいただけますか。

キャンベル 話は70年前にさかのぼります。日本文化の証言となる歴史的資料は、戦争や自然災害によって大量に失われました。研究者はなんとか資料の消失をくい止めようと活動し、1951年(昭和26年)に「文部省史料館」が設置されました。しかし、その後も資料の消失が続いたことから、研究者以外にも作家や政治家などが声を上げ、1972年に史料館を組み込むかたちで国文研が設置されました。
 国文研のミッションは大きく分けて二つあります。一つは古典籍の調査収集事業で、文献資料の原本がどこにあるかを調べ、その書誌データを保存する事業です。以前は、文献を撮影した画像を白黒のマイクロフィルムで保存していました。全国の資料を横断的に閲覧したい時は、戸越の国文研まで足を運んだものです。資料の画像データは、この15年ほどでデジタル化され、インターネットで閲覧できるようになりました。
 もう一つのミッションは、共同研究の推進です。収集した資料を活用して研究者を育成し、また各地域の共同研究への資料提供などを行っています。

 本学では近代の漢学のデータベース化を進めており、資料画像の公開を始めました。画像データ化にあたり、国文研でも採用している「IIIF」(トリプルアイエフ)は汎用性が高いため、本学でも採用しました。

キャンベル IIIFは、画像データをネット上で共有するための国際規格で、世界中の資料を同じ画面で閲覧し解析できます。IIIFを導入すると、資料の時代やジャンル、所蔵機関を超えて切れ目なく調査ができるようになります。国内の大学では、まだ採用していないところもある中、二松学舎大学は積極的に取り組んでおられ、学習の機会を深める意味でも大変有意義だと思います。

本学と国文研が協定を結んだ「歴史的典籍NW事業」

 昨秋、キャンベルさんにお会いした時、画像データベースの活用についてお話したことから、今回の本学と国文研の学術交流協定に結び付きました。国文研の「歴史的典籍NW事業」※に、本学が蓄積してきた歴史的資料を提供します。

キャンベル 共に手を携えて事業を進められることを、大変嬉しく思います。歴史的典籍NW事業では、国内外の研究教育機関の協力のもと、1868年(明治元年)までの日本古典籍約30万点の画像と書誌データの集積を目標とした「新日本古典籍データベース」を作り、国際共同研究のネットワークも構築します。この事業は2023年で終了しますが、後継事業として「データ駆動による課題解決型人文学の創成」を企てています。後継事業は、1878年(明治20年)あたりまでの資料を視野に入れることを研究計画に盛り込んでいます。

 漢学塾を前身とする本学では、明治以降の資料や漢文資料を多く保有しているので、後継事業でもお役に立てそうですね。

※【歴史的典籍NW事業】正式名称「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」。

ロバート  キャンベル(日本文学研究者 国文学研究資料館長)

日本文学研究者。国文学研究資料館長。
近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。2017年4月から現職。ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士。
著書に『井上陽水英訳詞集』(講談社)、『東京百年物語』(岩波文庫、共編)他

明治期の漢学は日本の歴史を学ぶ「鍵」

キャンベル 明治の漢学は、前近代から近代につながる時代の資料として、かなり重要です。例えば、小説は明治10年代後半から印刷技術や文体、読者層などが大きく変わりました。舞踊や演劇なども同様で、明治に大きな変化を遂げています。しかし、漢学は漢学としての連続性があり、独特の厚みを持った領域です。明治になったからと言って、印刷技法が一変するわけではありませんし、日本語の言語態としてのあり様、書記言語も急に変わりません。漢学は日本の歴史を学ぶ上で鍵となる存在です。
 これまで、国文研の調査収集では漢学資料が少し手薄でした。今回、重層的な蔵書を持つ二松学舎大学が事業に参加いただくことを大変歓迎しています。個別に保有していた資料が「個から束へ」と展開し、異分野融合型研究に活用されていくことを期待しています。今、私たち研究者は研究領域や時代、ジャンルなどで非常に細分化され、異分野融合型研究はなかなか実現できていません。その点を根本的に見直したいですね。

レオン・ド・ロニーの蔵書から学術知能の交流を検証する

 異分野融合型研究を考えるにあたって、私たちの研究グループでは、19世紀の研究者の足取りが参考になると考えて、近年、レオン・ド・ロニー(フランスの日本学者:1837~1914)が所蔵していた漢籍を調査し目録を作成しました。フランスのリール市図書館には、ド・ロニーのコレクションが多数残されており、和書以外に、約500点の漢籍が含まれています。当時の研究者は今ほど細分化されていなかったので、オリエンタリスト(東洋学者)は中国、日本、インドなどの研究を幅広く手掛ける人が少なくありませんでした。

キャンベル 19世紀後半から20世紀初頭の学術交流を、蔵書から検証するとは面白い取り組みですね。
 昨年、国文研では、研究者の国際交流促進のために、「日本古典籍研究国際コンソーシアム」の事務局を立ち上げました。主な活動内容は、世界中の研究教育機関同士の情報共有や、オンラインによる共同研究などです。これが予想以上の反響で、昨年7月に参加機関を募集すると、あっという間に70以上の機関から申請がありました。新型コロナウイルス感染症の影響で調査研究の機会が狭まり、オンラインでの共同研究のニーズが高まったのです。開始前は「7~8機関との船出になるかな」と予想していたので、事務局は大変なことになりました(笑)。この国際コンソーシアムに、二松学舎大学も参加してはいかがでしょうか。

 ありがとうございます。早急に検討したいと思います。国際交流の観点から言うと、本学は中国・台湾との関係を大切にしてきました。昨年から中国の山東大学との共同事業「全球漢籍合璧工程」により、世界中に所在する漢籍のユニオンカタログを作る取り組みに着手しました。資金力やマンパワーの点で、中国の動向は注視すべきですし、中国のプロジェクトとの連携も重要ではないかと考えています。

レオン・ド・ロニー著『詩歌撰葉』

レオン・ド・ロニー著『詩歌撰葉』/1871年にパリで刊行された日本の詩歌の解説書。万葉集・百人一首・近世和歌・俗謡・漢詩まで、さまざまなジャンルの詩歌を紹介している。

異分野融合研究の促進にはデータ解析ツールの開発も課題

キャンベル そうですね。国文研でも、いくつかの中国の研究機関と協定を結んでいます。こうして国や分野を超えた共同研究をするためには、もう一つ重要な課題があります。それは、汎用性の高いデータ解析ツールの開発です。国文研では、国立情報学研究所や人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)などと協力し、資料の機械可読や解析のツールを開発しています。その一つとして、AIを使って「くずし字」を解析する試みも進めています。まずは日本の古典籍や東アジアの書物を対象としたツールを開発し、ゆくゆくは各国の国家的なデータインフラに横串を通したい考えです。国文研では、長きにわたり資料の収集・整理に力を入れてきましたが、最近は「資料をどう活用するか?」に旋回しつつあります。

町 泉寿郎(文学部中国文学科教授)

町 泉寿郎(まち・せんじゅろう)1969年生まれ、石川県出身。1999年二松学舎大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。北里研究所研究員を経て、2003年より二松学舎大学で教鞭を執る。『渋沢栄一は漢学とどう関わったか』他、著書多数。

 新たな活用方法として、どのような取り組みをなさっておられるのですか?

キャンベル 2017年に「ないじぇる芸術共創ラボ」を創設しました。小説家やアニメーション作家、翻訳家などのクリエーターが日本の古典籍に触れ、世界中の研究者ネットワークに入って文学を学び、各分野で活用してもらうプロジェクトです。一人では解読しにくい古典籍に、別領域のクリエーターが関わることで、新たな内容と表現が生み出されます。さらに、この活動を私たち研究者が受け止め、循環型の学びに発展させていくことを目指しています。

人文科学のイノベーションを起こす二松学舎大学の可能性

 改めてキャンベルさんに伺いたいのですが、グローバル化、デジタル化が進み、ダイバーシティの考え方が当たり前になりつつある現在、若者たちが人文学、とりわけ古典を学ぶことに、どのような意味があると思われますか? 

キャンベル 今後、「デジタル・ヒューマニティーズ」(情報科学と人文科学が融合した学問分野)が広がっていくことを思うと、文系の若者たちの負う役割はより重要になることでしょう。例えば、GPSというインフラがありますが、今の文系研究者はほとんど活用していません。しかし、江戸時代や室町時代の地図、歴史証言などから当時の人々の動線、交流などをGPS地図上にマッピングするなど、活用方法はいくらでもあります。日本には、網の目の細かい証言記録がたくさん残っています。そうした知見を一つひとつつなげて学習データを作れば、重厚なデジタル・ヒューマニティーズのインフラができるわけです。
 それを実現するには、文系の皆さんの側からの積極的なアプローチが不可欠です。情報科学の人たちは、情報処理そのものは熟知していても、歴史や文化など文脈を踏まえた情報の持つ意味にはアクセスができません。源氏物語が好き、夏目漱石が好きと国文学を学んでいる学生は多いかもしれませんが、「デジタル・ヒューマニティーズ」に向かう新たなインフラを作るという世界観も知っていただきたいです。

 現代社会で古典を学ぶことは、歴史を未来につなげる重要な役割があるのですね。

キャンベル 文系の皆さんは「歴史をつなげる桟橋」として活躍する場が広がっていることを忘れないでください。実は、これからの時代、イノベーションを起こすのは二松学舎のような大学だと、私は思っています。二松学舎大学は実証的な研究と、文献資料に基づいて問いかけを引っ張り上げるような学びを、学芸として大切にしてきました。今、デジタル・ヒューマニティーズの世界は、文献資料を熟知し、歴史的なつながりに関する知見と、歴史資料へのアクセスを必要としています。それらを持っている二松学舎には、様々な機関と横断的に交流し、人文学の中に共同研究の基盤を作っていただきたいですね。

 ありがとうございます。今後も、本学が蓄積してきた資料や知見を人文学研究のみならず、広く社会に生かしていきたいと思います。

ないじぇる芸術共創ラボ展
「時の束を披く―古典籍からうまれるアートと翻訳―」

ないじぇる芸術共創ラボ展「時の束を披く―古典籍からうまれるアートと翻訳―」

約3年半にわたる、「ないじぇる芸術共創ラボ」の成果を一堂に会した展示。クリエーターたちが研究者とともに古典籍の森を探索、検討して行き着いた新たな表現を披露する。創造の源となった古典籍も共に展示し、現代における古典籍活用の大きな可能性を提示する。

ないじぇる芸術共創ラボ展「時の束を披く―古典籍からうまれるアートと翻訳―」

会期:2021年4月24日(土)まで
場所:国文学研究資料館 1階展示室
東京都立川市緑町10-3
開室時間:午前10時~午後4時(入場は午後3時まで)
主催:国文学研究資料館 ないじぇる芸術共創ラボ
入場無料
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため事前予約制。

特設サイトはこちら

国文学研究資料館

国文学研究資料館

特集:危機を乗り越え「これから」に向けて:二松学舎からのメッセージ/エール~応援する力 作曲家 古関裕而氏と二松学舎

特集:危機を乗り越え「これから」に向けて:二松学舎からのメッセージ/エール~応援する力 作曲家 古関裕而氏と二松学舎

『講座 近代日本と漢学』全八巻

『講座 近代日本と漢学』全八巻

二松学舎大学・浙江工商大学・浙江省倫理学会共催学術シンポジウムの様子(於:中国 浙江省)

二松学舎大学・浙江工商大学・浙江省倫理学会共催学術シンポジウムの様子(於:中国 浙江省)

歴史及び役割

 東アジア学術総合研究所の始まりは、1969年、日本及び東洋諸国の学術・文化・歴史の研究を目的に設立された東洋学研究所です。その後、1977年の二松学舎創立100周年を機に、翌78年、創立者三島中洲先生の学統を継承するため、陽明学に関する総合研究を行う陽明学研究所が設置されました。さらに2002年には東洋学研究所の附置機関として国際漢字文献資料センターが発足。2004年、グローバル時代への対応を目指し、これら3つの研究機関を統合して誕生したのが、東アジア学術総合研究所です。
 後述するCOE事業及びその後継事業であるSRF事業の推進を経て、現在は、陽明学研究センター日本漢学研究センターの2つのセンターを有した研究機関として活動を続けています。

多彩なシンポジウムと共同研究

 毎年、多くの研究者や専門家を集め、漢学や陽明学、東アジア諸国の学術をテーマに、大学キャンパスのみならず、三島中洲先生の出身地である岡山県倉敷市や中国の浙江省、フランスのパリ・ボルドーなど、日本中、世界中でシンポジウムを開催し、研究成果を発信しています。
 また、近年では、国文学やメディア、情報科学分野との共同研究を積極的に推進。日本や中国など東アジア諸国とのインターネットを介した文化交流や、現代数学の見地に立った和算の発展と業績に関する研究など、グローバルかつ多彩な研究を展開しています。

国家的事業で世界と繋がる

 2004年に文部科学省「21世紀COEプログラム」に採択された『日本漢文学研究の世界的拠点の構築』やその後継事業として2015年から取り組んだ『近代日本の「知」の形成と漢学』(文部科学省「私立大学戦略的研究基盤形成事業」、以下SRF事業)においても東アジア学術総合研究所は、事業推進の中心的な役割を果たしました。
 いずれの事業も、日本文化理解のため、そして漢学や漢字文化の継承と発展を目的に、資料のデータベース化や文献資料調査の実施、研究者の交流ネットワーク構築などを行いました。特にSRF事業では「漢学」が解体・再編された過程を、通時的、共時的かつ多面的にとらえることによって、「漢学」から日本の近代化の特色や問題点を探るという研究プロジェクトを推進し、その集大成として『講座 近代日本と漢学』(全八巻・戎光祥出版)を刊行しました。

「漢学」とは、グローバルな「日本学」!牧角悦子(中国文学科教授)

(まきずみ・えつこ)1958年福岡県生まれ。九州大学文学部中国文学専攻卒業後、同大学院博士後期課程中退、九州大学文学部助手を経て、2001年二松学舎大学教授。2010年、「聞一多研究」で博士(文学)(京都大学)。2019年より文学部長(現職)、2021年4月より東アジア学術総合研究所所長。著書に、『中国古代の祭祀と文学 中国学芸叢書13』、『詩経・楚辞 ビギナーズ・クラシックス中国の古典』、『経国と文章―漢魏六朝文学論』など多数。

現代社会の構造も「漢学」を知ることで理解が深まる

 二松学舎は漢学塾から始まっており、「漢学」は本学にとってまさに「根幹」の学問です。漢学とは国際日本学です。日本のことを知るためには、日本文化と深く関わった中国の「漢文化」を知らなければなりません。日本の文化と中国の文化を融合した所に成り立つのが漢学(日本漢学)です。日本では古くから、学問といえば「漢学」でした。平安、戦国、江戸時代もそれが続きました。そして現在でも私たちは漢字を使っていますし、礼儀や道徳、秩序の重視など隅々まで中国文化、特に儒教の影響を受けています。
 戦後になって、民主主義という「個人」を大切にする考えが日本に入ってきましたが、長い時間かけて日本社会や日本人に根付いた「儒教」的な考えは、しばしば西洋的な考えや仕組みと衝突することになります。「漢学」は、隣国の異文化ではなく、我々の思想や精神性、文化そのものに血肉化されているのです。現代社会の構造を正しく理解するためには、日本の文化の背後にある儒教への認識が必要です。

世界的に注目される本学の漢学研究

 本学の漢学研究は中国をはじめ世界からも一目おかれる存在です。特に陽明学の分野では、我が国の高等教育における唯一の研究機関として長く貢献してきました。その理由は、豊富な文献資料と「古典」を読み解く高いスキルを持つ研究者がおり、名実ともに充実しているからです。
 COEやSRF等の国家的プロジェクトのみならず、高等教育機関における「研究」の重要性は、実利や実効性とは直接繋がらない自律的な文化価値の継承にあります。漢学もそうですが、人文学・古典学は、直接に現実的価値に結びつかないからこそ、政治や経済から独立した普遍的な価値を持つのです。学問を学問として尊重し継続することが、研究所に求められる大きな意義だと考えます。

「漢学」にまつわるQ&A

Q 昔の人はなぜ「漢学」を勉強したのですか?

A 近代までの日本では、学問といえば「漢学」でした。漢学の中心には儒教があります。儒教は、孔子の思想がもととなり、弟子たちによって深められていった教えですが、「礼」という道徳や秩序を重んじます。なので儒教は社会規範となり、さらに政治理念としても発展します。武士、僧侶、明治維新を支えた革命家、政治家、官僚、実業家など、時代のトップリーダーたちが「漢学」を学んだのは、天下国家をいかに治めるか、という統治思想を修得するためでした。また、江戸時代には「寺子屋」で町人の子供たちも、『論語』を学ぶことで、社会規範としての倫理観を身に着けていきました。

Q 漢学者である三島中洲先生を研究することで、何がわかるのでしょうか?

A 中洲先生は、江戸時代の末期に生まれ明治・大正まで生きた人です。激動の時代に即応して自分の生業を変えていきました。彼はトップエリートではありますが、彼の師である山田方谷のような変革者というわけではありません。時代の変化に柔軟に対応し、時代の求めた役目をスマートにこなした人です。彼を研究し分析することは、日本の前近代から近代までを生きた一典型を理解することで、「日本の近代化」の意味を考察することに繋がるのです。

學vol.58

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。