學vol.56

理事長対談 vol.24「水戸英則×鳥羽博道」

理事長対談 vol.25

新型コロナウイルスの流行によって、一変したかのように感じられる社会。先行きが見通せず、不安を覚える人も多いのではないでしょうか。臨済宗南禅寺派顧問・前管長の中村文峰氏は、本学大学院で中国学を学ばれました。禅の教えを伝え続ける中村氏に、これからの時代の生き方を聞きました。

※新型コロナウイルスの流行を踏まえ、対面ではなくメールの往復による対談を行いました。

水戸 中村顧問が昭和44年から5年間、本学大学院で中国学を学ばれたのは、どのようないきさつでしたか。

中村 「大哉心乎」。これは「大いなる哉心(かなしん)や」と読み、京都の建仁寺を開いた栄西禅師の言葉です。心はなんと大いなるものであるか。天がどれほど高くとも、地がどれほど深くとも、心は自由にそれらを超えていける。そういう意味です。我々禅宗の僧侶は、修行をすることで自身の心を徹底的に見直し、自分の中に仏を見つけます。それは何物にも縛られない自由な心であり、まさにその境地が「大哉心乎」と言えるのです。昭和15年、私は出家得度して仏弟子となりました。当時10歳の頃であります。小僧生活を経て昭和27年、南禅寺専門道場へ掛搭(かとう)し、一通り修行も落ち着いた昭和44年、今度は漢文漢詩を修するために貴学大学院へ入学することになりました。

水戸 厳しい状況に身を置いたとしても、心が自由であれば常に学び続けることができるのですね。本学の大学生や中高生に伝えたい言葉です。

中村 学生の時に与えられた言葉は、その人の一生に影響をもたらします。私が山口県の洞春寺に小僧としていた時の話です。当時、洞春寺の住職は後の南禅寺派管長である中村泰祐老師が務めておられました。洞春寺に下宿していたある学生が、卒業に伴い下宿からでることになり、泰祐老師に「どの様に生きていくべきか」と思いをぶつけました。すると泰祐老師は一言「社会に尽くすことだ」と仰いました。学生はその言葉をずっと胸に留め、社会に出てもできるだけのことを行ってきました。その学生とは、はごろもフーズ(本社・静岡市)元会長の故後藤磯吉氏です。後年、静岡市で福祉及び教育奨励基金を創設するなど、社会に多く貢献しました。自分の本分を知り、それに即した生き方をする。それが生死を明らかにするということなのです。

理事長対談 vol.25「水戸英則×中村文峰」

みと・ひでのり●1969年九州大学経済学部卒業。日本銀行入行、フランス政府留学、青森支店長、参事考査役などを歴任。2004年、二松学舎に入り、11年理事長に就任。文部科学省学校法人運営調査委員、日本私立大学協会常務理事、日本高等教育評価機構理事など

水戸 本学の長期ビジョン「N'2030Plan」でも、社会貢献に尽くす人材の育成を目標にしています。そうした生き方をなすために、心がけるべきは何でしょうか。

中村 昭和48年、私は貴学の大学院を卒業し、昭和53年には岐阜県多治見市の虎渓山僧堂(専門道場)の師家となりました。そこで雲水に向かって常に言ってきたのは「一日一学」です。雲水とは修行僧のことでありますが、「一日を充分使い尽くして生きよ。僧堂を出ても実践せよ。もし、何もすることがなかったら、辞書でも一枚めくりそれを引用せよ」と言ったものです。今日(こんにち)のこの時を充分使い、人生の一日一日を大事に使いなさいということです。

水戸 日々の地道な積み重ねが、豊かな人間性を育むのですね。さて、現在は新型コロナウイルスの影響で、社会の先行きが不透明になってきました。こうした時代に向き合い、生き抜いてく若者たちへ、ご助言をいただけますか。

中村 禅書『無門関』にこんな話があります。ある僧が趙州和尚に「達磨さんが伝えられた禅の本当の精神は何か」と聞くと、「庭前の栢樹子(はくじゅし)」。つまり、「目の前の庭に立っている一本の栢槙(びゃくしん)の樹だよ」と答えられた。話は簡単であるが、意味深長であります。古人は「そのものそれよ」と答えていますが、人と栢樹子と一つになってこそ人境一致であり、心と境とを対立的に見ていないのです。理屈を捨てきった絶対的な境涯、思慮分別を超えた徹底的な「無心」、そこに心と外との境など存在しないのです。
 できる限り自分に厳しく、多くを望まないということは大変難しいことであります。しかし一旦それができてしまうと、「無い」ということに不満や不安を覚える苦しさからは解放され、楽に生きることができるのです。天変地異や不況など、人知の及ばない状況になった時こそ、庭前の栢樹子のように、そこにある「そのままを受け入れる」という心がけが大切であるといえます。

水戸 社会で何が起こっても心は自由であり、日々、自分を律するべきことは変わらないのですね。禅の教えは、改めて身にしみるものがあります。

理事長対談 vol.25「水戸英則×中村文峰」

なかむら・ぶんぽう●臨済宗南禅寺派 顧問・前管長/軒号・香南軒(こうなんけん)。昭和5年山口県生まれ。昭和15年山口市洞春寺に得度。昭和27年京都南禅寺専門道場に掛搭。昭和47年南禅寺塔頭慈氏院住職。昭和48年二松学舎大学大学院博士課程修了。昭和53年虎渓山永保寺住職。昭和56年大本山南禅寺で視篆開堂、昭和56年永保寺開山佛徳禅師650年遠緯厳修・諸堂改修。昭和62年永保寺無際橋修理。平成2年虎渓山専門道場開単150年記念事業として大書院碧天閣建立。平成7年多治見市山吹町に蔵春寺を再興。平成12年蔵春寺境内に夢窓塔建立。平成14年臨済宗南禅寺派管長。平成24年南禅寺派伊勢金剛證寺兼務住職。令和2年から現職。

學vol.55

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。