學vol.54

特集:渋沢栄一 〜受け継がれる「論語と算盤」〜

特集:渋沢栄一 〜受け継がれる「論語と算盤」〜

近代日本を代表する実業家であり、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、「論語」を生涯の指針に掲げ、「論語と算盤」―道徳と経済、倫理と利益追求の両立、すなわち「公益」を追求し続けた人物です。
本学の第三代舎長も務めた渋沢は本学の創立者・三島中洲とも関係が深く、渋沢の哲学である「道徳経済合一説」は、中洲の「義利合一論」に論拠を持つと言われています。
今、再び脚光が集まっている渋沢の、真の姿と本学との関わりについて、渋沢史料館の館長井上潤さん、本学卒業生で論語塾講師の安岡定子さんに、本学副学長の中山政義教授が聞き役になり、お話を伺いました。

幼い頃から「論語」が身近にある生活

中山 2024年から新しい一万円札の顔になることが決まった渋沢栄一は、2021年の大河ドラマの主人公にも決まるなど、今までになく注目が集まっていますね。

井上 本当の意味での渋沢栄一像に迫ってもらえるよい機会がめぐってきたと思っています。渋沢は実業家としてよく知られていますが、単なる実業家ではなく、世の中全体を見渡して組織化をしていくオーガナイザーであり、常に「公益」を目指し続けた人です。

中山 いつから「公益」への意識を持っていたのでしょうか?

井上 渋沢は、現在の埼玉県深谷市に生まれました。この地は経済活動がもともと活発な地域でした。渋沢の父親は非常に厳格な人で、渋沢を正すときには必ず「論語」の一節を引用したと言います。商売人であった父親も、「道徳・道義」を意識しながら経営をうまく軌道に乗せていたことを、渋沢は身にしみていたのだろうと思います。
 加えて幕末に幕臣としてヨーロッパに行く機会があり、その際、いろいろな事業が「会社」という組織で行われているということを知ります。渋沢にとって最も大きな影響を与えたのは、スエズ運河の開削工事でした。当時、まだ運河は開通しておらず、渋沢はスエズからアレキサンドリアまで数百キロを鉄道で移動します。その開削工事に当たっているのが、フランスの一企業だったことに渋沢は驚きます。
 この事業をなし遂げることによって、企業に利益をもたらすだけでなく、世界中の人々のインフラ面からも大きな益をもたらす。また出資をした人たちにも富の分配があるなど、自分の利益以上にみんなの利益(公益)の意識を強く持つのが先進国であるゆえんだなと、いたく感動するわけです。

『論語と算盤』1955年刊(渋沢史料館蔵)

『論語と算盤』1955年刊(渋沢史料館蔵)

中山 子どもの頃から身近に「論語」があり、また「商売」もあった。そこに世界の見聞が加わり、「公益」の考え方の起点が出来たわけですね。安岡さんも、おじいさまが高名な陽明学の大家でいらっしゃる安岡正篤先生ですから、幼少期から論語は大変身近な存在として、生活をされていたのでしょう。

安岡 祖父は、私に関しては何でも好きに自由にさせてくれていました。私自身高校時代から漢文が好きでして、国語の先生になりたいと思っていました。日常の会話の中でふと祖父に「大学で漢文を学びたい」と話したら、「それなら一流の先生がそろっている二松学舎しかないだろう」と。もうそう言われましたら、ほかの選択肢はないわけです(笑)。
 入学して、陽明学のゼミをとりましたが、白文(*)で読むことに精一杯で、当時は中身まで味わうことはできませんでした。卒業して10年以上経ってから、もう一度漢文をきちんと学び直したいという気持ちになり、地元の区が主催する区民大学の「論語」の講座を受けるようになりました。そこで、著名な漢学者の田部井文雄先生に教えていただいたのですが、基礎である漢文を二松学舎でしっかり勉強していたことが役に立ちました。田部井先生からも出身校を聞かれた際、二松学舎の名前を出したところ、「それはあなた、本物ですね」とおっしゃられ気恥ずかしく思ったものです。

*白文 返り点や読み仮名が振られていない原文としての漢文。

「社会のオーガナイザーであった渋沢は、個人の利益ではなく常に、公益を目指し続けた人」 渋沢史料館館長 井上 潤

(いのうえ じゅん) 1959年生まれ。明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業。専門は日本村落史。共著に『村落生活の史的研究』(八木書店・1994年)、著書に『渋沢栄一 近代日本社会の創造者(日本史リブレット人085)』(山川出版社・2012年)などがある。2004年より現職。

三島中洲との出会いと『論語と算盤』

中山 渋沢と本学には、深い関係があります。特に本学の創立者・三島中洲との親交が深く、渋沢の哲学である「道徳経済合一説」は、中洲先生の「義利合一論」に論拠を持つと聞きます。

井上 渋沢と三島の関係で一番よく言われるのは、「論語と算盤」という、渋沢が非常に気に入って使った言葉を、最初に提示したのが三島であったということです。二人の交流は、明治10年ごろからあったように見受けられますが、三島が先行して説いていた「義と利を分けて考えるべきではない、利は義から生まれる結果である」といういわゆる「義利合一論」は、渋沢が同意できるものと、強く感じていたのだろうと思います。とはいえ、渋沢が道徳と経済について語るようになったのは、明治30年以降です。それを「論語と算盤」という言葉で語るようになったきっかけになったのが、この絵です。

論語と算盤図/小山正太郎画(渋沢史料館蔵)

論語と算盤図/小山正太郎画(渋沢史料館蔵)

安岡 有名な絵ですね。

井上 渋沢が明治42年に古希を迎えた際、ほとんど関係していた企業の役員をリタイアするわけですが、当時東京ガスの取締役をしていた福島甲子三が、それまでの渋沢の実績を、有名な書家や画家に描いてもらい、一冊の画帖を贈りますが、その中に洋画家の小山正太郎が描いた一枚の色紙がありました。ここで描かれているのは、朱鞘の大刀とシルクハットと白手袋。まさに武士道と紳士道を兼ね備えた人として渋沢を現し、そこに論語と算盤が描かれています。この絵を見た三島が、渋沢に文章を贈っています。
 その後、渋沢は「論語と算盤」というタイトルで講演をしたり、文章を書き始めたりしますが、最初に必ず「小山の絵と三島の文章をもらって、私はこの言葉を気に入っている」とそのいきさつを述べています。

中山 本学の経営面においても、非常に尽力くださっています。渋沢は70歳の高齢にもかかわらず、二松義会(*)の顧問になり、その後会長理事にも就任しています。

*二松義会 二松学舎維持のための経済的な協力組織。

井上 三島が亡くなった後は、舎長をしっかりと引き受けて、学校の基盤を築いていますね。拡張するにあたっては、土地の確保や運営のため、自分が培ってきた財界のネットワークを駆使して基金集めをしたこともわかっています。

中山 なぜそこまで力を尽くしてくれたのでしょうか。

井上 日本の教育の基盤に、漢学教育をきちんと据えておくべきだと言い続けてきた人だからです。世の中が繁栄すると、経済や産業や技術面に目が向けられがちですが、失ってはいけないのがいわゆる国語、漢文です。ですから、漢文教育不要論が出て来た時は、それを阻止する行動を率先してとっていました。また、卒業生には教員免許を提供するシステムまで築きあげ、養成機関としての二松学舎も作り上げたのです。

中山 本学はこれまでずっと国語教育に力をいれ、また教員も多く輩出してきたわけですが、その道はまさに渋沢が敷いてくれたと言えますね。

「企業の社会貢献(CSR)について、明治維新より考えて行動していたことが驚きです」 二松学舎大学副学長 中山政義

(なかやま まさよし)1956年生まれ。日本大学法学部政治経済学科卒業後、同大学法学専攻科修了。1988年アメリカ、カリフォルニア州 Armstrong University大学院国際経営専攻修士課程修了(MBA)。 専門は企業法、経済法。1996年二松学舎大学国際政治経済学部教授、2015年国際政治経済学部長・国際政治経済学研究科長に就任。2019年より現職。

渋沢史料館蔵

第一国立銀行は、明治6年に渋沢栄一によって創設された日本最古の銀行であり、日本最初の民間資本による民間経営の株式会社。当時の最高の建築技術で建てられた和洋折衷の建築物は、東京名所ともなり錦絵にも度々絵が描かれた。(渋沢史料館蔵)

「渋沢と中洲先生の関係のように、一生を通じよき人物に出会い、学ぶことが大切」 論語塾講師 安岡定子

(やすおか さだこ)1960年東京都生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。安岡正篤の孫。現在、「銀座おとな論語塾」、「斯文会・湯島聖堂こども論語塾」等、論語の講師として全国各地で定例講座を開催し、子どもたちやその保護者、ビジネスマンへ、論語の魅力を伝えている。

「論語」と師との出会い

安岡 私も教員免許を取りましたし、同窓生も9割ほどは国語教師の道に進んだと思います。様々な場所で活躍している同窓生と再会することがあります。私自身は、大学での基礎の学びと社会人になってからの師との出会いが、論語塾講師をしていく上での、支えになっています。論語塾では、子どもから大人まで、幅広い方々と論語を読んでいます。ビジネスマンも多くいらしています。

中山 企業の経営者が「論語」から学ぶことがよくあると聞きます。「論語」は、二千五百年も前に書かれた「古典」にもかかわらず、これだけ変化の激しい時代の実業家やビジネスの世界で生きる人たちが、手本にするというのは、なぜなのでしょうか。

安岡 それは「論語」には、原理・原則が書かれているからだと思います。逆に言えば、それしか書いていない。例えば、会社で人間関係に悩んでいる時に、どの章句を読んだら解決するのか、答えを求めがちですが、実は論語にはハウツーが書いてあるわけではなく、具体的な答えは得られません。根源的なところを養うもので、触れ続けることが大切です。私の実感としては、不遇や悲運にみまわれた時こそ、力を発揮するものだとも思っています。
「論語」にたびたび出てくる「仁」は、誠実さ・思いやりなどいろいろな言葉に訳されます。私は子どもたちに話をするときには、「心の中のクッションの厚み」というふうに言います。クッションに厚みがあると、困難なことにぶつかったり、いやなことがあり、心が深く沈み込んでも、ゆっくりともとにもどることができる。ポキンと折れたり壊れたりはしない、という話をしています。大人も同じですね。心に哲学があるかないかで、変わります。経営者は、決断をする時は、全部自分の中にあるものを総動員して一人で決める。実に孤独ですよね。

中山 企業のトップは熾烈な競争の中に置かれているわけですから、論語を学ぶのもわかります。

安岡 渋沢の哲学の根本に、「論語」と中洲先生との出会いがあったことも、注目してもらいたいです。論語と人との出会いによって、私たちの「仁」は磨かれていくのです。

中山 そうですね。本日は様々なお話をありがとうございました。

「論語と算盤」―その目的の現代的意義

渋澤 健

 渋沢栄一は合本主義によって会社の利益が多数へ還元され、国が富むことを目指していました。――一人ひとりが豊かになれば、国が豊かになる。民間力の向上によって、国力が高まる。そして、その未来を実現させる主役は民間の一人ひとりである――渋沢栄一は、「未来を信じる力」の持ち主でした。

 その民間人が導く豊かな国の未来を実現させるために渋沢栄一が唱えたのが「論語と算盤」でした。「論語と算盤」の目的の現代的意義とはサステナビリティ(持続可能性)だと思います。論語「か」算盤ではなく、あくまでも論語「と」算盤です。この二つは、未来へ前進する車の両輪のような関係であり、片方が大きくて、片方が小さければ、同じところを回るだけで前進することができません。

 そして、ここで大事な要素となるのは、経済社会の原動力となる大河のようにお金が循環することです。それは自分の身丈に合った消費をすること。よりよい社会のために自分の想いを抱いた寄付をすること。そして、持続的な価値創造を対象とした投資を実践すること。

 私たち一人ひとりも「未来を信じる力」を少なからず持っています。その微力な未来を信じる力が一滴一滴と寄り合って流れ始めれば「今日よりもよい明日」を実現させる勢力になることでしょう。

 ※「シブサワ・レター」(2019年5月号)より

渋澤 健

コモンズ投信株式会社取締役会長/シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役/学校法人二松学舎評議員

(しぶさわ・けん)1961年生まれ。渋沢栄一の5代目子孫。UCLA大学でMBA取得。ファースト・ボストン、JPモルガン、米ヘッジファンドであるムーア・キャピタルなどを経て2001年に独立。著書に『渋沢栄一 愛と勇気と資本主義』(日経ビジネス人文庫)他多数。

二松学舎の論語教育―先達の知恵を学ぶ
多様な角度から『論語』そして、その精神に触れています。

「東洋の精神による人格の陶冶」を建学の精神として揚げている学校法人二松学舎。
 附属高校及び附属柏中学校・高校では、思いやりを持った、豊かな心を育てることなどを目的に、コースや学年を問わず、生徒たちは必ず『論語』を学びます。
 附属柏中学校では、モーニング・レッスンの中で週2日『論語』を勉強しています。また、漢文検定(漢字文化振興協会)テキストを利用しながら「素読・暗唱」を実践。漢文検定にも全員が取り組み、1年初級、2年中級、3年生では上級を受験します。附属柏高校では、英訳入りのオリジナルテキストを使って学習。英語での学びが、章句の意味をより深く考えることにつながります。また総合的な学びの時間としても毎週1時間、『論語』を学んでいます。
 附属高校も総合的な学びの時間として毎週1時間『論語』を学ぶ他、授業以外の活動として、毎年、「湯島聖堂」で行われる孔子祭(孔子とその学問を顕彰する行事)に参加し伝統文化に実際に触れるなど、附属校の生徒たちは多様な角度から『論語』とその精神を学んでいます。

漢文検定テキストを使っての素読や暗唱(附属柏中学校)

孔子祭参加の様子(附属高校)

附属柏高校では英訳入りのオリジナルテキストで『論語』を学びます

論語と算盤図/小山正太郎画(渋沢史料館蔵)

三島中洲と渋沢栄一

 創立者の三島中洲と渋沢栄一は、渋沢が、亡くなった千代夫人の墓碑銘の撰文(せんぶん)を中洲に依頼したことをきっかけに、親交を深めていきました。渋沢の考える「道徳経済合一説」と中洲の「義利合一論」(義と利をわけて考えるべきではない、真の利は義から生まれる結果である)といった考え方が一致し、ふたりは意気投合します。二松学舎から出版した渋沢の著書『論語講義』に次のような内容が書かれています。

中洲先生の「義利合一論」は私が常に心に置いている経済道徳説を、儒教によって確固たる根拠のあるものにしてくださった。私の論語算盤は、これにより一層光彩を添えた。

 明治維新のパラダイム転換のなかで渋沢は、欧米の民主主義と資本主義を基盤とする思想と機構を取り入れ、金融を核とする商工業の制度や技術を日本に導入し、近代日本の経済社会に大きく貢献しました。一方で常に「論語」に基づく東洋道徳にその根底を置き、欧米の追随ではない日本型社会の実現を追求しました。東洋道徳を根底とする点において、渋沢と中洲の間には深い交流があったのです。
 以下、「論語と算盤」より

 一日、学者の三島毅先生が私の宅へござって、その絵(※論語と算盤図)を見られて、「甚だ面白い。私は論語読みの方だ。お前は算盤を攻究している人で、その算盤を持つ人が、かくのごとき本を充分に論ずる以上は、自分もまた論語読みだが算盤を大いに講究せねばならぬから、お前とともに論語と算盤をなるべく密着するように努めよう」と言われて、論語と算盤のことについて一つの文章を書いて、道理と事実と利益を必ず一致するものであるということを、種々なる例証を添えて一大文章を書いてくれられた。……ただ空理に趨り虚栄に赴く国民は、決して真理の発達をなすものではない。ゆえに自分等はなるべく政治界、軍事界などがただ跋扈(ばっこ)せずに、実業界がなるべく力を張るように希望する。これはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。

(『論語と算盤』渋沢栄一/発行:株式会社KADOKAWA)

 渋沢の「論語と算盤」は、現代に受け継がれ、経済人をはじめ国内外の多くの人々から支持されています。

論語と算盤図/小山正太郎画(渋沢史料館蔵)

※論語と算盤図/小山正太郎画(渋沢史料館蔵)

▼左上文
論語を礎として商事を営み
算盤を執て士道を説く
非常の人非常の事 非常の功
明治四十二年一月下浣画於
先楽山荘香温茶熟處 正

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広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。