學vol.53

新学長に聞きました

新学長に聞きました

私塾・漢学塾の伝統が今も生きる国やジャンルを横断する知の学府(学長 江藤茂博)

人文社会科学の総合的な学び舎に進化

 本学は言葉の力、「国語力」を学びの基本に、漢学塾二松学舎から国漢の旧制二松学舎専門学校、そして新制二松学舎大学へ、この140年を超える間、時代に応じて常に変化をしてきました。
 新制大学移行時は文学部のみ、学科は国文学科と中国文学科という単科大学として出発。東洋学の研究拠点として大学院を充実させながら、40年余り文学専門の教育研究機関としての役割を果たしてきましたが、1991年には国際政治経済学部を設置し、人文社会科学および国際学に学びの領域を広げた、いわば小さな総合的教育研究機関としての役割も担うようになっています。2017年には文学部に都市文化デザイン学科、2018年には国際政治経済学部に国際経営学科を新設し、学びの領域をさらに広げました。
 文学部においては、国文学科や中国文学科という国や言語単位の学問に都市文化デザイン学科が加わることで、都市単位の新しい視点からも世界を考えることが可能になりました。上海、北京、ニューヨーク、ロンドンそして東京など、世界のビジネスやカルチャーは大都市によって動いているといっても過言ではなく、その発信地の研究のために、世界中の人々が集まる東京・秋葉原でラボを開設しています。本学のキャンパス自体は広くありませんが、都市も学びの場とすれば、知のフィールドワークの教場は無限に広がっていくのです。

二松学舎の素材を生かす

 学長はプロデューサーだと思っています。私の役割のひとつは、本学がもっている様々な素材をどう生かすか。そのひとつが国際化です。
 文学部の学生のうち30人に1人が海外の大学からの交換留学生であり、本学も東アジアを中心とした海外協定校に交換留学生を送り出しています。シンガポールはもちろん、台湾にもすべての講義を英語で行う大学があり、たとえばそこに留学すれば、英語圏に行かなくても英語力を身につけられる。それも東アジアならではの大きな利点でしょう。
 東アジアとの学術交流を進めてきた結果、二松学舎で学んだOB・OGたちが各国の大学で日本学などを教えています。そうした卒業生を本学に招聘し、日本学シンポジウムなどの国際学術会議を開催すれば、彼らの教育研究のスキルも上がるし、何よりも東アジアにおける二松学舎大学の知名度ならびに発信力が高まっていくに違いありません。また、都市文化デザイン学科と国際経営学科の双方で単位を取得し、新しい学位で卒業できるような学部横断的な学び(学位プログラム)についても検討したいと思っています。ジャンルを超えた学びがフレキシブルにできるのは学部間の結びつきが強い本学ならではの強みであり、また、本学が培ってきた国漢研究を通して得ることのできる言葉の力が政治学や経済学、そして経営学などの学びの領域でも発揮されると思います。

私塾からの伝統

 漢学塾からスタートした本学の伝統は、教員と学生の距離の近さに今も生きています。講義の後に学生が研究室を訪れるのは当たり前、私の研究室のドアも開けっ放しです(笑)。卒業論文や就職に関わるきめ細やかな指導が高く評価されているのも、私塾の伝統文化が生む信頼関係と豊かなコミュニケーションに拠るところが大きいのではないでしょうか。
 2017年10月、創立140周年記念式典において新たな長期ビジョン「N2030 Plan」が水戸英則理事長より発表されました。「①本学の建学の精神に基づいた2030年時代を生き抜くために必要な能力と人間性を保持した学生を育成する、②大学、両附属高等学校、中学校をさらに優れた学校にしていく総括目標を設定する、③新時代21世紀におけるカリキュラム改革を実行する」こうした3つの柱は、私が申し上げた本学の素材を生かしていくことと結びつくものだと思っています。新たな時代の学び舎をつくっていきましょう。

江藤茂博

江藤茂博(えとう・しげひろ)1955年長崎生まれ。二松学舎大学博士(文学)。立教大学大学院文学研究科博士課程後期満期退学。イリノイ大学客員研究員、十文字学園女子大学教授などを経て、二松学舎大学文学部教授、また浙江工商大学客員教授、周口師範学院客員教授、大正大学客員教授などを兼務した。2009年より二松学舎大学文学部長、2011年より文学研究科長兼務、2019年4月、二松学舎大学学長に就任。専門領域は、文芸・映像・メディア論。主な著書・編著に、『文学部のリアル、東アジアの人文学』『メディア文化論』『20世紀メディア年表』『「時をかける少女」たち』など多数。

學vol.53

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。