學vol.53

特集:『令和』を巡る物語

特集:『令和』を巡る物語

新しい元号「令和」が2019年5月1日より施行されました。これまで漢籍由来だった元号が、初めて日本最古の歌集「万葉集」、国書を典拠にしたことも大きな話題を呼びました。元号は現代の私たちの生活や暮らしにも、密接にかかわりを持っていますが、どのような歴史的意味や役割を持ち、今日まで続いてきたのか、一般にはあまり知られていません。そこで本学顧問・名誉教授の石川忠久先生と佐藤保先生にお話を聞くとともに、本学国文学科の塩沢一平教授、沖森卓也教授からの特別寄稿を掲載します。中国古典と日本文学(古典から現代まで)を、複合的に学ぶことができる本学ならではの切り口で、「令和」を巡る物語を紹介します。

元号とは何か?漢詩研究の第一人者石川先生に聞く。

元号とは何か?漢詩研究の第一人者石川先生に聞く。

日本だけに唯一残った「元号」

 元号のルーツは中国です。紀元前2世紀の漢の時代に武帝が定めた「建元」が一番古いと言われています。日本は、当時あらゆる面において先進国だった中国から、先進的な文化や国の制度も取り入れようと、遣隋使、遣唐使を送っており、その時に元号も取り入れました。日本においての独自の元号は、いわゆる「大化の改新」(*)によって、孝徳天皇が定めた「大化」が、日本で一番古い年号になります。それから「令和」まで248の元号があります。

※当時大きな権力を持っていた蘇我入鹿を中大兄皇子らが殺害をした事件を受けて、皇極天皇が譲位を行い、皇位についた弟の孝徳天皇が「大化」を定めた。

 元号は、国家の大きな「体制」の一つでした。東アジアの漢字文化圏に特有の制度であり、これがないと国の形が整わないと思われていたのでしょう。日本は後追いで元号を取り入れましたが、結果として現在は日本にだけ残りました。

 私は、これはいいことだと思っています。「平成」「昭和」「大正」「明治」と聞くと、その時代のイメージというものを、すぐに思い浮かべることができる。元号は、明治以降は天皇の即位と結び付けられてきましたが、「時代相」としてその時代の雰囲気、様子を表してきた「文化」としても私たちに根付きました。

日本文化の根っこには、中国古典があり

 新元号が「令和」になったと聞いて、良い字を選んだと思いました。令は、命令という言葉から冷たいイメージを思い浮かべる人もいますが、「善いもの」という意味があります。画数も多くないし書きやすいのもいい。出典が日本古典である万葉集なのもいい。これまではずっと漢籍(中国古典)が典拠でしたから。とはいえ漢文は、日本の重要古典のひとつであり、和歌、俳句など日本独自の文化の根っこには、全て漢文があります。かつての文人は皆、中国古典を学んでおり、日本の文化は漢字がないと成り立たないでしょう。

 元号は、昔からその時代の一番権威のある人、教養のある人が合議をして決めたんだろうと思います。複数の人が集まり、かなり秘密の会議をやったのではないでしょうか。今は学者たちが集まって合議をすることはありませんが、元号考案を預からせてもらうことは名誉なことです。仲間うちでも話はできませんね。みなさん、胸の中にしまっていますよ。

(いしかわ・ただひさ)1932年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(文学)。桜美林大学教授を経て、1990年に二松学舎大学教授、その後学校法人二松学舎理事長、二松学舎大学長を務める。現在は学校法人二松学舎顧問・二松学舎大学名誉教授、桜美林大学名誉教授、斯文会理事長、全日本漢詩連盟会長などを務める。2008年に瑞宝中綬章を受章。主な著書に『日本人の漢詩 風雅の過去へ』『石川忠久 漢詩の講義』『漢詩の楽しみ』など漢詩の著書多数。

「令和」万葉集と歌謡曲・J-POP・三浦大知

国文学科 教授 塩沢 一平

当時最先端の漢詩から、ジャパンオリジナルな和歌として表現した

 万葉集は、過去の断絶した遺物ではない。万葉集研究を援用して、現代の歌謡曲・J-POPを考えることも不可能ではない。逆に現代のコンサートでの熱狂から、万葉の祭りや宴席歌の役割を考えてみるのも面白い。
 「令和」は万葉集の巻五、「梅花の宴」天平二(七三〇)年序文から選ばれた。詳しくは沖森卓也教授の文章に譲るが、当時最先端のインポート品、白梅を詠んだものである。その序文や構成は、書道の手本としても有名な「蘭亭序」を摂取している(「蘭亭序」は序+名士による四二篇の漢詩で構成され、「梅花の宴」は漢文序+国司らの三二首の和歌で構成されている)。「初春令月」も中国詩のアンソロジー『文選』からのものである。漢籍をオマージュしつつ、正月の祝宴に相応しいものに改編している。つまりグローバルを明示し開かれた序文となっている。
 序文に続き、梅の歌が三十二首続く。最先端のインポート品、白梅をそのまま漢詩で詠むのではない。漢文序・漢詩に比肩しうるものとして、ジャパンオリジナルな和歌で表現している。「和歌」を意味する「倭歌」が登場するのも、まさに同じ年天平二年で、同じ巻五に収載された、山上憶良が大伴旅人に献上したものである。
 このように「令和」は、「梅花の宴」を、媒介としグローバルに開かれ、またジャパンオリジナルを象徴するものとなっている。
 現在のJ-POPでこれに相当するアーティストは、まだ存在しない。しかし、その試みを実行するアーティストがいる。それは三浦大知である。大知は、九歳でFolderとしてデビューし、当時からジャクソン5の「I WANT YOU BACK」など洋楽を日米両カ国語でカヴァーしていた。その後も、ヒップホップやEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を積極的に楽曲に取り入れてきた。二〇一七年、一八年と連続して紅白歌合戦にも登場し、実力が認知されるようになった。紅白後の楽曲「Be Myself」、「Blizzard」には、ヨナ抜きの日本音階が用いられている。前天皇在位三十年記念式典では、両陛下作詞作曲の「歌声の響き」を沖縄方言で披露もした。「飛行船」では、和楽器尺八を取り入れ、「はっ」という日本的な掛け声も聞かれる。大知は「英語ではなく、日本語の歌詞で世界に認められたい」とも繰り返し述べている。
 「令和」というグローバルでジャパンオリジナルな時代に、三浦大知が、これを象徴するように世界に認められるときが来ることを、万葉集から歌謡曲・J-POPまでの研究者として予想してみたい。

国文学科 教授 塩沢一平

(しおざわ・いっぺい)1961年鎌倉生まれ。文学部教授。東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。大学時代、「令和」の考案者でもある中西進先生のゼミ生となり、万葉の魅力にとりつかれ、研究者となる。専門は、万葉集から歌謡曲・J-POPまでの日本の歌。著書に『万葉歌人田辺福麻呂論』、共著に『東アジアの知』、『『万葉集』と東アジア』など、近時の論文に「歌謡曲、J・POPに見られる『君』の変遷-女が男を『君』と呼ぶ歌の誕生」、「家持が幻視した娘子」など。

『令和』によせて

国文学科 特別招聘教授 沖森 卓也

令月に、風は和やかで、白梅が美しく咲く

 大伴旅人は神亀元(七二四)年に、聖武天皇即位に伴って正三位に昇進するが、その後の神亀五(七二八)年頃に大宰帥として六十歳を過ぎてから九州に下向した。左遷人事とは言わないまでも、翌年(七二九)二月に起こる長屋王事件を踏まえると、政治の中枢から旅人を外しておくための深謀遠慮によるものかとも考えられる。旅人は『万葉集』に酒を讃める歌を残すように、酒を愛したことでも知られているが、それは政治的に無関心であるさまを装うための演出だったのかもしれない。ともかく、中央の政界から距離を置いて中立的でいられた点で、結果として悪くない人事であったろうし、大宰府在任中に山上憶良らと交流し筑紫歌壇を形成でき、精神的に一時の安らぎを得たことは実に幸運であったと言わざるを得ない。そして、天平二(七三〇)年正月十三日に大宰府の役人、九州各国の国司などが旅人の邸宅に一堂に会して催された梅花の宴で、筑紫歌壇はピークを迎える。
 その宴で歌われた歌三十二首に、大伴旅人が著した漢文の序を付したテキストが『万葉集』巻五に収められている。その詩興をそそられる状況を、序に「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫ず」というように、新春を迎えたよき月に、空気は澄み風が和やかで、白梅が美しく咲いていると記している。新元号「令和」はこの「初春令月、気淑風和」を典拠とすると発表された。典拠を国書とした旨が述べられたが、その後、この字句が『文選』に収められた張衡(後漢の文人)が作った「帰田賦」に見える「仲春令月、時和気清」(仲春の令き月、時は和らぎ気は清し)に影響されているとの指摘があった。
そもそも、漢文の表現は対句、比喩、そして典故を特色としている。このうち、典故とは、先人による語句を取り込むことによって、重層的に含意するところを広げ、自らの表現内容を豊かにすることである。すなわち、漢文では典故があることがよい文章である証しであって、典故がないのは独創性があると褒め称えられるのではなく、むしろ無教養の凡人のしわざであるということになる。このように、日本漢文に中国古典に典故のある語句があるのは必然的なことなのである。「令」と「和」が隣り合って用いられていることではなく、その詞藻が基づく文学的な空間こそが重視されるべきである。「令和」には、寒い中にあっても凜として咲き誇る白梅、その精神性が比喩として取り込まれていると見るのも一興であろう。

国文学科 特別招聘教授 沖森卓也

(おきもり・たくや)1952年三重県伊賀市生まれ。東京大学大学院修士課程修了。博士(文学)。白百合女子大学助教授、立教大学教授を経て、現在立教大学名誉教授。専門分野は、日本上代文学。著書に『日本古代の表記と文体』、『日本古代の文字と表記』、『日本語全史』、共著に『風土記―常陸国・出雲国・播磨国・豊後国・肥前国』、『古代氏文集』など、近時の論文に「漢字文化圏としての韓国語と日本語」、「和語の特色」など。

万葉集、ここがすごい!

一躍脚光を浴びた日本最古の和歌集『万葉集』を研究している塩沢ゼミナールの学生3人に、好きな歌やその魅力など聞きました。

千年以上も研究され続けていても、まだ発見がある奥の深さがすごい――中島つぐみさん(国文学科4年生)

千年以上も研究され続けていても、まだ発見がある奥の深さがすごい――中島つぐみさん(国文学科4年生)

平安時代の初頭には、万葉仮名のため既に訓みが定まらなくなっていた万葉集。当時の学者たちが集められ解読したことで、今日まで読み継がれることになった逸話に感動。「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき」は、擬音と情景がオーバーラップするところが魅力。

万葉集には、実は様々な匂いを感じる。その表現分析が卒論のテーマ――林直輝さん(国文学科4年生)

万葉集には、実は様々な匂いを感じる。その表現分析が卒論のテーマ――林直輝さん(国文学科4年生)

「よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ」は、音のリズムが良く遊び心もあって楽しい。漢字の原文を読むと、より理解も深まる。万葉集研究において、匂いについてもまだまだ解明されていないようなので、取り組んで新発見したい。

4516首という圧倒的な数の多さ、様々な読み手がいる多様性も魅力s――延平梨那さん(国文学科4年生)

4516首という圧倒的な数の多さ、様々な読み手がいる多様性も魅力――延平梨那さん(国文学科4年生)

こんなに有名な古典なのに、漢字の訓み方がまだ解明されていなかったり、作者がわからない歌が半数近くであったり、巻十六には謎歌のようなものまで。誰に向けてなのか、虚構の歌なのか、現実なのか…。ファンタジーの世界のようなところも、好きなところです。

二松学舎大学の文学部カリキュラム紹介

本学の文学部では、幅広いジャンルの中から興味・関心のある分野を深く学ぶことができるのはもちろんのこと、学部や学科を超え、網羅的に広く知識を身に付けることも可能です。

二松学舎大学の文学部カリキュラム:専攻科目32単位/自由選択科目28単位

【深く学ぶ】

国文学専攻を例にあげると、領域としては「上代」「中古」「中世」「近世」「近現代」と細かくわかれており、基本的にはそれぞれの分野に2つのゼミナールがあります。分野ごとに専門の教員が配置されているため、各領域に特化した専門性の高い学びを深めることができます。ゼミナールは、文学部3・4年次生における必修科目です。

【網羅的に広く学ぶ】

専攻科目とは別に「自由選択科目」という科目区分を設けており、自身の所属等にかかわらず、他の学部や学科、専攻に開講される科目も自由に履修できます。本学の特徴といえるのは、この「自由選択科目」に計上できる単位が28単位あること。この科目区分によって自身の興味や関心に応じた、自分に合ったカリキュラムを組み立てられることが特長です。

国文学科—日本の美意識の変遷を知る。

古典文学から近代文学まで長い歴史を経て独自の展開を遂げてきた国文学の分野。国文学専攻に絞って選択することで、幅広いテーマを決め、国文学をより深く多角的に捉えることができます。

国文学科—上代文学も現代文学も外国文学も。

『日本書紀』と遣隋使の関係など、国文学研究を深める際に、比較研究対象としての中国史や、その比較方法などを学ぶことは重要です。自らの視座を確立するために、さまざまな文学や文化自体の知識も深めます。

『令和』で「美しくなごやかな世の中」を願う

学校法人二松学舎顧問・二松学舎大学名誉教授 佐藤 保

漢字二字で人心を掌握

 そもそも元号制度とは、いかなる制度でどんな効用を持つのでしょうか。簡単に言えば、かつての政治の最高責任者である天子が、施政の方針や社会的な願望を、通常は漢字二字で広く天下に知らしめる制度だったと言うことができます。
 こう考えると、天子在位中の失政や自然災害によって世の中が乱れたりすると、方針を変えなければならなくなります。即ち改元を行って人心の一新を計らなければなりません。古代の天子が在位中にしばしば改元を行っているのは、元号制度の必然といわざるをえません。
 例えば、唐代の第三代天子の高宗の皇后から中国史上唯一の女帝の帝位に就いた則天武后は、二十二年の在位の間に、十八回も改元を行った人として知られています。時には一年の間に四回も改元している激しさです。彼女は漢字に対する特異な感覚を持っていた女性で、佳麗で誇張した言葉で元号を表しました。

『令和』に込められた思い

現在、元号制度を残している我が国が元号で示そうとしているものは、天皇の施政方針ではもちろんなく、目的は社会の目指す方向、平和な世相を示すことにあります。即ち「美しくなごやかな世の中の到来」を期待して選ばれた元号が「令和」であるのです。

学校法人二松学舎顧問・二松学舎大学名誉教授 佐藤 保

(さとう・たもつ)1934年新潟県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科中国語中国文学専攻修士課程修了。お茶の水女子大学学長を経て、二松学舎大学に転じ、2005年には学校法人二松学舎理事長に就任。現在は学校法人二松学舎顧問・二松学舎大学名誉教授、お茶の水女子大学名誉教授。主著に『宋詩 附金 中国の名詩鑑賞8』『漂泊の詩人 杜甫』(共著)『中国古典詩学』『宋代詞集 中国の古典33』など。

學vol.53

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。