學vol.66

特集:韓国エンタメの歴史—グローバル化と日韓交流—

特集:韓国エンタメの歴史—グローバル化と日韓交流—

K-POPをはじめ、映画やドラマ、食文化やファッションに至るまで、韓国のエンターテインメントはグローバルな人気を集めています。本学には韓国語や韓国文化を学ぶ専攻があり、語学習得はもちろん、文化理解を深める専門的な授業やゼミもあります。本特集では、本学の名誉教授で日韓の比較文学が専門の呉英元先生と、韓国大衆文化ジャーナリストの古家正亨さんが、韓国エンタメの魅力と、その背景にある歴史について語り合いました。
上写真:駐日韓国文化院 サランバン(舎廊房)にて撮影

「イカゲーム」「パラサイト」「BTS」
国際的に高い評価

 90代の私と40代の古家さんとでは、韓国文化について全く異なる視点と、同じような視点の両方があるでしょうね。私は1971年に来日して、青山学院大学大学院で日韓の比較文学を研究していました。その後、79年に駐日韓国文化院が開設されると、韓国語講座の初代講師として韓国語を教えました。受講生は社会人が中心で、仕事で韓国に関わっている人、韓国人の知り合いがいる人、純粋に韓国のことを知りたい人など多様でしたね。まだ韓国文化に関する教材もなくて、韓国からテキストを取り寄せたり、新聞記事やビデオなどを組み合わせたりと工夫しました。受講生は、私の衣服を見ても珍しがり、私の動作、言葉など全てに興味を寄せ、授業が終わったあともお茶を飲みながら談話したものでした。
 ソウルオリンピックが開催された88年には、二松学舎大学に韓国語講座が開設され、私も教授として赴任しました。受講生はどんどん増えて、韓国に興味を持たれる方はかなり一般的な存在になったと思います。最近も韓国のドラマや映画、音楽はブームになっていますが、70~80年代とはまた違った印象がありますね。

古家 先生が切り拓いた時代から考えると、今は韓国に対する見方が、世界的にも大きく変わったと思います。韓国のエンターテインメントの中でも、ドラマ「イカゲーム」、映画「パラサイト」、アイドルグループ「BTS」の3つは、国際的にかなり高い評価を得ています。日本の大学でも韓国語学部や韓国語学科を作る流れが加速していて、僕もいくつかの大学で講師を務めていました。若い人たちの韓国への関心は確実に高まっていますね。韓国語を話せたり、ハングルを読めたりする学生も結構います。
 ただ、実はちょっと物足りなさを感じることもあります。たとえば、韓国のアイドルが好きだとしたら、彼・彼女らの背景にある歴史や文化にも目を向けてほしいんですよね。

ゼミ生を引き連れて4泊5日のソウル研修旅行

 私が二松学舎大学で受け持っていた「日韓比較文学・文化ゼミ」では、日韓関係の歴史や文化を教えた上で、韓国へ研修旅行に出掛けていました。当初はゼミ生4~5人を連れてソウルへ4泊5日の旅行でしたが、ゼミ生の親御さんから反対の声をいただいたことも。「韓国に行くなんて危険だ」とおっしゃるのです。そういう時代だったんですね。私は親御さんに電話をかけ「心配はいりません。私が責任を持って連れていきます」と時間をかけて説明し、96年に初めての研修旅行へ行きました。
 ゼミ生は、韓国の「独立記念館」や「安重根義士記念館」などを回り、日韓の歴史の理解を深めました。閔妃暗殺事件が起きた宮中では、涙ぐむゼミ生もいました。また、「韓国民俗村」では、かつての韓国の町並みや生活様式を味わったり、昔のブランコを楽しんだりしました。帰国後、ゼミ生たちは研修旅行の紀行文を書き、自分たちの手で印刷して本を作りました。研修旅行に反対していた親御さんもその紀行文に感動して、家族でソウル旅行へ行ったという話もありました。私たちゼミ生の研修旅行は、2~3年後には30人以上が参加するまでの人気になったんですよ。

呉 英元先生(二松学舎大学名誉教授 駐日韓国大使館韓国文化院世宗学堂代表理事兼学堂長)

オ ヨンウォン●二松学舎大学名誉教授 駐日韓国大使館韓国文化院世宗学堂代表理事兼学堂長
1935年生まれ。韓国慶尚北道出身。1957年、国立ソウル大学校師範大学国語科卒業。大学院修士課程修了後、1971年来日、青山学院大学院修士課程修了。帰国し、慶南大学校、世宗大学校助教授。その後、再度来日、津田塾大学、東京女子大学、立教大学講師を経て、1988年度から二松学舎大学教授となる。定年退職、二松学舎大学名誉教授。駐日韓国大使館韓国文化院世宗学堂代表理事兼学堂長。日本韓国語教育学会顧問。2011年韓国政府文化勲章受章、大統領表彰。2018年、駐日韓国大使館諮問委員。著書に『通訳ガイド韓国語分野別過去問』(法学書院)、『通訳ガイド韓国語過去問解説』(法学書院)、『CD付はじめての韓国語会話』(新星出版社)、『これだけ覚える韓国語会話』(成美堂出版)、『コミュニケーション韓国語』(第三書房)、『うまく話せる韓国語』(ナツメ社)、『日本で考えたこと』(新教出版社)、『三浦綾子のこころ』(基督教書会)など。

古家 ちょうど同じ時期の98年、僕は韓国に留学していました。きっかけは、その前に留学していたカナダで、韓国人の友達ができたことです。カナダで出会った韓国人はみんな日本のことが好きで、日本文化にも詳しかったんです。それまで抱いていた「韓国人は日本を嫌いなんだろうな」というイメージが覆されました。ある日、韓国人の友達からもらったCDを聴いたら、震えるほど心に迫る音楽で、自然と涙が出てきました。シンガーソングライター「TOY(ユ・ヒヨル)」のセカンドアルバム「Toy2」だったのですが、それまでに体験したことのない感動を覚えたのです。

 韓国ならではの味わいがありますよね。私は韓国のオペラやミュージカルが好きなのですが、教え子のユン・ボクヒさんは75歳を過ぎた今でもステージに立っています。数年前に、オペラ歌手のキム・ホジュンさんがトロット(韓国演歌)を歌い、注目されましたね。

2003年の「冬ソナ」が韓国エンタメの転換期

古家 韓国エンタメの魅力は、全てにおいてヨルチョン(パッション)だと思います。僕は韓国留学中にドラマを見てショックを受けました。役者が「アイゴー! アイゴー!」と声をあげて泣いているのです。日本人は人前であんな風には泣きませんし、全てのカルチャーにおいて空気を読み、行間を読むことを求めます。映画も言葉のないシーンが多い。それに比べて韓国は過剰なほど「私はこういう気持ちです」と表現するわけです。うらやましいと思いますよ、そういう親密な関係性って。
 留学中に驚いたのは、共同で使う冷蔵庫に僕が食べ物を入れておいたら、韓国人の友達が普通に食べるんですよ。なぜだろう? と思って話を聞くと「もう家族だから」と。僕は、韓国のそういう人間関係が心地よくなり「自分は韓国の空気に合うな」って思ったんです。
 それがきっかけになり、帰国後の2000年からラジオで韓国エンタメを紹介することになりました。でも、初めはクレームが多かったんです。「なぜ韓国の音楽を紹介するんだ」って。確かにそういう時代だったかもしれませんが、どうやったらその感覚を払拭できるかと、悩みながら仕事をしていました。

古家正亨さん(韓国観光名誉広報大使 韓国大衆文化ジャーナリスト)

ふるや・まさゆき●韓国観光名誉広報大使 韓国大衆文化ジャーナリスト
1974年生まれ、北海道出身。北海道医療大学看護福祉学部医療福祉学科臨床心理専攻卒業。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻前期博士課程修了。98年韓国留学。帰国後K-POPの魅力を伝える活動を、マスメディアを中心に展開。2009年には日本におけるK-POPの普及に貢献したとして、韓国政府より文化体育観光部長官褒章を受章。日本で開催される韓流・K-POPイベントのMCとしても知られるほか、数多くのラジオ、テレビ番組を担当。著書に『K-POPバックステージパス』(イースト・プレス)。

 韓国に対して、否定的な価値観を持った人たちだったのでしょうね。でも、その世代はだいぶ年をとって、今の現役世代の人たちは変わってきているのではないでしょうか。

古家 そうですね。僕の感覚では、やはり大きな転換期は、2003年の「冬のソナタ」日本上陸だったと思います。主演のペ・ヨンジュンさんの人気で、日本における韓国の捉え方がガラリと変わりました。「冬のソナタ」がなぜあれほどヒットしたのかというと、一つはNHKの海外ドラマ枠で放送したこと。もう一つは、監督のユン・ソクホさんもおっしゃっていますが、日本の大映テレビから強い影響を受けていたことです。大映テレビが制作したドラマと言えば、山口百恵さん主演の「赤いシリーズ」(74~80年)、堀ちえみさん主演の「スチュワーデス物語」(83~84年)などが有名ですよね。2000年代初頭からすると古くさいように感じますが、「古くさくても面白いドラマを見たい」というニーズがあり、そこに刺さったのだと思います。日本で40代以上くらいの女性が求めていたものと、韓国で流行していたものがうまく合致した。その女性たちが、一気に日本における韓国カルチャー人気を牽引し始めたわけです。

 「冬のソナタ」や「宮廷女官チャングムの誓い」(04~05年)は“韓流ブーム”を巻き起こしましたね。その影響で、韓国の研究者や専門家の来日が増えました。教材の出版が盛んになり、私も出版社から執筆の依頼が次々と来たことを思い出します。あの頃の韓国ドラマは、どれも韓国らしい魅力がありました。でも、最近流行っている作品は作り方が変わっているようですね。

「冬のソナタ」のロケ地、韓国・南怡島の並木道

「冬のソナタ」のロケ地、韓国・南怡島の並木道

古家 おっしゃる通りです。「冬のソナタ」などは韓国国内の市場に向けた作品でしたが、今の韓国エンタメはグローバル市場に広げる前提で作られています。呉先生のように韓国らしさが好きな方にとっては満足しにくいと思います。ご存じの通り、韓国は97年のアジア通貨危機で苦況に追い込まれ、金大中政権(当時)がコンテンツ産業の輸出振興に力を入れてきました。韓国のコンテンツを世界に向けて発信するために09年には「韓国コンテンツ振興院」を作り、様々な国で音楽関係のイベントなどを開催してきたわけです。

グローバル化の理由は「韓国の国策」だけではない

 金大中大統領が98年に訪日して日韓共同宣言を発表して以来、映画、演劇、音楽などの日韓文化交流が進み始めましたね。

古家 政府は韓国エンタメが成長するためのベースを作りました。ただ、国策による資金投入だけではなく、作り手の努力も大きく影響しています。映画に関しては、国の予算で映画人材を育成する「韓国映画アカデミー」が成果をあげる一方で、「スクリーンクォータ制度」という国産映画の上映を義務づける基準は問題を招きました。基準を守るために、レベルの低い国内映画まで上映されるようになり、質的なものが下がっていったのです。そこでその制度を変更し、外国映画の上映を拡大した結果、自由競争が生まれ、韓国映画が成長していったわけです。音楽も同様で、04年にJーPOPが開放されると、それまで韓国国内にあったJーPOPの模倣のような音楽が淘汰されました。その結果、K-POPが洗練されて、世界的流行へとつながったのです。

 近年の日韓文化交流の様相がよくわかりました。振り返ってみると、私は韓国と日本を行き来しながら教師を務めてきましたが、日本人だから、韓国人だからということではなく「人が好き」なんです。大学の廊下を歩いていると、「呉先生はいつもにこにこしていますね」と言われましたが、相手がどんな立場の人であっても、皆さんと親しくしていました。韓国文化に関心を抱いている若い人たちも「好き」という気持ちを大事にしてほしいですね。そこから力が湧いてきますから。

古家 先生と同じで、僕も人が好きなのだと思います。今、ラジオDJやイベントMCの仕事をしていますが、駆け出しの頃に先輩から「真の喋り上手は、聞き上手でなければならない」と言われました。相手の心に耳を傾けてしっかり理解することが大切なんですよね。今日も呉先生からお話を聞いて刺激を受けました。先生が苦労して開拓されてきたからこそ、自分がより簡単にその道を開拓できていると感じたんです。今の若い人たちもできるだけ直接人と会い、相手の言葉に直接耳を傾ける体験をしてほしいと思います。
 それから、韓国エンタメに興味を持ったことを機に、ぜひ日韓の歴史的関係や政治的問題とも向き合ってみて欲しいんです。どんなことでも吸収しようという気持ちは必ず糧となり、自分の進みたい道を広げてくれるはずです。

K-POPはグローバル化に向けた動きが加速しています。欧米での支持が、その勢いを後押ししているわけですが、より具体的に言えば、K-POPの「K」という冠を、取り払いたいという気持ちが業界内にあるように感じます。音楽的には、すでに楽曲を欧米の作家が書いていることが多いですし、歌詞が韓国語なだけというケースも増えています。K-POPのアイデンティティとは? と考えた時に、その「らしさ」は、芸術的なパフォーマンスだけになりつつあると言えるかもしれません。

ただ、それはK-POPをよりグローバル化させるための過程であって、当然の流れとも言えます。では、どこにK-POP「らしさ」を残すのかと言えば、「スターの育成」という点に絞られるかもしれません。すでにJYPエンターテインメントは、NiziUを発掘した「Nizi Project」のグローバル版である「A2K」をYouTubeで配信し、「VCHA」(ヴィチャ)というグループを誕生させ、アメリカのレコード会社からデビューさせています。HYBE(※1)も「The Debut:Dream Academy」(※2)を制作し、同じくアメリカの大手レコード会社からガールズグループをデビューさせる予定です。

これらは、韓国的な育成方法で次世代のグローバルスターを人種や国を問わず発掘する流れで、もはやそのメンバーに韓国人は必須ではないのです。コンテンツそのものを輸出するのではなく、K-POPのビジネスモデルを輸出する方向性に、今後はシフトしていくと思います。ただ、主要マーケットである日本のK-POPファンが、それをどこまで求めているかは別だと思います。日本のK-POPファンはきっとどこかでK-POPらしさを求めているのであって、普通のPOPであれば、その国籍を問わずして、良いものは良いと評価すると思うのです。そのファンとの距離感をどう保つかが、今後のK-POPビジネスを占う、重要な要素になると思うのです。

ドラマは、表向き名作・大ヒット作が次々と誕生しており、その基盤は盤石に思えます。しかし、近年グローバルOTT(NetflixやDisney+のような国際的配信プラットフォーム)の人気で、これらを介した作品が多く、潤沢な制作費を用いた作品作りが進んでいる一方、ギャラの高騰や制作費の増大で、制作本数が激減しています。またOTTで配信されるドラマ作品は、その多くが、ヒットしても韓国側にもたらされる富は少なく、プラットフォーム側が、より儲けるシステムになっているため、コンテンツのIP(知的財産権)を、いかにして確保するかが至上命題となっています。

ですから、2022年は200本余りのドラマ作品が韓国で制作されたと言われていますが、23年は90作品余りになりそうで、24年はもっと減ると言われています。一部に富が集中し、バジェット(予算)の大きな作品かそうでないかという二択になる傾向が強く、ドラマの制作環境としては、決して良い方向には向かっていないようです。そこで白羽の矢が立っているのが、日本のテレビ局や制作会社です。日韓共同でIPを保有し、それを世界的なコンテンツとして販売していく、まさに真の共同制作がようやく進められようとしています。

※1…韓国の総合エンターテインメント企業
※2…韓国のオーディション番組。アメリカを拠点とするグローバルガールズグループのメンバーを決める

❶『応答せよ1997』(TVドラマ)

90年代後半のK-POPアイドル第1世代と言われる「H.O.T」と「Sechs Kies」を好きな女子高生たちを主人公に描いた青春ドラマ。韓国のアイドル文化の成り立ちが見え、今でこそ当たり前に行われている応援法のオリジンを垣間見ることができるはずです。

❷『国家が破産する日』(映画)

97年、アジア通貨危機によってウォンが暴落し、財政的に破産した韓国の様子をエンターテインメントとして描いた映画。いかにして当時の国民がこの国難と向き合い、それを乗り越えていったかを、サスペンス的に描いています。国難を乗り越え、これだけ短期間に身につけた国家ブランド力の根源を学べる作品です。

❸『工作 黒金星と呼ばれた男』(映画)

北朝鮮に潜入した韓国の工作員と、南北の権力者たちの闘争を、実話をもとに描いた映画。時の政治、大きな動きには、必ずフィクサーと呼ばれる人が存在します。黒金星と言われていた人物が、何のために、誰のために、フィクサーとして動いたのか。歴史の背後に見える何かと、南北関係を深く知っていただけます。

僕は、大衆的な韓国料理よりもよりマニアックな料理が好きなんです。例えば「닭볶음탕(タクポックンタン)」。韓国風鶏肉じゃがのことで、比較的よく作られる家庭料理です。簡単なようで、意外と作るのが難しかったりします。日本では食べることのできない、でもより韓国らしくて、おいしく健康的な家庭料理はたくさんあるんですよ。今後、韓国料理の人気は、こういった家庭料理に及ぶかもしれません。いずれは日本で、韓国の家庭料理を食べさせてくれる定食屋のような場所が、よりたくさん生まれるのではないかと思います。

特集:韓国エンタメの歴史—グローバル化と日韓交流—(古家正亨さん×呉英元先生 )

駐日韓国文化院 ハヌル庭園(屋上庭園)にて撮影

 私がソウルに留学した1986-89年に比べ、韓国語を取り巻く環境は激変しました。二松学舎で教え始めた1990年でも韓国語を学ぶ学生は少数派でしたが、韓流ブームに乗って今や人気の外国語になりました。入学前からすでに流暢に韓国語を話す学生、幼い頃から母親と韓国ドラマを見ていて自然に覚えてしまったという学生もいます。何と言ってもブームに火をつけたのはK-POPの隆盛で、韓国語の科目が充実している二松学舎にはK-POPファンがたくさんやって来ました。防弾少年団(BTS)がまだデビューしたての頃、ゼミ生たちは口々にその素晴らしさを語っていたのですが、BTSのその後の活躍を目にして、彼女たちは先見の明があったのだなと感心します。

 最近はネットでさまざまな韓国語の媒体に接することができるので、意欲さえあればいくらでも実力を伸ばすことができます。しかしやはりそれだけだと発音や文法がいい加減になってしまいがちなので、発音変化の規則や文法などについてより正確な知識を学ぶことで、本物の実力を身につけてほしいです。

 韓国文化の根底には「いかに生きるべきか」「本当に愛するとは?」「正直であること、人を許すことの大切さ」などに対する深い洞察があります。これほど韓国文化がブームになったのもその「深さ」のためではないかと私は感じています。それは南北分断という深い悲しみと無関係ではありません。私は学生たちにその深さにもぜひ触れてもらいたいと思っています。

 北川絵万さんと宮澤瑞歩さんの二人が留学したのは韓国・ソウルにある成均館大学校。本学の派遣留学先の一つです。偶然にも、二人ともK-POPを好きになったことがきっかけで韓国に興味を持ち、大学に入学するまでは独学で韓国語を勉強していたそう。大学選びも韓国語や韓国文化を学べる学校を基準にしたとのこと。とにかく楽しかったという約9か月の滞在期間中に身についたこととして、語学力はもちろんのこと、声をそろえて「積極性」をあげました。韓国語でコミュニケーションをとるしかない生活の中、自分がより積極的に動くことで状況は変わるということを、身をもって学んだという二人。「やりたいことがあったら勇気を持ってアクションを起こしてみてください!」(北川さん)、「留学してみると自分の成長を実感できると思うのでぜひチャレンジしてほしい」(宮澤さん)と留学を検討中の学生や生徒の皆さんにエールを送ってくれました。



學vol.66

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。