學vol.65

二松学舎教員エッセイ 林  英一 准教授

二松学舎教員エッセイ 林  英一 准教授

二松学舎教員エッセイ 林  英一 准教授

三島中洲が遊学した三重県津市の出身です。マランで元残留日本兵に出会い、歴史研究の道に進みました。日本の戦争の記憶を今日に受け継ぐ九段の立地を活かした研究と教育を実践する”Kudan Studies”を提唱しています。

インドネシアに行ってみたら

 昨年、インドネシア共和国東ジャワ州マランのサッカースタジアムで、試合後に地元クラブのサポーターと警察が衝突し、135人が犠牲になるという悲劇が起きました。

 私がマランを初めて訪れたのは20歳の夏。すぐに同世代の若者たちのサッカー熱に驚かされました。

 市内のスタジアムで試合を観戦したときのことです。警察がピッチを取り囲むようにして警備にあたるなか、地元クラブとライバルクラブのサポーターとの間で喧嘩が発生し、負傷者が救急車で次々に運ばれていく光景を目の当たりにしました。

 地元クラブの創立者の一人は私に、昔は試合があるとスタジアム周辺の店は閉まり、軍人や警官が刀や竹槍で武装したサポーターを警戒したものだったと教えてくれました。

 なぜサポーターがこれほどまでにサッカーに熱狂するのか最初は不思議でした。しかし彼らと雑談するうちに、クラブへの応援が地元愛につながっていることが次第に理解できるようになりました。

 マランは山々に囲まれた高原にあります。夜は毛布がないと寝ることができないほど涼しく、白亜の建物が並ぶ大通りにはオランダ植民地時代の雰囲気が漂っています。インドネシアは日本軍の占領と、その後のオランダ軍との独立戦争を経て独立しました。市内には独立戦争で活躍した軍人の銅像がたち、文字を逆さに読む「マラン語」は、戦争中にオランダ軍やスパイの目を逃れるために編み出されたものともいわれています。こうした歴史もまた人々の地域への誇りを育むことに一役買っているようです。

 ちなみに私がインドネシアに行くことになったきっかけは、大学入学時に安易な気持ちからインドネシア語を選択したことに遡ります。それがまさかその後の人生を左右するとは思ってもみませんでした。世知辛い世の中ですが、目先の損得にとらわれず、一見役に立たないように思うことにも興味をもって学びたいものです。

二松学舎教員エッセイ 林  英一 准教授

マラン市役所

學vol.65

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。