學vol.63

特集:ヤマザキマリさんと語る「歴史と出会い、深め、伝える技術」~歴史を知れば、不確実な時代にも動じない

特集:ヤマザキマリさんと語る「歴史と出会い、深め、伝える技術」~歴史を知れば、不確実な時代にも動じない~ヤマザキマリさん × 野村啓介教授× 谷島貫太准教授

感染症パンデミックや気候変動、デジタル社会の進展など、常に変化し続ける現代社会。正解のない世の中で、自分の頭だけで判断し、前に進むことは容易ではありません。そんな時、歴史が一つの「道しるべ」になるとしたら…? 今回の特集では、二松学舎創立145周年と歴史文化学科の開設を機に、歴史を学び、伝えることの大切さを考えました。漫画家で歴史に詳しいヤマザキマリさんと、同学科の野村啓介教授が歴史への向き合い方を語り合い、都市文化デザイン学科の谷島貫太准教授が司会進行を務めました。

14歳のヨーロッパ一人旅が歴史と出会った「原体験」

谷島 まずは歴史と出会った原体験からお聞かせください。今の若者は、漫画や映画、アニメなどフィクションをきっかけに歴史に興味を持つことも多いようですが、ヤマザキさんはいかがでしたか?

ヤマザキ 私は14歳でヨーロッパを一人旅した時でした。古い建造物がそびえる空間は圧倒的で、こちらに推し迫ってくるような大きな主張性を感じました。読書や学校の授業で身につけた知識では掌握できない世界、それが歴史なんだと知りました。帰国間際に訪れたルーブル美術館で一番印象的だったのは、古代ギリシャ・ローマセクションです。2千年以上も前の時代にこれだけの技術力を持つ表現者がいたと知って驚愕しました。時代が進めば人類も進化していると思いがちですが、それは間違った見解だと思うようになりました。
 その後17歳でイタリアに留学をしたわけですが、さらに歴史の圧倒的な質感を痛感させられました。例えばイタリア語で「こんにちは」という挨拶を「サルヴェ」と言いますが、「サルヴェ」は古代ローマ時代から用いられているラテン語です。歴史は終わったものではなく、今も生活の中に続いているわけです。日本は新陳代謝が激しい文化で、昨年と一昨年で話し言葉も変わったりします。そういった差異の強い異国と関わった経験は、歴史を重んじるきっかけになりました。

野村 ヤマザキさんに比べると、私は全くオーソドックスな道を歩んでいて、最初に歴史を深く勉強したいと思ったきっかけは、高校の世界史の授業でした。教師がものすごく情熱的で、フランス革命だけで何コマ使ったんだろう? というような濃厚な授業だったのです。そこから「フランス革命には一体何があるんだろう?」と気になって、大学でフランス史を専攻することにしました。高校時代は素朴に「フランス革命は正義の変革だった」などと漠然と考えていましたが、ギロチンで多くの人が反革命の烙印を押されて落命したことなど、勉強が進むにつれて、教科書の常識や権威を一度は疑ってみることの大切さを学んだような気がします。

谷島 お二人とも、情報ではなくて場所や人との体験的な関わりが歴史との出会いだったのですね。僕自身は、小学校5年生ぐらいから司馬遼太郎さんなどの歴史小説を読み始めたことが、歴史に触れた原点でした。それと、高橋克彦さんの『総門谷R』。歴史上の人物がたくさん出てきてバトルを繰り広げるSF小説です。古代ローマの皇帝ネロも登場して、「なんだかやばいやつだ」というイメージを持ちました。その後、歴史を知って断片的なイメージがつながっていくこともありました。僕の専門の技術哲学では、歴史を「その場に自分が放り込まれるもの」とする捉え方があります。歴史に投げ込まれつつ、自分のものにしていくのです。ヤマザキさんが漫画を描く時は、どのように歴史を深め、向き合っていくのでしょうか?

史料を読み深めるほど歴史上の物語が動き出す

ヤマザキ 調べていくうちに、歴史とフィクションが混然一体になることはあります。『テルマエ・ロマエ』を描いたきっかけもそうです。私の夫は比較文化を研究するイタリア人ですが、結婚当初はシリアのダマスカスに住んでいました。シリアの乾燥した空気は古代の遺跡を良い保存状態に保ちます。遺跡には水道や浴場の痕跡も残っていますが、その当時はそんな乾燥地帯にも水が引かれていたという事実が驚きでした。シリアも含め西洋文化圏は日本ほど頻繁に入浴する習慣はありませんが、ローマ人は毎日お風呂に入っていた。いったいいつから何がきっかけで浴場文化が廃れてしまったか知りたくなるわけです。調べていくうちに、ローマ帝国末期にゲルマン民族が来襲したことでインフラが破壊され、さらにキリスト教が国教となったことで公衆で裸を晒すのがいかがわしいとされるようになり、浴場文化は廃れていきます。そういった疑問や日本との相似点に対しての好奇心から古代ローマ史に入り込んでいきました。

谷島 生活に密着した歴史の息吹を感じたところから、体系的に調べていかれるのですね。野村先生は、本格的に歴史を深めていったのは大学時代からですか?

野村 大学3年生くらいから少しずつフランス語の研究書や史料を読み進めましたね。卒業論文は1871年のパリ・コミューンを題材にしました。パリ市民が時の政府に反抗して蜂起する話です。この事件はフランス革命の延長線上にあるともいえ、高校時代の関心がここにつながっています。断片的に残っている一次史料を読んで、ぞくぞくするような高ぶりを覚えました。そして、史料を読めば読むほど、歴史の中の人物が勝手に動き出し、物語が展開するんですよね。自分なりに歴史のイメージが広がっていくというか。

ヤマザキ 面白いですね。私の場合は、歴史上の事実と自分の経験則がある種の化学変化を起こして新たな側面が出てきます。今、博物学者・プリニウスの漫画を連載していますが、彼の人物的な記録はほとんど何も残っていません。でも、彼が書いた博物学の文献を見ると、人物像が浮き上がってくるんですよね。文学センスよりも横溢する探究心を文に頑張ってまとめているような印象を受けます。つまりプリニウスは理系の人間であって、重要なのはコンテンツであり、それを綴る文字にはさほど頓着していなかった。古代の文学、というカテゴリーでは実際「博物史」は最悪のものと評されています(笑)。
 この作品には、皇帝ネロも登場します。彼の暴君ぶりを描いた映画はたくさんありますが、現代的な視点を持ち込むと「毒親の被害者」のようにも見えます。母親のアグリッピナは非常に承認欲求が強くて、ネロをトロフィー息子として仕込んでいく。そういう現代的な解釈も含め、私が描いたネロは若干特殊な人物像になっていると思います。

ヤマザキマリさん

やまざき・まり●1967年東京都生まれ。漫画家、文筆家、画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェ国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどでの暮らしを経て現在はイタリアと日本に在住。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『ムスコ物語』(幻冬舎)など。

谷島 史料に書かれている歴史と、ご自分の中で血の通ったイメージをつなげて創作されていることがよくわかりました。一方で、歴史学の世界では「史料が正義」だと思いますが、いかがでしょうか?

自分の中の「普通」を捨てて歴史に向き合う大切さ

野村 おっしゃる通りです。「歴史学者は史料の奴隷」です。とはいえ、史料で全てわかるわけではなく、どうしてもわからない歴史の「隙間」が残ります。その隙間を埋めることは歴史学者の仕事ですが、言うは易し、です。それができるほどの史料的発見はそうそうありません…そんなことの繰り返しです。だから、どんな歴史学者でも現代的な視点から想像力を働かせたりしていると思います。しかし私は、研究対象である19世紀フランスに関して、当時のフランス人になったような気持ちで史料を読み込み、浮かんできたイメージを文字にするよう心がけています。最初から自分で決め付けず(現代的価値観が投影されがちですから)、史料が語りはじめるまでその作業を続けるのです。

ヤマザキ 私はよく、大学の先生に「いいですね、ヤマザキさんは自由なことを描けて」と言われます。老齢の先生なんて「退官する時には、自分が思っていることを全部書いてやるんだ」っておっしゃる。

野村 その方のお気持ち、よくわかります(笑)。歴史学者は自由に書きたい半面、軽はずみなことを書けないという恐れというか責任感の方が勝りますからね。

谷島 歴史学者として、論証の手続きから外れることはできないにしても、個人的に「きっとこういう人物だろう」と思い描くキャラクター像はあるのですか?

野村 それはあえてしないようにしています。まっさらな状態から積み上げていくような感覚です。

谷島 歴史を深める方法論は、お二人の間でだいぶ違うようです。

ヤマザキ 漫画家は想像力の暴走が許される職業ですから参考文献や調査の結果の裏付けを立証する必要性はそれほどありません。
 それでも私が気をつけているのは、自分たちの中の「普通」を基準に物事を考えないようにすることです。現代世界においても国や文化を超えた倫理の共有は叶わない。叶うものではないのです。歴史を遡っても同じです。古代ローマでの死生観は現代とは全然違います。古代ローマの背景は「奴隷」によって支えられていますが、この「奴隷」にも実は様々な種類があり、医師など知的職業に携わる人は重要な存在として敬われていた。でも扱いは奴隷です。歴史の理解は、こうした既成概念のタガを外さないとできないところもあるわけです。

谷島 過去の人々のことを想像する能力と、現代の前提を共有しない他者に対する想像力がシンクロしているのですね。教育現場でも、若者たちに教えていきたい姿勢です。
 もう一つ、歴史を「伝える」という面についてもお話を聞かせてください。ヤマザキさんは歴史を深く調べつつ、漫画という作品にする立場です。そこはどうバランスをとっているのでしょうか。

歴史を伝える上でも、話術とコミュニケーション技術が大切

ヤマザキ 小説などの創作物の審査員を務める機会がありますが、面白い作品にはやはり本人が面白いと感じたことを魅力的な言葉や構成で展開できるエンタメ性が際立っている。一方で物凄く熟考した内容のものでありながら、作者の自己満足に浸っているような作品もあります。でもそれでは表現の意味を為しません。どんな高尚な学問の研鑽がベースになっていても、あらゆる読者の興味を引くことは大事だと思います。コミュニケーションへの積極性が作品にも問われるのです。歴史を学び、伝える上でも、他人が興味を持つような話し方や、コミュニケーション技術は重要だと思います。

野村 ちょっと耳が痛い話ですね。ある意味、歴史学者の書く論文は、自己満足の塊とも言えるかもしれません。以前、新書を書きましたが、編集者との戦いでした。「あなたの書いていることは小難しい!」と言われ、ばっさり原稿を削られて。「大学一年生が辞書なしで読める」ものを書いてくれ、と(笑)。ヤマザキさんのお話を聞いて、読者や学生に合わせて伝える技術を精進しなくては…と思いました。

ヤマザキ 私も過去に大学で教えていたことがありますが、中には些細な誤差や疑問を指摘してくる学生もいる。そうすると、私もその意見に興味深く耳を傾けますが、確かにお互いに考察を進めていく上で改めて見えてくるものがある。こうした学生とのコミュニケーションはとても大事だと感じています。教員の役割というのは考えることを職業としている人間のあり方をリアルに感じてもらうことだとも思っています。

野村 私も、一方的な授業はすまいと心がけています。眠そうな学生がいたら「どう思う?」と語りかけるとか。意地になって調べてくる学生にはまだ出会ったことがありませんが、そういう熱意を引き出すために、教員としての試行錯誤は続きますね。

野村啓介(のむら・けいすけ) ボルドー第3大学専門研究課程DEA(歴史学)修了。九州大学大学院文学研究科史学専攻・博士後期課程修了。鹿児島大学法文学部助教授、東北大学大学院国際文化研究科教授を経て現職。専門は近代フランス史。博士(文学)、他に唎酒師、ソムリエなど酒関係の資格保有。主著に『フランス第二帝制の構造』(九州大学出版会)、『ナポレオン四代』(中公新書)、 『ヨーロッパワイン文化史』(東北大学出版会)など。

谷島貫太(たにしま・かんた) 東京大学大学院学際情報学府文化・人間情報学コース博士課程単位取得満期退学。修士(学際情報学)。東京大学大学院情報学環メディア・コンテンツ総合研究機構特任研究員、東京大学附属図書館特任研究員を経て現職。専門は技術哲学、メディア論。編著に『記録と記憶のメディア論』、『『ロードス島戦記』とその時代』、『アンドロイド基本原則』など。

漫画化、キャラクター化が歴史への入り口を広げる?

谷島 最後に、改めて歴史を学ぶことの意味をお聞かせいただけますか。

ヤマザキ 歴史は必須教科だと思っています。今回のコロナ禍で多くの人々が不安や動揺を抱え込むことになった。しかし、過去を振り返ればこのレベルのパンデミックは何度も繰り返し起きていますし、その都度それを祟りだの悪魔の制裁だのと捉えつつも、人間はなんとか切り抜けてきました。例えば、スペイン風邪のパンデミックは、第一次世界大戦の終盤に始まりました。当時のドイツは敗戦した上、ベルサイユ条約で巨額の賠償金を負わされ、危機的状況に陥って、民衆はすっかり憔悴していた。そこにヒトラーという雄弁な指導者が現れ、人々は彼に全てを委ねる気持ちになってしまう。戦争やパンデミックで社会が弱体化すると、宗教であろうと政治家であろうと人々は何かに縋りつきたくなる。人間のそうした性質は歴史を振り返れば明確に記されています。歴史を知ることは社会の変化に冷静に向き合って判断をするきっかけにもなるのです。

野村 言いかえれば、過去の積み重ねの上に現在、そして未来があるということですよね。また、過去というのは現代のわれわれからみれば、まさに異文化ですから、歴史学修は、異文化理解とも表裏一体なのです。学生たちには、歴史学修の中で「何が過去からつながっていて、何が断絶しているのか」を見定める、異文化理解へと通ずる自分なりの目を養ってほしいと思います。本学は日本史専攻を志望する学生が多いようですが、西洋史も毛嫌いせず学んでもらいたいものです。昨今は、世界史的な視野が求められるご時世です。歴史的考察力を鍛えるには、日本史も外国史も勉強しなきゃ。食わず嫌いはよくない。とにかく若い時は、難しいと思えることに挑戦してほしいものです。

ヤマザキ 日本を理解するためにも世界史の習得は必至ですね。特に現代の日本を知るためには明治維新から現代にかけて日本の〝西洋化〟をじっくり学ぶ必要があると思います。世界史は自分たちと縁遠い世界なので難しいという先入観は払拭していただきたい。もちろん歴史を舞台にした漫画は世界史への価値観を変えるきっかけにもなるでしょう。

谷島 歴史の積み重ねの上に現在や未来があるという考え方は、身近な現代文化の新しさを理解するためにも重要だと思います。またキャラクター化は、歴史の新しい入り口としてかなり機能していますよね。

ヤマザキ はい。たとえば『ベルサイユのばら』(池田理代子)を読んでフランス革命に興味を持ったフランス人は大勢います。漫画も、歴史への関心を触発するエネルギーを持っています。ただ、漫画は想像と妄想の世界観で象られていますから、それを軸に先生方はご自身の見解を述べられたりすると、面白い授業になるのではないでしょうか。

野村 ただでさえ、歴史は暗記科目という烙印を押され毛嫌いされがちでして…学修上の工夫が必要になるのは間違いありませんね。学問に王道なし。漫画は入り口として有力なコンテンツだと思います。良質な漫画がますます増えるとよいですね。

谷島 最近だとゲーム分野での歴史的素材のキャラクター化も目立ちますね。こうしたエンタメコンテンツと勉強をバランスよくセットできれば、より楽しく歴史を学べるようになりそうです。新設した歴史文化学科はもちろん、都市文化デザイン学科のメディア論でも、その点を踏まえて教えていけたらと思います。本日はありがとうございました。

『プリニウス』 著:ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社

『プリニウス』 著:ヤマザキマリ、とり・みき 新潮社
主人公のプリニウスは、博物学者で艦隊の司令長官。自然現象や動植物の生態、絵画・彫刻などの森羅万象を網羅した『博物誌』で知られる。本作品中、プリニウスは火山の噴火や地震、津波、謎の怪物に接近しながらも、皇帝ネロが待ち受けるローマを目指す。古代ローマ随一の知識人にして、お茶目なお風呂好きでもあるプリニウスの素顔を描いた歴史漫画。単行本は11巻が最新刊。『新潮』(新潮社)で毎月連載中。

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広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。