學vol.57

二松学舎大学名誉博士・小和田恆先生に聞きました

二松学舎大学名誉博士・小和田恆先生に聞きました

40年近くにわたって外交官として活躍し、その後、国際司法裁判所所長などを歴任された小和田先生。実は御尊父が漢文学の専門家で、かねて二松学舎大学に親しみを持たれていました。国内外の大学で教鞭を執った経験や、外務省で若手を育てた実績に照らして、大学教育のあり方について語っていただきました。

 大学教育のあり方を巡っては、ギリシャ・ローマの昔から二つの考え方が対峙してきました。教養を身につけ、人間性を深めるのが教育の目的か、専門知識を授けて専門家を養成するのが教育の目的か。そのどちらを重視するのかは、日本を含め世界中の大学が模索してきた課題です。
 日本には古くから教育制度は存在していますが、明治の開国以降は、文明開化の中で日本の近代化を達成するため、大学教育は近代ヨーロッパ型の学問の研究や真理の探求に中心がおかれてきました。
 しかし、グローバル化した世界で、日本の国際競争力が問われる中、産業界や経済界の一部から「社会に出たらすぐ役に立つ実学に力を入れてほしい」という声が上がるようになってきました。ですが、「すぐに役に立つ人間」は、「すぐに役に立たなくなる人間」ということになりかねないと思うのです。
 社会がどんどん変わる中で、専門知識は10年もたてば古くなります。知識を習得することよりも、物事の本質や筋道を理解する能力を養うこと、新しい知識を吸収しながら変化に対応していくポテンシャルを育むことが大切ではないでしょうか。ギリシャ・ローマ時代に起源を持つ「リベラル・アーツ」の考え方を教えることこそ教育の本質であり、人格を陶冶して、長期的な意味で社会に役立つ人間を育てることが今日の大学教育の中心になるのだと思います。それ以上の専門知識は大学院でさらに追求すれば良いのです。
 外務省に入省する若者たちに接してきていますが、同じことを強く感じます。外交は、大学で習った知識がそのまま通用する仕事ではありません。でも、大学で教養を磨いてきた若者は、二年もすれば適応できるようになるのです。

人間性を養う「四つの愛」とは?

 私が、外務省の若者にいつも「四つの愛」を大切にするように伝えてきたのも同じような考え方にもとづいています。第一に大切なのはインテグリティということです。人間としての誠実さを持ち、ぶれない芯を持って考える能力です。第二にはインサイト=物事の本質を見極める洞察力=を養うことで、これは正しい判断をする上で極めて大切なことです。三番目に挙げるのは、イマジネーションの力の重要性です。特に社会の一員として仕事をしていく上では、常識だけで判断するのではなく、考えられないことまで想像する力(thinking about the unthinkable)ということがとても貴重な能力になります。相手の立場から物事を見て理解する能力がなければ、特に外交においては、仕事は務まりません。最後の四つ目として、インディビジュアリティということを挙げたいと思います。社会が多様化し、世界がグローバルになっていく中で、日本の社会が豊かな個性を持った人間の社会になることは非常に重要だと私は考えています。
 二松学舎大学は、国文学や漢文学を学ぶ学生を中心に持つという歴史がある大学であるにもかかわらず、今述べたようなことは皆さんにも当てはまることなのです。例えば伊勢物語を文学として読むことを通じて、その当時の社会背景に思いを馳せたり、日本語の発達の歴史を考えたりすることで、歴史社会を背景にして時代を考えるという想像力を養うことができるでしょう。
 ところで、この「四つの愛」。すべての単語の頭文字が「I(愛)」から始まることに皆さまお気づきでしょうか。それがこの話のオチなんです。

新型コロナで考える新しい教え方

 新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、まさに社会に大変革をもたらす出来事でした。
 それは、大学を含む教育のあり方を考えさせる機会にもなりました。単純なオンライン授業だけでは対面授業にかなわない面があります。しかし例えば、質の高い映像をオンラインで利用しながら、それに解説を加える形での授業に、それをさらに深める討議を随時加える対面授業を結び付ければ新しい教え方ができるはずです。
 ハーバード大学では「ソクラテス的方法」による授業を取り入れています。これはまさに、こういう方向での教育の試みであり、特にリベラル・アーツ中心の大学教育では極めて適切ではないでしょうか。
 私が二松学舎大学に来て一年ほどが経ちます。学生の皆さんが非常に真剣で、四年間の大学生活を通じて単に知識を身に付けるのではなく、人間としての自分をいかに磨き、これから社会の中で役に立つ人間に磨き上げたいという強い気持ちを持っているように見えます。そういう気持ちで四年間を送ることができれば皆さんの将来は極めて豊かなものになると思います。

小和田恆先生

小和田恆(おわだ・ひさし)1932年生まれ。1955年東京大学教養学部卒業、外務省入省。1959年ケンブリッジ大学法学部大学院修了。外務省では条約局長、官房長、OECD日本政府常駐代表大使、外務審議官、外務事務次官、国際連合日本政府常駐代表大使等を歴任し、1999年に退官。学術分野では、東京大学で30年以上教鞭をとり、ハーバード大学、ニューヨーク大学、コロンビア大学等で教授を務める。2003年国際司法裁判所裁判官就任、2009年同所長就任、2018年辞職。2019年二松学舎大学名誉博士。

學vol.57

広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。