學vol.55

二松学舎教員エッセイ(55)迫田幸栄准教授

二松学舎教員エッセイ(55)迫田幸栄准教授

名護紀行――娘の里帰り

 自分をさらけ出すのが苦手なわたくしはこれまでこのような書き物を避けてきた。でもとうとう逃げ切れなくなり、では3年半ほど暮らした名護(沖縄)のことを書いてみる。

 つい先日も4日間ほど帰郷した名護はもうじき七歳になる娘にとって大切な故郷。物心ついた2歳半から6歳まで東京の自宅にはほとんど滞在せず、名護の家から3年半通った幼稚園と、大好きなお友だちや常に可愛がってくれた市営市場のおばちゃん達がいる名護は娘にとって特別な場所である。

 名護市は沖縄県の北部、やんばる(山原)という山や森が多く残る地域の玄関口であり、筆者が勤めていた名桜大学はこの地にある唯一の大学である。沖縄自動車道終点の許田インターを降りるとすぐ目の前に美しく青い海、名護湾が広がっている。この名護湾に面した21世紀の森公園のビーチに、夕食のあと親子でよく散歩に出かけた。ヤドカリや野良猫ちゃんと出会え、泳いだり釣りを楽しんだり、地元のみなが憩う場所でもある。海沿いにある広大な敷地内にはバーベキュー施設やグラウンド、健康遊具があり、球場は毎年プロ野球チームの春季キャンプに使われている。

二松学舎教員エッセイ(55)迫田幸栄准教授

名護湾――はじめての海

 名護の人々は観光客ではない、かといって地元民でもない微妙な立場であるわたくしたち親子を温かく迎え入れてくれた。幼稚園の帰りによくいく名護市営市場の青果店のおばちゃんは娘の大のお気に入り。いつも優しく撫でてくれたり、大好物のイチゴを惜しみなく荷物にいれてくれたり、必ずよくしてくれた。時計屋のおじいちゃんは折に触れて名護の古い歴史を教えてくれ、2階の定食屋のお姉さんは行く度におまけをつけてくれた。行く先々で出会う人はみな、穏やかで善良であった。

 最後の一年を残して通い慣れた幼稚園を離れた直後から「また名護にいく」と口癖のように言っている娘は、名護の地を決して忘れない。だから文通している幼稚園のお友だちや先生、市場のおばちゃんのところに里帰りさせてやらねばならない。今後もできる限りつれていってやりたい。

 名護の市街地入口にある守り神のひんぷんガジュマルの木陰でよく遊んでいた娘のために我が家に迎えた一株の小さなガジュマルは寒い東京で元気に育っている。

参考文献 ▶名護市役所ホームページ

二松学舎教員エッセイ(55)迫田幸栄准教授

アラフォー。台北生まれの日系三世。専門は日本語学・日本語教育(学)。博士(文学)。台湾静宜大学助理教授、公立大学法人名桜大学准教授を経て2019年本学着任。著書に『現代日本語における分析的な構造をもつ派生動詞』(ひつじ書房、2018年3月)がある。

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広報誌 『學』アジアと世界の架け橋へ。