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「夏目漱石漢詩文屏風」購入・披露の記者発表を行いました

本学は、昨年12月に夏目漱石が禅語を墨書した二曲一双の屏風を購入しました。

屏風の大きさは一枚縦162センチ×横80センチ、書の大きさは縦121センチ×横58.5センチ、全体の大きさとしては、漱石の書の中で最大規模のもので、『禅林句集』に収められている、五言対句四種が書かれています。

この作品は、『漱石遺墨集』(春陽堂)や『漱石遺墨集』(求龍堂)、『図説漱石大観』(角川書店)にも収録されていないもので、よく知られていない作品と言うことができます。

1月25日には、九段1号館で屏風購入・披露の記者会見を行い、各新聞社の25日夕刊、26日朝刊やWeb版などに掲載されました。



屏風の由来について、詳細は伝わっていませんが、『中央公論』の名編集長と言われた滝田樗陰の求めに応じて書かれた作品が、その後、元中央公論社社長・麻田駒之助(1869年~1948年)の所蔵となったものと考えられます。

『中央公論』の名編集長と言われた滝田樗陰(1882年~1925年)が「夏目先生と書画」(『文豪夏目漱石』春陽堂)で漱石の屏風について述べており、また、漱石夫人・夏目鏡子の回想録『漱石の思ひ出』(改造社)にも、大正9年の漱石遺墨展覧会に屏風が出品された記述があることから、本学が購入した屏風が1920年の漱石遺墨展覧会に出展されていたとすれば、今回の公開は、約百年ぶりのこととなります。

この作品は、漱石晩年の書と位置づけられ、落款の種類もそれを裏づけています。草書の文字は力強く記されており、かつ、筆遣いには自在なものが感じられ、簡勁でかつ伸びやかな書体には、書家としての漱石の到達点が現われていると言えます。

書家としての漱石をとらえる上でも外すことのできない作品であり、漱石の晩年の境地を考える上でも重要な意味を持つと考えられます。



漢学塾時代に二松學舍で学んだ夏目漱石。

この作品は、現在、国文学科、中国文学科を擁し、また書道専攻を持つ二松學舍大学文学部を象徴するにふさわしい作品であり、大切に保存すると同時に、作品公開の機会も随時作っていきたいと考えています。

<書き下し文・出典>
始(はじめ)は芳(ほう)草(そう)に随(したが)って去り、又落花を逐(お)うて回(かえ)る。(『碧巌録』)
風(かぜ)狂(きょう)して蛍(ほたる)草に堕ち、雨驟(にわか)にして鵲(かささぎ)枝に驚く。
白(はく)鷺(ろ)沙(さ)汀(てい)に立ち、蘆花(ろか)相対(あいたい)して開く。(『禅林類聚』)
夜静かにして溪声(けいせい)近く、庭寒うして月(げっ)色(しょく)深し。(『三体詩』)

<現代語訳>
最初は香るばかりの若草に誘われて行き、さらに桜の花が散るのを追って帰ってきた。
急に強まった風に蛍が草に堕ち、にわかに降り出した雨に木の枝に止まった鵲が驚く。
白鷺が砂浜に立ち降り、蘆の花が向かい合うように咲き開いている。
静かな夜、渓川の流れの音が間近に聞こえ、寒さがみなぎる庭にかかる月の色が深みを帯びて感じられる。