私は、第二次世界大戦下から戦後までの太宰治の作品に表象された男女関係の力学を中心に研究を行っています。
大学時代から日本文学に触れていた私は、日本文学への関心が高まっていくことになりました。その後、日本に留学することを決めると同時に、日本文学を学ぶことにしました。来日し、二松学舎大学に入学しました。最初先生方やほかの院生たちと一緒に文学の話題になった時のワクワクした気持ちがいつまでも忘れられません。
私にとっての大学院は、授業で勉強する時間を重ねるにつれて、様々な知識や分析力が身につく、いわば自分の成長を楽しめるところです。
日本の漢文学に興味をもっているため、漢文学の研究で知られる二松学舎大学を選び、博士後期課程に入学しました。日本の漢文学は「国文学」にカテゴライズされますが、ただ日本のことだけを集中して研究すればよい、というわけではありません。そのため、漢文学(「国文学」)以外にも、「中国学」の課程も充実した二松学舎大学での三年間は、研究へのたしかな基礎を与えてくれました。
在学中は、二松学舎大学が主催する様々な学会やシンポジウムで発表することができ、研究の視野を広げることができました。また、学内に設置された東アジア学術総合研究所での勤務や、国際学会での発表や運営等にも携わり、経験を積むことができました。
さらに、国際交流を重視する二松学舎大学には、国際交流センターという留学生のための支援機構があり、留学生のための交流会やイベント等、様々な活動が行なわれています。そのこともあずかって、研究以外の面もふくめた、多彩で充実した留学生活を送ることができました。
現在、私は中国の河南省にある河南農業大学で日本語教師をしています。よく、学生たちには二松学舎大学での留学生活について、感激を込めて伝えています。先生たちの学問に対する真摯さや情熱に深い感銘を受けた私にとって、二松学舎大学は、私を研究の道に導いた存在と言えるのです。
私は日本語教育を仕事としており、多くの外国人留学生の方々と関わってきました。特に東アジアからの留学生が多いのですが、彼ら彼女らと接しているうちに、その背景にある社会や文化を私も学んでみたいと考えるようになったのが大学院進学のきっかけです。
大学院では北宋時代の絵画や画論について研究しています。絵画をひとつの事例として、近隣諸国と日本との間での、ものの見方の違いや文化の交流について理解を深められたらと考えています。また、専門分野を深めるだけでなく、古典を中心に文学、思想、文化など、多岐にわたる分野の専門知に触れることもできています。
幅広く、かつ奥深い中国学という分野での学びや研究活動を通して、私なりの異文化理解や文化交流の形を模索していきたいという思いで日々の研究に取り組んでいます。
国立台湾大学在学中に陽明学の研究に興味をもった私にとって、当時世界で唯一の陽明学研究所(注)があった二松学舎大学大学院は第一志望でした。文学、哲学と分けずに「中国学」という領域で豊富な講義、演習を受けることが出来たことは、私の視野を広げ、専門知識を深めてくれました。博士前期課程、後期課程を通して学んだ一番大事なことは、「学問の楽しみ」ということです。
現在私は台湾の国立清華大学中国文学系で主に中国思想と日本漢学を担当しています。二松学舎で身につけた専門知識が役に立っているのは勿論ですが、身をもって感じた先生方や先輩方の学問に対する情熱、真摯さがその後の自分の原動力となりました。
中国学、日本漢学の両方を学ぶことは、自国の文化を考え、先学の思索を理解するのにとても大切なことだと、教える立場になって改めて感じます。二松学舎でこれらの「原典」をしっかりと学べたことが、大事な糧となって今の私を支えています。
(注)陽明学研究所の事業は現在、東アジア学術総合研究所陽明学研究センターに引き継がれています。