二松学舎大学 受験生サイト

二松学舎大学で学んだ文化人

近代日本文学の文豪の一人である夏目漱石、第29代内閣総理大臣の犬養毅など、
創立から今日まで日本の各界を代表し、世の中に影響を与えた偉人たちが二松学舎で学んできました。

  • 夏目 漱石
    明治時代を代表する文豪。少年時代の一時、二松学舎で学び、多感な青春時代を過ごしました。この学び舎で、『史記』や『論語』『唐詩選』『皇朝史略』といった古今の漢文に触れ、その知識と教養を存分に深めていきました。儒教的倫理観や東洋学的美意識を磨いたその神髄は、後に遺した作品の多くに垣間見ることができます。
  • 中江 兆民
    明治期の思想家。岩倉遣外使節団に同行してフランスに留学、哲学・文学・史学等を学び、『孟子』『文章規範』『日本外史』等の仏訳を手掛けました。帰国後は東京の番町に仏学塾を設立。自ら塾生を教育する一方で、二松学舎で漢学の研鑽を積みました。
  • 犬養 毅
    二松学舎、共慣義塾を経て慶應義塾で学びました。1890(明治23)年の第1回衆議院議員総選挙での当選以来、42年間で18回連続当選し、政党政治家として活躍。世界恐慌や満州事変等、国政が困難を極めた時期に内閣総理大臣に就任、積極財政をとって不況対策に努めました。
  • 嘉納 治五郎
    1878(明治11)年、二松学舎に入塾。講道館を創設し、柔道普及に尽力。大日本体育協会の創設者。高等師範学校校長として教育界の人材育成に努めました。また国際派でもあり、中国からの留学生教育や柔道の国際化にも注力しました。日本の初代IOC委員としても活躍しました。
  • 黒田 清輝
    明るい色彩を使った外光表現をわが国にもたらす等、後の日本洋画界に大きな影響を及ぼした画家です。画家を志すきっかけとなったフランス留学の数年前、二松学舎に学びました。帰国後は東京美術学校等で多くの後進を育て、晩年は帝国美術院長等の要職に就きました。教科書でもおなじみの『湖畔』は代表作の一つです。
  • 比田井 天来
    古典の筆法「俯仰法」の発見等、書の研究に生涯を捧げ、「現代書道の父」と仰がれた書道家です。長野県に生まれ、16歳で漢学を修め、書を独習。1897(明治30)年に上京し、日下部鳴鶴に書を学び、翌年、二松学舎で三島中洲に漢籍を学びます。書学院を開設し、門下生の育成に尽力しました。
  • 薄田 泣菫
    1894(明治27)年、岡山から上京し、上野書籍館(帝国図書館の別称)に通いながら二松学舎で学びました。この時の素養が、後の泣菫の文学を決定し、『新著月刊』に泣菫の雅号を用いて投稿、後藤宙外、島村抱月らに絶賛。古語や漢語を多用した詩風で、蒲原有明とともに泣菫・有明時代を築きました。
  • 平塚 雷鳥
    女性解放運動家。婦人文芸集団・青鞜社創設、婦人参政権運動に尽力しました。1906(明治39)年ころ、二松学舎で漢文を学びました。急進的な思想の提唱者でしたが、漢学の内容にも共鳴。漢学は「永久に根本的に青年の学ぶ価値があるものであり、新しいもののもとになるものである」と説いています。

写真提供:国立国会図書館/天来書院