平成29年10月に創立140周年を迎える二松学舎では、創立140周年事業の一環として、夏目房之介氏、大阪大学大学院石黒研究室、朝日新聞社協力のもと本学にゆかりのある文豪・夏目漱石(以下、漱石)のアンドロイドを作成し、大学等で講義を行うというプロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトでは、文学的なアプローチで漱石の足跡等を改めて辿り、その研究をもとに、最新の技術を用い、漱石の姿を実際に浮かび上がらせることを目的の一つとしていますが、アンドロイドの作成がゴールではありません。
“漱石アンドロイド”に、世代を問わず多くの方に触れてもらい、今まで経験したことのない興味や未来に、出会ってほしいと考えています。

「夏目漱石」像を探しながら

“漱石アンドロイド”を作成することは、実際の漱石がどのような人物であったかを研究し、探し出していく過程でもあります。その過程を経て出来上がる“漱石アンドロイド”は私たち日本人が、それぞれイメージしている「夏目漱石」像を浮かび上がらせる存在になり得るかもしれません。漱石を探す新しい旅が、ここから始まります。

「夏目漱石」像を探しながら

大阪大学との共同研究
~“漱石アンドロイド”を作ることで見える未来の教育~

このプロジェクトには、アンドロイド研究の世界的権威で、あの“マツコロイド”などを手掛けたことでも知られる大阪大学大学院基礎工学研究科の石黒浩特別教授にもご協力いただき、石黒教授監修のもと“漱石アンドロイド”を作成します。
今、私たちの日常生活の中には、すでに様々な形でアンドロイドやAIといった存在が入り込み、その可能性は以前と比較にならないほど、大きく広がっていますが、教育現場の活用は未開拓の領域です。“漱石アンドロイド”が完成し、大学や高校などで講演や講義、授業をする・・・それが現実になった時、今まで見えなかった“未来の教育”の扉が開くはずです。

漱石と二松学舎

二松学舎は、明治10年“漢学塾・二松学舎”として、ここ九段の地に誕生しました。 創立者の三島中洲は、当時有名な漢学者であり、その教えを受けようと多くの塾生が集まりました。
漱石は、幼いころから漢詩や漢文が大好きな少年でした。目指す東京大学予備門入学には英語を学ぶことは不可欠でしたが、実は、あまり英語が好きではなかった漱石少年は自分の進むべき将来と葛藤しながらも、明治14年、“漢学塾・二松学舎”の門をたたき、約1年中洲先生のもとで漢詩文を学びました。
明治39年に発表された「落第」という談話の中で、漱石は、二松学舎のことを「机もない古い畳の上で、カルタ取りの時のような姿勢で勉強した」「輪講の順番を決めるくじも漢学流で、何事も徹底して漢学式だった」などと、回想しています。英語教員、英文学研究者として世に出た漱石は、作家になる前から、俳句や漢詩を作り、禅の修行をし、東洋的な境地を理想としました。〈東洋と西洋〉は漱石が生涯をかけて考え続けたテーマだったと言えるでしょう。そう考えてみれば、二松学舎で学んだ一年は、漱石の生涯の中でも独特の意味合いをもつ重要な一年でした。

漱石と二松学舎