アンドロイドになって、漱石は本当に「甦った」のでしょうか。私たちは「甦らせた」と言えるのでしょうか。甦らせるためには、何が必要で、どうすればよいのでしょうか。改めて問い直す機会を設けました。
文豪の魂はどこに宿るのか。漱石アンドロイドに魂は(いかに)宿るか/我々は宿すことが出来るのか。…そのヒントはどこにあるのでしょう。 そんなお話をうかがいたくて、強力な論客をお招きしました。「人形」「写真」「虚構 vs 現実」の3つの視点から、総合的に討論を試みます。
入場無料 先着順・事前申込不要
※満席の場合は、立ち見・別室モニター観覧等となる場合があります。
明治の文豪・夏目漱石の魂は、どこに宿るか。当然、その作品にも宿ることでしょう。百年の時を経て、漱石の作品が今日の私たちに訴えかけてくるものは何か。アンドロイドとして甦った漱石が、自らの作品を朗読するとき、また、かつて自ら綴ったことばの数々を踏まえていま私たちに語りかけるとき、時を越えて私たちが受け止めるものは何か。
文脈のうえに成り立つことばの意味や情報が、文脈から自由になって、剥き出しのセリフとして組み上がったとき、私たちはそこから何を感じ取るか。異なる時代背景の中でもなお私たちに響く普遍性のあるメッセージは、作品に宿る文豪・漱石の魂を感じさせてくれるのではないでしょうか。
今年のオープニングアクトは、漱石作品のテキストに基づいて、音楽における“サンプリング”のように得られた素材を再構築しながら、ある時は独りごち、ある時は問いかけるように語られるモノローグ作品となっています。
アンドロイドが発するセリフの音声は、文字列に従って機械的に生成された合成音声。漱石の孫にあたる夏目房之介氏の発話から採取した「音素」(子音や母音など、「声のもと」となる要素)を組み合わせて作られた人工的な音ですが、それを微調整して人間の話し声に近づける作業を今年担当したのは、音声学を含む「日本語学」を専門とする本学の島田泰子文学部教授です。今年のディスカッションのテーマに沿って、作り物のアンドロイドに「魂を宿す」べく、できるだけ生々しい語り口に仕上げてみました。夏目房之介氏による朗読の録音を使っているのか、と間違える人も、中にはいるかもしれません。
また、漱石アンドロイドのジェスチャも、講演とは異なりモノローグらしい、やや地味な動きに仕上げてあります。今年、アンドロイドの動作プログラムを作成・調整し、上演本番でも操演を担当する二木潤さんは、文学部2年生の学生です。大げさな身振り手振りとは対極的な、どちらかと言えばかすかな動きに、むしろ生身の人間に近いリアリティが感じられることでしょう。
眠りから覚めた漱石が、まだ少し眠そうにゆっくりと、ぼそりと話しはじめるモノローグは、次第に熱を帯び、かつての講演での語り口を思わせる名調子で聴衆にたたみ掛けるシーンも。生前、大の落語好きであった漱石が、ところどころ女の声音(こわね)を使って怪談噺ふうに語り聞かせるシーンも見どころです。終盤には、ぞくーーーっとするような凄みさえ感じる瞬間もあるかもしれません! 合成音声とは思えない滑らかさでぬるぬる喋る漱石アンドロイドの語りを、時代を超えて胸に響く深いメッセージを、ぜひお楽しみください。
“熟議”系徹底討論を目指して行う本イベントでは、通常のシンポジウムよりも各発題者のプレゼンタイムを長めに取り、まずはそれぞれのお話をじっくり伺います。ご発題を受けての総合討論も、時間をたっぷり掛けてじっくり行います。
台本無し、司会者無し、予定調和無し、手に汗にぎる“知恵熱”トークを通じて、アカデミズムの枠を超えたさまざまな観点から「漱石アンドロイド」をめぐる多軸多焦点の議論が熟す過程に立ち会い、言論が立ち上がるプロセスそのものをお楽しみください!
漱石アンドロイドシンポジウム事務局
soseki-a@nishogakusha-u.ac.jp