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二松学舎大学 学長 江藤 茂博

GREETING学長ごあいさつ

周年事業という緊張感

創立145周年の周年事業の年となりました。学校にとって周年事業とは、ひとつの区切りであり、これまでの有り様を振り返り、ここまで支えてくれた教職員や学生はもとより、多くの関係者に感謝すると共に、この後をどうするのかを、関係者皆で考えることでもあります。多くの二松学舎の先人たちが、まさにさまざまな思いで、それぞれの周年事業に携わり、今日まで二松学舎が二松学舎であることを考え、そしてその維持発展に努力を重ねてこられたのでしょう。改めて、この長い年月、いわば無私の精神で学校を支えた人たちには、私は心から敬意を払いたいと思います。

学生時代からのほとんど趣味の領域ではありますが、これまで幾つもの学校の「年史」というものを手にしてきました。部外者にとっては、あまり手にされることない本ですが、その編纂は個性があふれています。時の権力者への賛歌を書きまとめている「年史」もあれば、これまでの艱難かんなん辛苦しんくを切々と訴えた表現になっている「年史」もあります。確かに「年史」が出版できるくらいなので、経営はそれなりに安定しているのでしょうし、また批判を書くものもそもそもはいません。場所柄をわきまえろという話になります。それにしても、学校というものが、その出発を起点に絶えず周年事業として自己確認していく、この文化的な機能はなんでしょうか。周年事業と出会う度に、学校関係者としてはいささか気になってはいました。特に今年は、私が個人的に親しい二つの学校が百周年を迎えた年でもあったからです。

こうした身辺を顧みても、確かに学校にとって、これまでとこれからとを、しっかりと認識し、それらを書き記していくことは重要です。そして自らの教育事業が社会に受け入れられ、人々がそれを必要とするならば、事業規模も膨らんでいくでしょう。周年事業で浮かび上がる教育事業の軌跡は、今後を考えるためにも大きな意味を持つわけです。
しかし、気を付けなければならないこともあります。周年事業での評価というものは、その時点での賛辞を並べたものであり、その表現が後々に影響を持つかもしれないことです。私の着任当時の学長であった故石川忠久先生の文章には、「二松学舎はこれからも、大きな規模の大学となることを目指さない。二つの学部が二本の松のように競い合い、支え合って、小さいながらもピリリと辛い、老舗の味を磨いていく」(「創立百二十五周年 記念論文集」2002.10)と結ばれます。その見事なレトリックは、良くも悪くもその後の二松学舎大学の方向性に影響したかもしれません。

この145周年は、プラン通りに展開していること、いまさら私が繰り返すまでもありません。二松学舎150周年まであと一息のところまで歩んできました。漢学塾からの伝統を重ねながら、さらに世界に向けての高等教育機関として二松学舎は力強く歩んで欲しいと思います。この145周年という基点をここにお祝いし、そして、次の150周年が、さらに二松学舎の新たな関係者にしっかりと支えられていくことを、私は信じて疑いません。

二松学舎大学 学長 江藤 茂博