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歴史スポット3 ガラス張りの美しい教会「日本基督教団富士見町教会」 麻生 将専任講師

 JR飯田橋駅西口を出ると江戸城の重要な城門の一つ、牛込御門跡の向こう側にそびえ立つ巨大なグランブルームとスクランブル交差点の間にガラス張りの美しい教会が存在します。日本基督教団という日本最大のプロテスタント教団に属する「富士見町教会」です。この教会はもともと麹町区三番町(二松学舎大学の1、2号館の近く)に建てられていましたが、後に現在の場所に移転しました。
 近代の日本のキリスト教の歴史は幕末から明治時代初期にさかのぼります。当時、江戸幕府の武士たちは戊辰戦争で敗れ生き残ったとき、自分の生涯を日本の発展のためにささげる決意をし、英語を勉強するために居留地の宣教師のもとをたずねます。そして宣教師から英語とキリスト教の教えを学ぶうちに武士道の思想とキリスト教思想が彼らの中で共鳴し、クリスチャンになる人々が出てきました。植村正久という人物もその一人で、後に牧師となり、近代日本のキリスト教の歴史を語るときに欠かすことのできない重要なリーダー的存在でした。植村正久が設立し、初代牧師を務めたのがこの富士見町教会です。

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 また、彼には娘がいて、名を植村環といいます。彼女も父親の影響でクリスチャンとなり、医学を学ぶためにアメリカに留学の後、帰国してから二松学舎に入学し、三島中洲から漢学を学びました。意外かもしれませんが、近代日本ではキリスト教思想と漢学や武士道は思想的な距離が近かったのです。たとえば内村鑑三や新渡戸稲造といった代表的なキリスト教思想家の思想はその代表例です。
 やがて太平洋戦争直前の1941年6月、教会合同の機が熟していたところに、宗教団体法の実施があり、日本のプロテスタントの諸派が教会として合同し、日本基督教団が成立します。日本のキリスト教の歴史が戦争協力に向けて大きく動き始めた瞬間でもありましたが、その創立総会が開催された場所こそが、富士見町教会だったのです。
 こうした激動の時代を経て、現在は飯田橋の地に静かに建っています。

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