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第6回 孫権

孫権
孫権【そん・けん】182~252
字は仲謀。呉郡富春県(浙江省富陽市)の人。孫堅の子、孫策の弟。19歳で兄を継いで江東を支配し、呉の初代皇帝となった。周瑜を信任して曹操を赤壁に破り、陸遜を抜擢して劉備を夷陵に破るなど、人材を用いる手腕にすぐれる。しかし、晩年は後継者問題から臣下を混乱に陥れる失態を犯した。

 三国の君主のうち、蜀の劉備、魏の曹操と違って、呉の孫権は人気があるとはいえないのではないか――。タイトルを見てそんな疑念を持った人もいるでしょう。その通りです。筆者の周りにも呉の人物が好きな人はいますが、たいていは孫策や周瑜、陸遜などのファンであって、孫権のファンは珍しい存在です。

孫策と孫権

 同じ兄弟でも、兄の孫策はイケメン(「美姿顔」)であり、周瑜と金属も断ち切るほど(「断金」)の固い友情を結び、太史慈と一騎打ちをする武勇も持ち合わせています。また、その妻は絶世の美女・大橋です。さらに、26歳の若さで世を去っており、まさに第2回で周瑜の人気の秘密として指摘した点と重なるところが多くあります。人気があって当然なのです。

 一方、弟の孫権は四角い顔(「方頤」)に大きな口(「大口」)、紫のひげ(「紫髯」)という顔立ちであり、胴が長く足が短かった(「長上短下」)と史書にあります。さらに、小説『三国志演義』では青い目(「碧眼」)がつけ加わります。貴人の相ということですが、イケメンというカテゴリーには入らないでしょう。ジョン・ウー監督の映画『レッドクリフ』では、先頭に立って敵と闘う勇ましさも見せましたが、実際の孫権も騎馬と弓矢に長じていました。が、孫策の華やかさには及びません。孫権はむしろすぐれた文武の臣を思う存分はたらかせることにたくみでした。どうしても「動」の孫策、「静」の孫権という印象を持ってしまいます。いったい、呉の基礎固めをしたのは孫策であり、それを継承し発展させたのが孫権です。

江南の人々の孫権に対する想い

地図

 中国においても孫権は一般的に人気があるとはとてもいえません。しかし、広い中国のことです。地域によっては孫権への関心が高いところもあります。それは、三国時代に呉の国があった江南(長江中・下流の南部)の地域です。

 孫権が呉の都を置いた建業は今の江蘇省南京市です。南京は歴史上多くの王朝の都となり、革命の父である孫文の墓もあるため、三国時代の遺跡がただちに南京を代表する観光名所とはなりませんが、当時の城壁である石頭城のような貴重な遺跡が残っています。

 明の朱元璋の墓である明孝陵も人気のある観光地ですが、その参道を歩いていくと、脇に入ったところに「孫権墓」と書かれた碑があり、その奥に孫権故事園があります。孫権故事園には孫権の石像が立ち、園の一方をめぐる回廊には『三国志演義』や民間伝説に見える孫権の故事(エピソード)を刻した12枚のレリーフが配されています。

孫権故事園のレリーフ

 実のところ、孫権の墓が南京のどこにつくられたのかは文献の記述からは分かりません。しかし、朱元璋が自らの墓をつくるにあたり、孫権を墓守とするためにその敷地内にあった孫権墓を取り壊さなかったという伝説があります。敷地内にある梅花山こそが孫権の墓であるともいいます。

 そこで、三国時代に一方の雄となった孫権を記念するスペースが明孝陵内に設けられたのでしょう。レリーフに描かれるエピソードが必ずしも孫権をプラスに描いたものばかりではない点からも、一般的に人気があるとは言い難い孫権のために無理にエピソードをそろえた感があります。

 2010年夏には江蘇省鎮江市で中国《三国演義》学会の第20回大会が開かれました。鎮江は後漢~三国時代には京城と呼ばれ、孫権が本拠地としていたこともある場所です。自然と地元江南からの参加者が多く、研究発表や提出論文のテーマにも呉や孫権に関わるものが目立ちました。

曹操墓「偽物説」の裏側

明孝陵の孫権像

 この中国《三国演義》学会第20回大会に集まった参加者の間でもちきりとなっていた話題が、前年に河南省安陽市で発見された曹操墓についてです。多くの人があれは偽物だと断言していました。しかし、その議論は多分に感情的で、聞く者を納得させるに足る客観的で冷静な論拠を示してはくれませんでした。彼らの議論から伝わってきたのは、河南省に対する嫉妬以外の何物でもありませんでした。

 目ざましい経済発展の陰で中国の地域間格差が拡大していることは、報道などでご承知の通りです。そこで、経済発展の恩恵をなかなか受けられない地域が力を入れているのが観光開発です。もし、人気の高い「三国志」にまつわる名所がその地域にあれば、またとない観光の目玉になります。

そのような社会状況の中で曹操の墓が見つかったと発表されました。『三国志演義』の悪役ではあるものの、新中国では英雄として再評価された曹操。そのネームバリューはあなどれないものがあります。観光開発をもくろむなら、願ってもない有名人です。

 しかも、河南省安陽市には、世界遺産に指定されている殷墟(殷代の都の遺跡)もあります。ただでさえ重要な遺跡が集中している河南省に今度は曹操の墓! 経済発展の流れに乗れない他の地域が悔しがって嫉妬するのも無理はありません。それが感情的な「偽物説」につながっているのは間違いないでしょう。

 もちろん、安陽市で見つかった墓が曹操のものであるとする説にも慎重に対処する必要があります。例えば、夏侯惇墓である可能性も明確に否定されてはいないからです。しかし、上に述べたような事情から、「あれは偽物だ」と声高に叫ぶ人たちにはそれ以上に注意することが必要です。それだけ地域間の経済格差に起因する観光開発は熾烈なのです。

 南京の明孝陵内にある孫権像も、地域の人たちの期待を背負わされて立っているといえましょう。(文学部中国文学科 伊藤晋太郎)

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