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国文学科6月10日に国立劇場で開催された
「歌舞伎鑑賞教室」に1年生が参加しました。

UpDate:2018.7.13

 国文学科では毎年新入生歓迎の文化行事を行っています。今年は、6月10日に国立劇場で開催された歌舞伎鑑賞教室「連獅子」でした。参加した1年生の声を紹介します。

学生N・Mさん

 私は今まで、歌舞伎とは初心者が見るには難しく、又日本の伝統芸能であることから劇場に見に行くにはハードルが高いものであると思っていました。しかし、今回の歌舞伎鑑賞教室で現役の歌舞伎役者さんの解説や連獅子を見て、そんなイメージも払拭されました。
 まず歌舞伎鑑賞教室の前半、歌舞伎や連獅子についての解説では、舞台の説明や演目について面白さを交えながら説明していただき、今まで全く知らなかった歌舞伎の世界への興味がそそられました。とくに、舞台は奥行きが20mあるということを聞いたときには、その広さに驚くと同時に、そのような広い舞台に飲まれることなく存在感を示す解説者の坂東巳之助さんに、歌舞伎役者さんも伊達ではないなと思いました。
 まず1つ目に印象深かった点は、とても激しい動きにも関わらず顔色一つ変えず舞っている歌舞伎役者さんの姿です。動いている最中は疲れた様子を見せることもなく息があがることもなく優雅に舞っていて、あまりハードな動きではないのかと思うほどでしたが、小獅子役の方が花道に胡座をかいて座った際息を切らしていたのを見て、相当ハードな動きなのだと実感すると同時に、それを感じさせないところに脱帽しました。
 2つ目の印象深かった点は、上下の空間の使い方です。というのも、今まで私は、歌舞伎では立つ、跳ぶ等の上の空間での動きしかない者と思っていました。しかし、実際は座ったり寝転がったりと下の空間を使った動きもあり、驚いたと同時に印象に強く残りました。

学生K・Yさん

 私が、歌舞伎鑑賞教室で印象に残った点は3つある。まず一つは、「歌舞伎のみかた」である。解説の坂東巳之助さんの明るく親しみやすい語り口に引き込まれた。一方的に話すのではなく、観客をうまく巻き込みながら話しており、聞いていてとても楽しかった。加えて、TVなどで日本舞踊を見ているとき足踏みする音が、よく響くのは何故かと疑問に思っていた。それゆえ、舞踊を踊る際は特別な床を強いて踊ることが分かったのは大変勉強になった。
 次に、印象に残ったのは、中村又五郎・歌昇親子の息がぴったりと合った踊りである。とくに狂言師に扮しているときの踊りが素晴らしかった。キビキビとした無駄のない動き、二人のシンクロする動きが素晴らしかった。
 三つ目は、親子の獅子の精の豪快な毛振りである。毛振りは有名な踊りゆえ、私も知ってはいたが、劇場で実際に踊っているのを鑑賞するのは始めてであった。まず、その迫力に圧倒された。花道のすぐそばに座っていたため、獅子の精の毛や豪華な衣装の華やかさがよく感じられた。親子の獅子の毛振りは、リズミカルな三味線の音や百花の王とされるボタンの花のあでやかさもあいまって大変華やかでおめでたい、時代を超えて愛され、受け継がれてきたのがよく分かる舞踊であった。

学生Y・Mさん

 私は歌舞伎を見るのはこれで2回目でした。初めての歌舞伎は、高校1年生のときに同じくこの国立劇場で見た「壺阪霊験記」でした。「壺阪霊験記」は盲目の主人公と若い妻の物語で、派手な部分はないものの面白かったです。「壺阪霊験記」がストーリー仕立てなのに対して、今回の「連獅子」は舞がメインに据えられており、こういった歌舞伎もあるのだなと新鮮に感じました。見る前にあらすじを確認したらあまり場面につながりを感じず、ストーリーがなければ一体どこに面白みを感じればよいか、少し不安になっていました。しかし、俳優さんを輝かせるための演目であり、舞こそが見所だということを知り、ストーリーに頼らず、自身の魅力だけで客を集めることができるのはすごいなと思いました。
 最初の舞では親獅子と子獅子の掛け合いがとても鮮やかで、目が離せませんでした。途中、子獅子の俳優さんが飛び上がって座る動きがあり、高い位置からあぐらの姿勢で着地するのは痛くないのだろうかと少し心配になりました。そのときに俳優さんの背中が上下しているのを見て、激しい動きで息が切れるだろうに、それを表現に全く見せていないのがやはりすごいと思いました。

学生T・Iさん

 中学生の頃、修学旅行で能を見たことがあったのですが、歌舞伎は今回初めて観て、とても楽しかったです。今回見た連獅子は歌舞伎のお芝居のなかでも有名なものだったらしく、最後の親獅子と子獅子が髪を振るシーンは私も知っていたので、そのシーンを見たとき興奮しました。
 今回の歌舞伎を見て印象に残ったことは、小道具の多さと衣装の色鮮やかさです。歌舞伎では獅子の頭を使って獅子が遊んでいる様子や花も使って花と戯れている様子など、その場面ごとの様子が分かりやすく表現されていました。また、歌い手の人と三味線、笛の音があっていてとても迫力のあるものになっていて驚きました。笛の音を聞いたとき、物語の雰囲気がより引き立ったのを感じて、ひとつひとつのものにちゃんと意味があるのだなと思いました。次に、色鮮やかな衣装です。能の衣装は色が暗く紫や濃紺が多く、明るくても淡い青色や紫色でした。その点、歌舞伎は役者と奏者・歌い手・お手伝いさんと着る衣装の色が違って、また役者の着る衣装は、親獅子・子獅子にあわせて赤と白を基調としていて、その色に合うように金や緑・朱色を使っていて煌びやかだと思いました。

学生S・Mさん

 私は一度、高校生のときにも授業の一環で歌舞伎教室に行ったことがありました。そのときには2階席で舞台があまり見えず、寝てしまっていたので面白かったなどと思ったことがありませんでした。日本の伝統芸能であるし、興味があるはずだったのにあまりよい思い出がないというのは国語教員を目指している者としていかがなものだろうかと思い、いつかまた見に行こうと思っていたので、今回の歌舞伎はだいぶ楽しみでした。
 いざ、歌舞伎についてのお話が始まると、そこから私の記憶とは大きく異なっていました。歌舞伎のセットや演目についてのお話を聴いてとても面白かったです。話し方なども、さすがプロの方だなと思いました。
 親獅子が花道から出てきたとき、お香のような香りがしてとても印象に残っています。子獅子が一番前まで行って後ろ向きに裾の方まで下がってきたのもすごかったです。なにより、親子の獅子が長い毛を叩き付けたりするところは本当に格好よく、圧巻でした。

学生N・Oさん

 歌舞伎を鑑賞したのは初めてでした。中学の音楽の授業で少しだけ見たことはあったのですが、その当時はなぜ音楽の授業で歌舞伎を見せられるのかが理解できませんでした。歌舞伎は内容が難しく、どちらかというと芸術よりも文学的なイメージの方が強かったからです。
 しかし、今回の鑑賞教室でイメージが変わりました。たしかに、内容をすべて理解するのは難しいのですが、連獅子の公演前に解説や見所の説明をしていただき、作品に入り込みやすくなりました。「連獅子」が獅子の親子の話だということが分かっただけで、内容もすんなり頭に入ってきました。また、演者の方も本物の親子でいらっしゃるということで、そこにも注目して鑑賞できたかなと思います。
 内容については、僧の二人が言い争う場面で笑ってしまいました。自分の宗派のほうが優れているとむきになって言い張るところが現代にも通じるものがあると思い、面白かったです。しかし僧の二人が去った後の獅子の舞いには、とてつもない迫力を感じ圧倒されました。私は花道の近くに座っていたのですが、風がこちらまで伝わってくるくらい激しい舞で、すごいなと思いました。

文学部共通二松学舎大学東アジア学術総合研究所共同研究プロジェクト
公開ワークショップ「幽霊の歴史文化学」開催のお知らせ

UpDate:2018.01.24

「二松学舎大学東アジア学術総合研究所共同研究プロジェクト「死霊の表象をめぐる多角的研究」の活動の一環として、下記の公開ワークショップを開きます。山田雄司三重大学教授の講演「生と死の間─霊魂の観点から」と、シンポジウム①「変容する幽霊―彷徨いの系譜」、シンポジウム②「死へのまなざし─幽霊が出没する空間を考える」が行われます。聴講無料、事前予約も不要です。奮ってご参加ください。」
公開ワークショップ「幽霊の歴史文化学」のお知らせ
クリックで拡大(pdf)
日時 2018年2月10日(土)13:00~17:50
会場 二松学舎大学九段キャンパス1号館201教室
プログラム
<基調講演> 13:10~14:00
山田雄司(三重大学)「生と死の間─霊魂の観点から」
<シンポジウム①> 14:10~15:50
「変容する幽霊─彷徨いの系譜」

司会
山田雄司(三重大学)
シンポジスト
小山聡子(二松学舎大学)
「幽霊ではなかった幽霊─古代・中世における実像」
足立元(二松学舎大学)
「社会運動の「幽霊」画─《原爆の図》とルポルタージュ絵画から」
山口直孝(二松学舎大学)
「祟りきれない老婆と猫─中川信夫『亡霊怪猫屋敷』のモダニティ」
<シンポジウム②> 16:00~17:40
「死へのまなざし─幽霊が出没する空間を考える」

司会
内田忠賢(奈良女子大学)
シンポジスト
遠藤英樹(立命館大学)
「ホラー映画の表象とメディアの物マテリアリティ質性─貞子はなぜテレビから這い出してくるのか?」
岡本健(奈良県立大学)
「空間と存在とゾンビ─幽霊との比較から」
松本健太郎(二松学舎大学)
「デジタル時代の幽霊表象─監視カメラが自動的/機械的に捕捉した幽霊動画を題材に」
特記事項 聴講無料・事前予約不要
お問い合わせ先 二松学舎大学東アジア学術総合研究所
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-4-14 4号館
TEL:03-3261-3535
FAX:03-3261-3536

中国文学科5月13日に新入生歓迎企画として
中国古典演劇鑑賞会が開かれました。

UpDate:2017.6.26

 中国文学科では毎年1年生全員を対象に新入生歓迎企画を行っていますが、今年は新しく開設された都市文化デザイン学科と合同で5月13日に中国古典演劇鑑賞会を開催し、新入生に中国の古典芸能に触れていただきました。
 以下、中国文学科の学生たちの感想を掲載します。

学生 T.S.さん

 一つ目の劇の「天女散花」では長いたもとを使った動きがとても美しかった。二つ目の変面では、15分程の間で10回くらい面が変わってびっくりした。役の方が近くまで来てくれて観せてくれたが、こんなに近くで観ても分からなかった。この技術は中国の国家機密にも認定されているということで、とてもすばらしいものを観ることができて大満足です。三つ目の孫悟空の劇は登場人物がたくさんいて服装や武器もきらびやかで見とれてしまいました。劇は中国語で語られていましたが、一番最初に京劇の説明をしてくださったり、字幕をつけてくださっていたので、とても楽しめました。1回観ただけでは分からない奥深いものがありそうなので、機会があったらぜひまた拝見させていただきたいです。

学生 U.H.さん

 今まで、京劇というものがどのようなものなのか、全く知らなかったので、今回京劇について細かく色々知る事が出来て良かった。
最初にやっていた「天女散花」では、説明で聞いた通り、女性っぽい動作できれいだなと思った。独特の歩き方など、難しそうですごいと思った。
変面も近くで見てもなにがどうなっているのか全然わからなくて、どうやっているのか本当に気になった。
皆で「好!」と言いながら見るのも楽しいし、盛り上がるなと思った。
中国の伝統芸能は、日本の芸能と違って、衣装の色合いなどとてもハデだったり、立ち回りなども大きく動いたり高く飛んだりと、ハデで見ていてすごく楽しめた。
次また観る機会があったら意味なども調べてからみてみたい。

 また、都市文化デザイン学科では、鑑賞会で上演された「西遊記」の一部を取り上げた京劇作品と、「西遊記」の任意の翻案作品とを比較し、分析するというレポート課題が出されました。以下はそのレポートの一部を抜粋したものです。

学生 A.T.さん

 日産の連作CM『日産ノート✕西遊記』では、近代的な高層ビル群の中を孫悟空の乗り物である筋斗雲が滑走し、それが広告の対象である『日産ノート』に変身する、その過程で何か特定の新機能が紹介されるという流れが三本の連作すべてで踏襲される。(中略)TVCMは複数の描写を多層的に行なう。商品の機能の説明、商品の持つイメージの伝達、それを販売、製作、広報する企業のブランドそのものの紹介としてTVCMは構成されている。そのため、フックとなるイメージとして人口に膾炙したイメージとして、神話や伝承、童話等が用いられる。この場合に引用された西遊記は、近代の産物である自動車に合わせて、先に言及した衣装や舞台、しぐさといった要素が近代的なものへと作り替えられている。
一方、京劇の中での孫悟空などの登場人物は、細かいしぐさ、大きな動き、表情などが、神話時代を再現しようとするようになされる。模倣のために行なわれる動作は細やかに制約されており、それゆえに、かえって身体性が明白なものとして観客の視線の前に晒される。そこには、TVCMの中のようにカメラ一つ一つの映さない部分や、後から加えられる注釈は存在せず、舞踊と演技の絶え間ない流れを観客を目撃することとなる。動作と動作の間には、フィルムのような仮の切れ目も、デジタルのような二元化も存在することはない。すなわち、舞台上で行なわれる演目には編集の介在する余地がないということだ。

学生 A.S.さん

 京劇では天界の桃園の番人になったところから始まり、映画『モンキー・マジック 孫悟空誕生』では弼馬温(馬飼い)の位を授かるところから始まる。どちらも後には天界の神々と戦うのだが、このわずかな差異によって京劇と映画とでは孫悟空に対する印象ががらりと変わるのである。
京劇では孫悟空の「暴れん坊」という一面を特に取り上げて演出しており、対照的に映画では、厩に縛り付けられていた馬を解放したり、子分の猿たちに慕われていたりと孫悟空の「優しい」一面が多く取り上げられている。
この違いはなぜ生じるのか。京劇と映画で魅せ方が異なるからではないだろうか。
京劇は映画と違い緊張感がある。どんなにベテランの役者であっても失敗はありうる。その緊張感は役者の息づかいや立ち回り、歌を通して観客に伝わる。戦闘シーンに於いてその緊張感は劇をさらにリアルにするのだ。そのため、戦闘シーンへ円滑に物語が進むよう、孫悟空の「暴れん坊」という一面を多用していると思われる。
一方映画では失敗はありえないので緊張感が生まれずただ淡々と物語が過ぎて行ってしまう。それを防ぐため「優しい」日常のシーンを挟み暴れん坊の一面とのギャップで物語を盛り上げるのではないだろうか。

国文学科5月12日(金)に本屋B&Bで荒井裕樹先生と
川口有美子氏のトークイベントがあります。

UpDate:2017.4.21

 本学国文学科の荒井裕樹先生のご著書『差別されている自覚はあるか』(現代書館)の刊行記念イベントとして、荒井先生とALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長の川口有美子氏のトークイベント「相模原障害者施設殺傷事件から、いのちの始まり~終わりを考える」が、5月12日(金)19時~21時まで世田谷区北沢の本屋B&Bで行われます。奮ってご参加ください。イベントの詳細と申し込み方法などは、下記のサイトをご覧ください。

 http://bookandbeer.com/event/20170512_bt/

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