■ スピーチ「善隣訳書館と岡本韋庵」 狭間直樹(京都産業大学)  
     
     
  二松学舎大学21世紀COEプログラム/三島中洲研究会共催報告会

2005.7.30 15:00-16:30  於二松学舎大学九段校舎

 

善隣訳書館と岡本韋庵

 

§1 梁啓超研究から岡本韋庵へ

 ・梁啓超[1873-1929]と明治日本──“国家”について

   『清議報』11-31「政治学譚」欄での「国家論 徳国伯倫知理著」の掲載

   吾妻兵治の孫訳(日訳からの漢訳)『国家学』の訳者名を伏せた掲載(注@)

   吾妻兵治訳『国家学』は、善隣訳書館/国光社、1899.12の刊

 ・善隣訳書館についての記事──内藤湖南『燕山楚水』

      「現に設けて善隣訳書館あり、吾妻某氏、岡本監輔翁等と……」【資料A

 

§2 岡本韋庵の生涯

  岡本監輔[1839-1904]阿波の農家の生まれ。幼名文平、号は韋庵。

        1863 樺太調査、1868 函館裁判所権判事、1875 T訪華、1876 U訪華、

    1892 千島義会、1894 徳島県立中学校長、1900 V訪華、1901 W訪華、

       「先生一生、以籌北辺為志」(内藤湖南「岡本韋庵先生墓標」)

  著作 『北蝦夷新誌』1867に始まり、出版書39(有馬卓也氏による)

  岡本監輔著、中村正直閲『万国史記』内外兵事新聞局、1879.5

    序跋撰者:何如璋、 副島種臣、 成斎重野安繹[1827-1910,薩摩藩士]

    敬宇中村正直[1832-1891,幕府儒官]、 岡千仭[1833-1913,仙台]

    鳥尾小弥太[1847-1905,長州藩士]、 甕江川田剛[1830-1896,備中松山藩士]

    篁村島田重礼[1838-1898,幕府儒官]

        ──王韜「必伝之巨製、不朽之盛業」(『扶桑游記』1879.6.21)

            康有為『日本書目志』「図志門」に松陰『幽囚録』等とともに掲げる

            梁啓超「読書分月課程」1894、横浜大同学校1898の教材

            韓国・玄采『万国史記』は韋庵の書を基に編集したもの

  岡本監輔著、三宅憲章校『万国通典』集義館、1884.8

     序跋撰者:湖山小野愿[1814-1910,吉田藩儒]、 甕谷岡松辰[1820-1895,豊後高田]

    東京大学教授南摩綱紀[1823-1909,会津若松]、中洲学人三島毅、敬宇中村正直、

    鳥尾得庵[小弥太][長岡]護美[久保田・中村先生示教]、 藤野啓[1826-1888,

松山藩儒]、 省軒亀谷行[1826-1913,対馬]、 友人有井範[1830-1889,徳島]

  備中松山藩儒三島中洲[1830-1915]との接点

   (1)『万国通典』に序文執筆【資料B

    「甲申[1884]二月中洲学人三島毅撰 八洲居士畠山爽書」

  (2)1884.3韋庵が亜細亜協会入会(中洲は1881.7興亜会に入会[中村義論文(注A)])

  (3)「善隣義会五規」に意見提出【資料C

        『清議報』2[1899.1]掲載の189811月「善隣協会主旨」に先行するもの

§3 善隣訳書館について

 ・パンフ『株式会社 善隣訳書館』【資料D

        株式組織と為すの理由/目論見書/営業設計/営業説明、の四部構成

        吾妻兵治,松本正純両幹事の調査報告──『大日本維新史』『国家学』等を携えて

 ・清国における書籍販売の問題点

        版権法の未制定──翻刻禁止令で対処;督撫道台等「大に吾館の美挙を賛し」

        中華意識の克服──「戦役の結果彼れ大に吾国に信頼するの念を起すに由る」

           『日本外史』幾十万部、『万国史記30万部以上が坊間に流布

 ・株式会社化による国家的事業としての展開構想

        政府補助金と領事等の支援

        株式会社化により、「彼の国朝野の信用を博する」等の利点

    「国家的にして営利、営利的にして国家、国家的と営利的と互に首尾を為す」

      大阪商船会社の長江航路等のように国家的精神と営利的成功を兼備

 ・日本の経験を提供することによる隣国支援

       「支那の維新も已に萌芽……先づ我が新書を普及して彼の知見を啓き……」

        日本が維新後、外国書で「国民の脳力」が左右されたように清国に普及を計る

        吾館新書普及の日は「空文虚礼を剔去し新知実学を鼓吹するの時」

 

§4 岡本韋庵と善隣訳書館,開導社

  善隣訳書館関係資料と韋庵

        東洋開国商社→善隣義会(1)→善隣協会(2)→善隣訳書館(3)

            (1)「善隣義会五規」(韋庵文書:資料集〔三〕;1898.7台湾より帰京後の作?)

            (2)「善隣協会主旨」『清議報』2[1899.1] 【資料E】

            (3a)内藤湖南1899年秋の発言──吾妻と岡本翁らが「善隣訳書館」を創立

            (3b)吾妻兵治「善隣訳書館条議引」『亜東時報』21[1900.4]──【資料F】

            (3c)『株式会社 善隣訳書館』[1900?]──訳書館以外の人物として登場

  吾妻とは別の、韋庵による書籍刊行の「館」創立構想 (韋庵文書:資料集〔十一b)

        創業者:有井範平、大石秀実、丹羽忠道、岡本監輔、秋永蘭二郎、大野大衛、

      谷口俊四郎、椿時中、日下寛、植松彰、

        ──「均任著述教授」と言うが、岡本,有井以外は不明

        刊行予定書:『万国通典』『列国史鑑』『明治字典』『皇国文芸伝』『国士美談』等

                ──『列国史鑑』は或いは『万国史記』の改訂版か?

 ・韋庵による清国での書籍刊行──V訪華[1900.11.3-1901.7.26]

        『鉄鞭』上海 商務印書館代印、光緒二十七年四月

        『西学探源』上海 商務印書館代印、光緒二十七年四月

        『孝経頌義』上海 商務印書館代印、光緒二十七年五月

        『大日本中興先覚志』開導社、明治三十四年(されど封面には「日本岡本監輔著」)

 

                                                      狹間直樹(京都産業大学)

<レジュメ対応配付資料>

【資料A内藤湖南『燕山楚水』博文館、1900年、91-94(『内藤湖南全集』第2巻、

筑摩書房、年、60頁)

【資料B】三島中洲序:岡本監輔『万国通典』集義館、1884年。付:「万国通典凡例」

【資料C】三島中洲「善隣義会五規評語」(東方学資料叢刊第十冊『善隣協会・善隣

訳書館関係資料──徳島県立図書館蔵「岡本韋庵先生文書」所収』京都

大学人文科学研究所漢字情報研究センター、2002年、7-9,71-72頁)

【資料D】無署名〔松本正純,吾妻兵治等〕『株式会社 善隣訳書館』(同上、33-48)

【資料E】無署名〔岡本監輔等〕「善隣協会主旨」『清議報』2

【資料F】吾妻兵治「善隣訳書館条議引」『亜東時報』第21

<主催者準備資料>

   「岡本韋庵年譜」(『アジアへのまなざし岡本韋庵』阿波学会・岡本韋庵調査研究

委員会編刊、2004年、1-6頁)

<注>

@吾妻兵治訳『圀家学(国家学)』が平田東助・平塚定二郎訳『国家論』春陽堂、1889年の漢訳であり、その元本が、Bluntschuli, Deutsche Staatslehre fur Gebildete, 1874、であることは、巴斯蔕「中国近代国家観念遡源──関於伯倫知理“国家論”翻訳」『近代史研究』第100期を参照。 ・

  A中村義「三島中洲の対外認識──攘夷論・アジア主義・華夷秩序と関連して──」(戸川芳郎編『三島中洲の学芸とその生涯』雄山閣、1999年、523頁)