■ 日本思想史学会報告  
     
     
  本プログラムの一環として、2004年度中に、二松学舎大学所蔵の未整理資料のうち、三島中洲・三島雷堂・山田方谷・山田済斎関係の資料整理を行った。その過程で、山田方谷・山田済斎に関する興味深い資料を見出したので、2004年度日本思想史学会(2004/10/3031、於京都市 京都大学大学院文学研究科)において、報告を行った。演題・要旨は下記の通りである。

 

 

2004年度日本思想史学会・一般演題要旨

 

『英将秘訣』の著者に関する新資料

ニ松学舎大学  町 泉寿カ

幕末における「倫理意識の転換」(鹿野政直)をよく示す資料とされる『英将秘訣』なる著作がある。明治〜大正期には坂本龍馬がその著者に擬せられ(千頭清臣等)、近年では平田鐵胤・三輪田元綱ら平田派国学者の手に成るとも言われるが(平尾道雄・塩見薫)、平田派説も足利将軍木像梟首事件(文久3.2.22)の関係者検挙のさい三輪田元綱宅からの押収書中に本書があったという状況証拠に基くもので(広沢安任『鞅掌録』)、いまだ確証はない。押収経緯から本書が志士の間で秘密裏に回覧されたことが想定され、そのため伝存数も極めて稀で、伝本調査から著者を同定することは困難である。

一方、本書(題は『英雄秘訣録』)が『国民新聞』に坂本龍馬著として掲載された際(1891.11.11)、長清楼主人なる読者からの投書が『読売新聞』に寄せられ、本書は備中松山の儒者山田方谷(1805~77)の著である、龍馬著とする証拠を示せとの記事が載った(11.14付録)。

さらに方谷の養孫にあたる山田準(1867~1952)から、断じて本書は方谷の著ではない旨の弁明広告が出された(11.21付録)。しかし『読売』記事を見た山田準と同郷で友人の桜井熊太郎(1864~1911)から準宛の書簡によれば、実は準自身が方谷の自筆本を所持し、方谷の卓見を顕す著作として屡々人に示していたことを知る(11.15付)。明治二十年代の山田準の方谷観や彼自身の思想を考え、また本書が方谷の著作である可能性について考える契機としたい。