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第2回 最澄の歩んだ道を…  文学部国文学科 教授 小山 聡子

 2016年10月31日から1週間、中国浙江省杭州市にある浙江工商大学で、日本文化の集中授業を行なってきました。受講生は、日本語を学ぶ学部3年生で、まだ日本語を学びはじめてから2年しか経っていないにもかかわらず、流暢に日本語を喋り、さらには綺麗な文字を書いていました。浙江工商大学の日本語教育のレベルと学生の語学力には脱帽です!

 授業の内容は、仏教伝来から鎌倉時代までの宗教の歴史。私が研究しているモノノケの話も混ぜながら少々小難しい話をしてしまったのですが、分かる時にはニコニコうなずき、分からない時には首をかしげて「分からない」という顔を素直にしてくれたので、授業をしやすかったです。日本の宗教は、中国の宗教の影響を大きく受けています。これらの類似点と相違点について、学生との会話を通して発見することもあり、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

 授業をしてきただけではありません。昨年秋から約1年間、二松学舎の大学院に留学し、私の授業にも出席していた劉麗蓉さんと一緒に、休日を利用して、以前から訪れてみたかった天台山に行ってきました。天台山は、日本の天台宗の総本山比叡山延暦寺を開いた最澄(766~822)が学んだことでも知られています。天台僧の円珍(814~891)や成尋(1011~1081)、栄西(1141~1215)なども、はるばる日本から天台山を訪れています。山麓の国清寺は、随の時代に建立された寺院であり、静寂が心地よいおごそかな雰囲気。お堂からは、音楽のような美しい読経を聴くことができました。文化大革命によって破壊されたために再建されているとはいえ、最澄が学んだ場であることには変わりなく、訪れてみて感慨もひとしおでした。

 国清寺から山中を車で40分ほど行ったところに石梁(石橋)があります。この石梁は、自然のものでありその下を瀑布が大きな音を轟かせながら流れ落ちていました。

かつて円珍は、唐に渡航する以前、日本で天台山図をひらいては石梁の形勝を眺めていたようです。天台山といえば想起されるのは石梁だったのでしょう。その約200年後、成尋は、円珍のあとを追い、宿念を遂げて石梁を拝し、感動のあまりに涙を流しています。

成尋は、石梁について、『参天台五台山記』の中で、悟りを得た者でないと到底渡ることなどできない、と述べています。確かに石梁を上から見てみると、「橋」といえるような幅広さはなく、平らでもありません。足を滑らせたらたら滝つぼに真っ逆さまです。成尋によると、当時、橋の真ん中まで渡っただけで「石梁を渡った!」と主張する人が多かったようです。

でも、途中で引き返したくなる気持ちも良く分かります。机上で史料を読んでいるだけではいまいち理解できないことも、実際にその地に行ってみると腑に落ちることが多いです。とても楽しく、かつ学ぶことも非常に多かった天台山旅行でした。

授業が午前中のみだった日には、紹興酒で有名な紹興に、受講生の張啓航さんと呉騁昊さんに連れて行ってもらいました。紹興には、魯迅の故居や王羲之の蘭亭があります。また、紹興は、水路が町中を巡っており多くの橋が架かることでも有名。13世紀に創建された八字橋周辺は、まさに東洋のベネツィアといって良いところでした。「古い物はきらい」という張さんと呉さんは、感激している私を見て首をかしげていましたが(笑)。

 張さんと呉さんとは、帰りに火鍋を食べました。片方のスープは唐辛子で真っ赤!ものすごく辛かったですが、とてもおいしかったです。

 この調子で杭州での楽しかった思い出を書き続けると、「仕事に行ったんじゃなかったの!?」と言われてしまいそうなので、第二回の外国見聞録、このあたりでおしまいにさせていただきます(笑)。大変、実りの多い出張でした!  (小山 聡子)

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