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第15回 担当教員 林 謙太郎  専門 日本語学・日本語教育

日本芸能史(芸能・演劇研究④ A・B)

講義内容

 受験生が日本語学を志望する理由の一つとして、よく聞かれるのが「正しい日本語を身につけたい」というものがあります。しかし、この講義では外国人(日本語学習者)が誤用した日本語を俎上(ソジョウ)に載せ、それを分析することにより、一体「正しさ」とはどういう原理で成り立っているのかということを考察していきます。

講義からの豆知識

授業風景

 たとえば、「水が飲みたい」と「水を飲みたい」という文を考えてみましょう。どちらか一方が誤りでしょうか。いや、そんなことはありませんね。どちらも言えます。
 では、次のような場合はどうでしょう。「真相が聞きたい/真相を聞きたい」「真相が話したい/真相を話したい」―― この中では、「真相が話したい」だけがあまり言えそうにありませんね。それはなぜでしょう。大江三郎氏によれば、それは動詞の意味の違いに起因するといっています。「飲む」「聞く」は自分の方に取り込む動作なのに対し、「話す」は自分から放出・離脱する動作なのだと。つまりまとめると、取り込む動作を表わす動詞は「~ガタイ」も「~ヲタイ」も可能なのに対し、放出・離脱動作を表わす動詞は「~ガタイ」が言えないということです。このことは、一方で助詞の「が」と「を」の機能とも密接に関係していることがわかるのです。
 これにて一件落着!と思いきや、そうではない例も出てきます。例えば、「勇気が持ちたい/勇気を持ちたい」という場合はどうでしょう。「持つ」はどちらかというと、取り込む動作なのに、「勇気が持ちたい」とは言えそうにありませんね。別の原理がはたらいているのかもしれません。このように、考察は果てしなく続いていくのです。

私の授業へのこだわり

 受講生には講義内容を「おもしろい」と思ってくれることを望んでいます。というのも、私自身がそれを最も大切にしているからです。また、受講生から私が知らなかったことや新しい考えを教えてもらったりしたときなどには、本当にうれしくなります。
 何にインタレストを感ずるかは、まさに人それぞれであって、お互いに尊重すべきものです。授業においては、教員と学生同士間の、いわばトライアングルの、調和のとれた音色が出せたらと願っています。

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