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第12回 担当教員 松本 健太郎  専門 記号論、メディア論、映像論

表象メディア講義②(記号論、メディア論、映像論)

講義内容

 表象メディア講義②では、領域的には、記号論・メディア論・視覚文化論・ナラトロジー等の理論的枠組みを援用しながら、また題材的には、遠近法・写真・映画・テレビゲーム等の映像表象を取りあげながら、イメージをうつしだす四角形(油絵のキャンバス、写真の印画紙、映画のスクリーン、パソコンのモニター、スマートフォンのタッチパネル…)と、それをまなざす受容者の関係性について多角的に考察していくことになります。

講義からの豆知識

 たとえば、この講義で取りあげる「ゲーム」について考えてみましょう。昨今においてゲームは「テレビ」「パソコン」「ケータイ」、果ては「ATM」(大垣共立銀行では、預け入れや引き出しの手続き中、画面でゲームが始まるATMを導入して話題になったことがあります)の画面を含め、さまざまなメディウムや装置のなかに侵入し、人はそれをつうじて、生きていくうえで重要な何かを学んだり、現実のなかでは不可能な何かを体験したり、あるいは社会の誰かと交わったり結びついたりする、きわめて影響力の大きな媒体としての役割を演じています。それと同時に(たとえば映画『アバター』(2009)、『インセプション』(2010)、あるいは『GANTZ』(2011)等がその事例としてあげられるように)ゲーム的な想像力が他のメディウム、たとえば映画のなかにも浸みだしつつある現場に出くわすことも決して珍しいことではなくなったという実感もあります。いまやゲームは常に若い世代にとっての話題の中心、あるいはオンラインのなかで人々を連結する結節点として機能している、といって過言ではないでしょう。
 もはやゲームを単なる娯楽の一分野として片づけることはもはやできません。ゲームを題材とすることは、そこから派生的に「人間とメディアの今日的な関係」を考察したり、あるいは「記号論とメディア論の関係」を考察したり、さらには「サイバースペースにおける他者との関係、あるいは、そこで形成される共同性」の問題を考察したりするうえでも有効な視座を提示するものなのです。そして、その意味でゲームとは単なる娯楽の一形態というよりも、むしろ異質なものが相互に接触して絡み合う、たとえていうならば、いわば(現代のテクノロジー環境が生成する)「コンタクトゾーン」のような領域として、私たちにとっての議論の場を提供してくれるものだといえるでしょう。

私の授業へのこだわり

授業風景

 研究とはおそらく、世界を把握するための自分なりの「パースペクティヴ」perspectiveを獲得するための、試行錯誤の、しかしながら、快楽をともなう営為だと思っています。字義的には「見方」「展望」「遠近法」などを意味する「パースペクティヴ」という言葉ですが、まさに自分にとっての研究とは、インプットされた複数の理論的言説が心象空間のなかで相互に干渉しあい、ときに化学反応を起こしながら未知のパターンを描き、その帰結として、まさに新たなパースペクティヴが興奮(そこでは、おそらくランナーズハイならぬ、アカデミックハイとも呼びうるグル―ヴが幾分かかわってくる)とともに拓かれていく、さらにその一連の営為によって、世界とそれを眼差す私との関係性がドラスティックに変容していく、そんな眩暈をともなうような体験を基礎とするものだと私は理解しています。そして、そのような興奮のかけらを、授業でも継続的に提供できればと常々おもっています。

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