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第10回 担当教員 小山 聡子  専門 古代中世宗教史

仏教文化A・B(古代中世宗教史)

講義内容

 仏教文化Aでは、釈迦の誕生から平安時代末期までを通史的に扱います。仏教文化Bでは、中世の浄土真宗の信仰に関して、私の研究をもとに、歴史の中に位置づけて講義しています。前近代の文学や文化を理解するにあたり、仏教についての知識は欠かすことができません。この講義では、これらの研究をするための前提となる知識を身につけてもらいたいと思います。

講義からの豆知識

 浄土真宗の開祖とされる親鸞。これまで親鸞の教えというと、「易(い)行(ぎょう)」(誰にでも簡単にできる行)や「革新的」という言葉で説明されてきました。しかし、はたしてこれは正しいのでしょうか。従来の研究は、明治維新以来、近代化を推し進めてきた日本人が、西洋の宗教に匹敵するものを日本の歴史の中に見出そうとして進められてきました。親鸞の教えを「易行」「革新的」と説明してきた従来の研究は、必ずしも実証的なものではありません。
 この講義では、親鸞の師法然、法然の弟子、親鸞、親鸞の妻、子ども、孫、曾孫、玄孫の信仰を、歴史史料に基づいて論じていきます。それによって、親鸞の教えは、決して「易行」ではなく理解・実践するのは難しかったことや、「革新的」と言われるほどには「革新的」ではなく天台宗の信仰の延長線上に位置づけることができる点などを、分かりやすく説明します。

私の授業へのこだわり

授業風景

 高校では、基本的に教科書に沿って、答えがすでに明らかなもの(現在、明らかだとされているもの)を学びます。しかし、大学ではそうではありません。大学では、研究の方法論を学んだうえで、答えが分からない事柄について自ら調べることが求められます。まだ誰も知らない事象を発見することほど楽しいことはありません。学生には、学問をする楽しみを知ってもらいたいと思い、仏教文化Aでは基礎的な知識を、仏教文化Bでは最近の私の研究で明らかにした(と私が思っている)ことを講義しています。 たとえば親鸞は、自力ではなく他力(「他」とは阿弥陀仏のこと)によって極楽へ往生できるとしています。しかし実際には親鸞も、なかなか他力に徹することができず、現世利益のために呪術(自力行為)をしてしまった苦い経験があります。さらに晩年には「一代諸教の信よりも、弘(ぐ)願(がん)の信(しん)楽(ぎょう)なほかたし、難(なん)中(ちゅう)之(し)難(なん)とときたまひ、無(む)過(か)此(し)難(なん)とのへたまふ」(釈迦が一代で説いた教えよりも、『無(む)量(りょう)寿(じゅ)経(きょう)』にある他力の教えを疑いなく信じて喜ぶことのほうが難しい。『無量寿経』には、それは難中の難、これ以上の難はないと説かれている)という歌を詠じるなど、他力に徹することの難解さも実感することになりました。つまり、親鸞の教えは決して「易行」ではないのです。
 もちろん私の研究で明らかにした(と私が思っている)ことは、今後、他の研究者の研究によって塗り変えられ、さらに新たなことが明らかとなる可能性は大いにあります。研究とはそういうものです。従来当たり前とされてきたことには、意外とそうではないことも 多くあるのです。
 この授業では、浄土真宗に関する多くの史料をプリントで配布しつつ、論証の過程を示すようにしています。学生には、根拠を示して論証することを学んでもらいたいと思うからです。いかに説得力のある根拠を示して他者を納得させるか。これは、社会に出た時にも必ず役立つと思います。

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