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第1回 担当教員 山口 直孝  専門 近代日本語文芸

第1回 日本文学研究入門①・講読入門①

国文学科1年生の必須科目

 今回ご紹介するのは、1年次配当の必修科目、日本文学研究入門①・講読入門①です。二松学舎大学文学部国文学科に入学した学生が必ず受講しなければならない科目で、3クラスに分かれています。私が担当しているクラスを例に、大学という場で何を学ぶかをお話ししましょう。
日本文学研究入門①・講読入門①は、2つの科目で、それぞれ15回行われます(セメスター制という2学期制を大学は用いており、15週で一つの区切りとなります)。日本文学研究入門①は、近代文学を研究する上で基本的な手続きを身につけること、講読①は、近代を代表する小説家であり、二松学舎の出身者でもある夏目漱石の生涯と文学について具体的に知ることを狙いとするものです。

作品を「研究」するための準備

 高校までの文章読解は、教科書に掲載されている作品の語句を調べ、内容をつかみ、主題を理解するというものだったでしょう。与えられたものの中から解答を見つけるのは、「勉強」です。それに対して、大学ではあらかじめ答が用意されていない「研究」を行います。個人が作ったものでも、作品にはその人の考えや感じ方だけではなく、特定の時代・地域・階級・性・文化などの反映があります。どのような観点からとらえるのか、また、何に注目するのかによって、作品は姿を変えて現れることになります。例えば、谷崎潤一郎の『途上』という短編小説があります。安藤という私立探偵が湯河という会社員の前妻殺しを暴く内容のもので、日本のミステリーの初期の代表作です。ストーリーの面白さはもちろんのこと、銀座から日本橋へと移動していく都市小説としても、二人の男がしのぎを削るライバル小説としても、楽しめます。「研究」とは、作品の持つ多様な特徴をとらえていく作業と言えますが、それは勝手に解釈してよいということではありません。他人と共有できるよう、「研究」における分析は、客観的でなければならず、そのために日本文学研究入門①では、文学理論を学びます。

理論で小説を分析する面白さ

 私の講義では、先に挙げた『途上』のほか、泉鏡花『外科室』・志賀直哉『范の犯罪』・森鷗外『高瀬舟』・佐藤春夫『オカアサン』を取り上げています。これらは、『文豪の探偵小説』(集英社文庫)に収められており、ミステリーの要素が強い作品です。謎によって読者を引っ張ってゆく小説のしかけをとらえるのに有効なのが、ナラトロジー(語り論)という理論です。ナラトロジーは、作品を徹底して形式面からとらえていく立場で、時間や視点の操作を分析します。先説法、内的固定焦点化、等質物語世界など、用語は固いですが、この理論を身につけると、小説の記述の部分ごとの質の違いが明瞭になります。最初はとまどっていた受講生も回を追うにつれてナラトロジーへの理解を深め、前期のレポートでは、こちらも驚くような精密な考察を展開する学生もいます。ちなみに、ナラトロジーは、古典や海外の作品にも用いることができます。講義ではほかに、精神分析、フェミニズム、マルクス主義を応用した批評方法についても説明していきます。これらは、作り手が意識することができなかった部分に批判的に切り込んでいくものです。作品の魅力と同時に限界や問題点も明らかにしていくことが「研究」では重要であり、従来気づかれなかった小説の急所を発見することはとても面白く、スリリングな体験です。

手本を持たなかった漱石の歩み

 後期の講読①では、先に説明したように、夏目漱石の歩みを追います。漱石がどのような家に生まれ、いかに育てられたか、何を学び、なぜ文学者となったかを見ていくのはもちろんですが、同時に漱石が生きた時代の特徴をとらえることも重視しています。みなさんもご存じのように、西洋からの働きかけに促される形で、日本は急激に近代化していきました。物だけではなく、制度や考え方も西洋的に改められていきます。漱石が成長したのは、何もかもが新しく、未知である時代でした。大学に進学すること、英文学を学ぶこと、官費で留学すること、いずれもお手本となる前例はなく、漱石は手探りで自分の道を切り拓いていかなければならなかったのです。作家が小説を書いて収入を得る、というのは、今でこそ当たり前ですが、百年前は成功例がありませんでした。「作家」は安定した職業ではなく、「小説」の社会的位置づけもはっきりしていなかったのです。すべてが流動的である状況で漱石が創作を行っていたことを知る時、作品の見え方は相当変わってくることになります。講義では、彼が定められた基準のない状態で考え、筆を進めていたことに、注意を向けてもらうように話をしています。「恋愛」も「青春」も自らは経験しなかった漱石が、恋愛小説や青春小説を書いているところには、日本の近代の特徴(漱石は、「外発的な開化」と呼んでいます)がはっきりと現われていると言えるでしょう。講義では、受講生に考えてもらうための材料をできるだけ提供することを心がけています。

手本を持たなかった漱石の歩み

作品を見て、聞いて、読む

 現在は多様なメディアの普及で、大学の教室でさまざまな音声資料や視覚資料を利用することが容易になっています。作品が持つ固有の姿を詳しく記述するために、何度も本文を読むことは基本作業であり、講義でも繰り返し小説に立ち戻ることを心がけています。同時に、言語芸術としての特性をよりはっきりとさせるために、他のメディアに翻訳されたものも活用しています。例えば、『范の犯罪』のテレビドラマ化されたものを見たり、『坊っちゃん』の朗読劇を聞いたり、するなどです。講義の途中でちょっと一休み、という意味もありますが、映像に、声になることで見落としていた要素に気付かされることがあり、また、言葉だけで組み立てられている小説の、空白が多いゆえの可能性を感じ取るきっかけにもなります。見て、聞いて、読むという複数の体験によって、作品がより立体的にとらえられるようになってもらえれば、大変うれしいです。
 クラス制の授業ゆえ、国文学科に入っても、私の担当クラスに当たるとは限りませんが、ほかのクラスでもそれぞれ工夫を凝らした講義が行われていますので、どうぞお楽しみに。なお、テキストはクラス共通で、研究入門①は廣野由美子『批評理論入門――『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書)、講読①は、『新潮日本文学アルバム 夏目漱石』(新潮社)を用いています。

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