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第6回 復古大和絵 山崎正伸(本学教授)個人蔵

 テレビ東京に「開運なんでも鑑定団」(火曜20:58・日曜0:54再放送)という番組があります。金額という数字で鑑定結果が出るので、解りやすく、多くの視聴者を惹きつけています。私も、見られる時は見ている番組です。国文学科のホームページで、二度目のお宝紹介ということになりました。私にとってのお宝は、名古屋圏の画家の大和絵でしょうか。もちん、鑑定は受けていませんから、偽物で、1本1000円という金額が出るかもしれません。それでも、これらを見ながら空想するところに、楽しみを感じていますから、とりあえず今の私の「お宝」です。

 10年ほど前に、『大和物語』の99段と100段についての論文を書きました。暫くして、インターネットオークションで、えっ、宇多法皇の大堰川御幸の絵、と驚きました。見間違えです。藤原道長(966~1027)の大堰河遊覧図、『大鏡』や『古今著聞集』で高校の教科書にも取り上げられている藤原公任(966~1041)「三船の才」の絵だった、と落札しました。初めて買った掛け軸でしたが、大きすぎて、兎小屋の我が家には掛けられませんでした。その絵の萩廼舎(はぎのや)山本光種(みつたね)という絵師が気になりました。しかし、岐阜の人としかわかりません。その後いくつかの光種の絵を手に入れました。その一枚に、阪正臣(ばんまさおみ 1855~1931)の大正6年(1917)の歌会始のお題「遠山雪」に子日の小松引きを合わせた作品があります。それで、江戸末期から大正に掛けての絵師と想像しています。

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 さて、そんな、光種の大井川遊覧図ですが、尾張出身の田中訥言(たなかとつげん 1767~1823)に、纖細な徳川美術館蔵の「古今著聞集図屏風」(1813)があります。そして、訥言の弟子の浮田一恵(うきたいつけい 1795~1859)には、雄大な泉涌寺(せんにゆうじ)蔵の「大堰川遊覧図屏風」(1854)があります。ともに大和絵の名品です。その後、訥言の三つ船由来記の粉本を手に入れました。そして、一恵の場合も、孝明天皇に依頼された屏風絵はよほど嬉しかったのでしょう。『復古大和絵派訥言・一蕙・為恭集』所収の菊池契月(1879~1955)旧蔵書?に「禁中ヘ罷出候 新規格別御襃美併に御襃詞奉頂戴冥加至極難有候」とあって、私の「大堰川遊覧図屏風」を奉っての思いを詠じた一幅と合わせると、その思いの大きさが窺われます。改めて、両者を見ると、それは『古今著聞集』の「白河院大井川行幸の時、民部卿経信(つねのぶ)三船に乗る事」の図で、遅参した源経信(1016~1097)が「やや、いづれの舟にてもよせ候へ」であったと知られました。もちん、光種のも同様です。大和絵復興を目指した訥言、その弟子の一恵、訥言に私淑した岡田(冷泉)為恭(ためちか)を、今、楽しんでいます。

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 訥言の高台図、『新古今和歌集』の仁徳天皇御製「たかき屋にのぼりて見れば煙立つ民の竃はにぎはひにけり」と想像したり、訥言夕顔、一恵夕顔を並べて、違い搜し。

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 光種の遠山雪に並べて、為恭の子の日の小松引き、そして、為恭の後徳大寺左大臣「ほととぎすなきつるかたを」(『千載和歌集』161・『百人一首』81)の歌絵。落款は「式部少丞為恭書之(菅)」とあり、「書之」とあるのは、東京国立博物館『冷泉為恭』(昭和54・3)の図版78「葦手歌」(『千載和歌集』957馬内侍)に「為たか書之」とあるのみ。但し、この解説は誤り。『詞花和歌集』254和泉式部で、初句は「竹(絵)の葉に」が正しい。

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 こうして、点と点を繋ぐ面白さこそ、今の楽しみ。ここに並べた8点、「開運なんでも鑑定団」判定は、すべて偽物、全部で1000円という鑑定が下されるかも知れませんが、私を楽しませてくれる、今の「お宝」です。(山崎 正伸)

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