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第6回 古代への情熱? 文学部中国文学科 戸内 俊介

 子供のころより、古代遺跡に憧れていました。エジプトのピラミッド、中国の万里の長城、アスカの地上絵、インカのマチュピチュ、アンコールワットetc…。まあ、幼心にロマンを感じていたのでしょうね。ですので、将来は考古学でも勉強したいなぁと思っていました。

 しかし長じてより、幼い時の衝動も磨滅してしまい、流されるまま大学では経済学部に所属することに。経済学は経済学で面白いところもあったのですが、大学で勉強しているうちに、再度「古代への情熱?」に突き動かされ、転部を決意しました。最初は古代中国史に興味を覚えていたため、「東洋史に!」と思っていたら、空きがない。どうしようかと逡巡していたところ、中国文学科を勧められました。

 「中国文学」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、魯迅などの文学作品や『三国志演義』などの古典小説の研究。今思えば貧弱な発想ですね。どちらもあまり食指が動きませんでした(『三国志』は好きなのですが、研究としては具体的な想像ができなかったもので)。しかし良く聞いてみると、中国文学科では幅広い研究ができることが判明。古きは甲骨文、新しきは現代中国を対象としても良いという。時代で言えば、紀元前11世紀から紀元21世紀まで。その間3000年以上!

 結局、中国文学科に転部しました。卒論では殷王朝の「甲骨文」をテーマに。子供のころの夢が少し叶った瞬間でした。甲骨文には現存する最古の漢字が残されています。そんな文字を読んでいる時は、大げさですが、あたかもロゼッタストーンを解読しているかのような感覚を覚えました。とは言え、甲骨文に書かれているのは、「雨が降る/降らない」、「祭祀を行う/行わない」、「災いがある/ない」、「敵国に勝つ/勝たない」など占いに関するものばかり。その内容はお世辞にも面白いものとは言えません。

図:楚簡のレプリカ

 甲骨文を取っ掛かりに、中国には多くの古文字資料があることを知りました。殷の次の西周時代には、青銅器に文字を鋳込んだ「金文」が、さらに時代が下った戦国時代には竹簡に書かれた文字資料も出土しています。特に私が研究を始めた前後は、折しも戦国時代の楚の領域から出土した竹簡、いわゆる「楚簡」(図を参照)の発見が相次ぎ、研究が大いに盛り上がっていた時でした。その流れに乗って研究をできたのは、大変幸いだったと、今でも思います。

 現在私は、こういった出土資料を用いて、統一秦以前の時代の中国語の文法を研究しています。出土文字資料に「文法」、というと奇妙に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、言語が表記されている以上、どんな資料であってもそこには確実に、言語を支配しているルール―文法―があります。そしてその「文法」は、必ずしも古今一貫しているものではありません。時代とともに変遷していくものです。

 古代の人々がどのような言語を話し、どのように言語を表記していたのか、今はこんなことを想像して、研究をしています。(二松学舎大学中国文学科 戸内 俊介)

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