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第2回 書は心の窓 文学部中国文学部 髙澤 浩一

 「美しくなりたい」と女性なら誰しも願うでしょう。
 「カッコ良くなりたい」と男性なら誰しも思うでしょう。
 ところで、それは外見的なことであって、人としての魅力の本質では無いことに皆さんはお気付きでしょう。やはり人は心の美しさが、何にも勝るではないでしょうか。

 "あこがれ"という言葉があります。皆さんは何にあこがれますか。

 現実的に考えるなら、お金持ちになること、又は素敵な人と付き合えること、でしょうか。

 でも、私がお薦めするのは、「美しい文字が書ける」ことです。それも筆で美しく書く「書道」です。この書道の世界は大変に素晴らしいものです。
 「書は心の鏡」といわれます。その人が書いた文字を見ると、あたかもその人の感情や考え方を透視しているかのように、心の中をハッキリと表現してしまうのです。ですから、自分自身のことが良く理解できない人は、筆で字を書くと、心の奥底が見えてきますから、良い点は伸ばし、悪い点は直そうとする心構えができます。
 よって、書を学ぶことは、美しい文字を書くのと同時に、美しい心の持ち主になれるのだと思うのです。

虞世南「孔子廟堂碑」(部分)

 さて、中国の唐時代に虞世南(ぐせいなん)という書の名家がいました。彼は名門の次男として生まれましたが、養子に出されます。はじめ彼はその身上を嘆き、人との交わりを避け無口になってしまいます。ところが人間万事、塞翁が馬と申します。世南の実家では家を継いだ長男が、時の政治争いに巻き込まれ、とうとう殺されてしまい、養子に出ていた世南が一家の長となります。するとどんどん出世して、太宗皇帝の側近にまで昇りつめます。
 ところで世南は、人との交わりを避けていた時代に、書を学び続けていました。世の中のしがらみとも無縁だったため、その性情は純粋で、彼の書く書は実にすがすがしい文字でした。
 太宗皇帝の側近となった時に、太宗が政治上の判断に困った折には、世南の正しい判断を求めて、彼の諫言(かんげん)を聞いたといいます。そんな時、太宗は、「世南の心は、あたかも彼の書く文字の如く美しい」と激賞したといわれています。 (文学部中国文学科 髙澤 浩一)

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