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著書紹介

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ロラン・バルトにとって写真とは何か

  • 著者:松本 健太郎(二松学舎大学文学部)
  • 出版社:ナカニシヤ出版
  • A5版 162頁 3800円+税
  • ISBN:978-4-7795-0683-3
  • 発売日:2014年1月発行

著書の内容

 ロラン・バルトは20世紀後半のフランスを代表する記号学者として名を馳せた人物です。彼は文学作品のみならず、絵画・映画・ファッション等さまざまな作品を分析しましたが、なかでも写真をとくに重要な題材として意識していたようです。バルトは1980年に他界する直前、美しい文体でつづられた『明るい部屋』という写真論を執筆しています。今回上梓した拙著、『ロラン・バルトにとって写真とは何か』では、その晩年の写真論の意義を複数の視点から明らかにしようとしています。
 写真をひとつの表現形式として、あるいは、ひとつのメディウムとして捉えたときに、どのような特徴をそなえていると考えることができるでしょうか。まず写真による表現は、言語による表現とは明らかに異なります。たとえばレーモン・クノーが『文体練習』と題された著作のなかで試みたように、言語の場合ひとつの状況を99通りの文体で書き分けることだってできます。しかしこれとは対照的に、写真の場合には、その表現はそれが撮影された状況と分かちがたく結びついています。バルトは写真の本質を「それは=かつて=あった」という言辞でもって要約しましたが、写真に表象された被写体の姿とは、撮影の瞬間、カメラのレンズの前に実在したものでなくてはならないのです(つまり、その映像とは被写体の「過去の現実」の客観的な証明だといえるわけです)。そしてそのような観点から、バルトは「写真はそれを包んでいる透明な軽い外皮にすぎない」と語りました。たしかにわれわれは写真を眺めるとき、写真そのもの(の透明な被膜)をみるというよりは、写真にうつりこんだ人物や事物のカタチをみているのです。
 そのような写真観は、じつはバルトが『明るい部屋』を執筆した段階でとくに目新しいというわけではありませんでした(例えばアンドレ・バザンが1945年の論文「写真映像の存在論」のなかで提示している写真観は、バルトのそれと多くの認識を共有しながらも、それ以前に著されたものとして重要です)。では、この写真論の意義はどこにあるといえるのでしょうか。私見では、それはバルトによる写真というメディウムに関する思惟そのものにあるのではなく、そのメディウムに仮託して演出されたバルト思想の最終到達点にあると考えられるのです。
 『明るい部屋』という謎めいた著作は、写真のレクチュールを題材としながらも、言語活動の終極を語り、身体の情動的次元を語り、愛する人と自らの死をも語る複雑で重層的なテクストです。したがってそれを、映像論という狭隘な領野へと還元することは到底できない、と私は考えています。むしろ『明るい部屋』の意義は、バルトの思想全体に伏在する多元的な視座から内在的に分析される必要があり、拙著ではそれを4つの章――「第一章 バルトの映像論」「第二章 バルトの視覚関係論」「第三章 写真によって演出される『バルト』:その消失点への旅」「第四章 他者の眼差しへの遡行:『明るい部屋』における視覚モデル」――を経由することにより明らかにしようとしています。興味を持ってくださる方は、書店等で手にとっていただけると嬉しいです。

学生の皆さんへ

 本書の出発点になったのは、2002年に提出した同名の修士論文です。私の感覚では、論文とは、ある時点における書き手の思考の残骸――あるいは、自らの成長の過程で脱ぎすてた「抜け殻」のようなもの――という気がしているのですが、十数年を経て、その抜け殻と向き合い、その抜け殻を再編集していくという作業は、個人的にはとても面白いものでした(ここ十数年で、書き手である私自身の興味関心の焦点、語学力や文体など、さまざまな要素が変化しています)。私の場合には、後にも先にも、この修士論文ほどに自らのすべてを注力して「本気で」とりくんだプロジェクトはありえないとも思われるわけですが、学生の皆さんにも在学中に、自らを成長させる研究テーマと出会い、また十数年後に、振り返って読み返したときに、自らの成長の軌跡を実感できるような卒業研究を仕上げていただきたいと思っています。

(松本 健太郎)
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