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中国文化大学日本語学科3年江さんとの道中記   付 第1回 台日大学学長フォーラム参加顛末記 副学長 磯 水絵

 5月の連休が明けた11日午前10時15分、強風の中、たいした遅れもなく飛行機は一路台北に旅立った。目的地は台南の国立成功大学であったが、そこには台北から新幹線で行くことにして、まずは通訳兼ガイドとして同行する中国文化大学の江昱瑩さんと落ち合うのがこの日の主たるミッションであった。因みに、彼女は交換留学生として昨年1年間を本学に学んだ学生で、昨年は東京都葛飾区金町の寮に生活していた。現在は台北の中国文化大学日本語学科の3年生である。

 さて、今回の訪台の目的は、「第1回 台日大学学長フォーラム」への出席であるが、直前に、所謂、ツアー形式ではなく、現地集合、現地解散と判明し、外国旅行に不慣れな筆者は、大いにうろたえて、国際交流センターに助けを求めたところ、江さんを同行者として紹介してくれた。そこで、以来、交流センターの指示を仰ぎつつ、彼女とEメール交換をしつつ、台北からの新幹線移動を初めとする4泊5日の台湾旅行をアレンジしてもらうこととなり、江さんの指導教授のはからいで、5日間を彼女と共に行動することとなった。以下は、その顛末記であるが、彼女のアクティブ・ラーニングの好機として授業欠席を許可してくれた文化大学の姿勢には感服した。

 筆者は国文学科にあって、長く国内にしか興味を持っていなかった。しかし、昨年度末に本学の北京大学との交流協定を利用して北京に伺ったところ、現地の北京国立博物館において、研究材料となる中国古典音楽関係の資料を多く見出すことができたのみならず、それを記録に収めることができた、それに味を占めて、今回もそうした余得を期待していた。台南の奇美博物館、台北の故宮博物院がそのターゲットであったわけである。因みに学長フォーラムの第3日にその奇美博物館見学が最後の段階で盛り込まれた。

 第1日、現地時間13時前に無事到着し、江さんの出迎えを受ける。彼女が地下鉄の日本でいえばPASMOのようなカードをすでに用意してくれていて、台北移動は非常にスムーズであった。台南で必要のない荷物は先に台北の宿泊先に預け、15時には新幹線で台南に向かった。車窓に映る風景は、自然も水田も日本と変わらない印象をもった。17時過ぎに新幹線の台南駅に降り立つ。そこは近未来的な様相で素晴らしい印象であったが、実は台南郊外にあって、新大阪駅のように新台南駅と称するのがふさわしく、市内からは遠く離れていた。そこで我々はタクシー移動ということになったが、後で聞くと、25分後には市内台南駅への電車が動いたとか。江さんのような現地の人々は、そうした電車やバスの運行時間は、はなから信用していないようで、初めから電車移動は想定していなかったようである。お蔭で早くにホテルに到着することができた。さて、江さんは翌日8時を約して、近くのビジネスホテルに向かった。18時からのフォーラムのウエルカムパーティーは、日本側からの出席者(国公立大学から80名、私立大学から45名、国立・私立大学協会関係者6名)がほとんどで、台湾側からは主催大学関係者と次の日のスピーカーのみということであったが、学生の弦楽四重奏団が2組登場し、美味しい料理と相まって、座を大いに盛り上げてくれた。また、日本側出席者の中に本学卒業生で筆者の徒然草の演習を受講した藪敏裕氏が岩手大学グローバル教育センター長として存在したことは、その場に知る人の少ない筆者を勇気づけてくれ、且つは旧交をあたためることができた。

 第2日、朝食後、江さんの迎えの前にホテル周辺を散歩した。古い台南駅を跡にすると、そこは成功大学城と称する大学地域となり、ホテルの裏手に廻ると見慣れたファミリーマートの看板、コインランドリー、原付バイクの一団等が認められたが、歩道と車道の区別があまりなく、通学者以外の歩行者は筆者だけであった。さて、日本側スタッフに江さんをフォーラム会場に帯同することを許可してもらい、2人で成功大学に、用意されたバスで向かう。会場は、「緑色魔法学校」と銘打つミュージアムで、中には古代船やマンモスの骨格標本も置かれていた。その3階のカンファレンスホールがフォーラムのメイン会場であったが、テーブルも古代船の形で愉快であった。午前中には、まず、記念撮影、続いて「Globalization and the Challenges Confronting Universities in Taiwan and Japan」という統一テーマのもとに、日本・台湾両国大学から5人のスピーカーが登壇、グローバル化社会において大学が抱える諸課題について、「大学の戦略」「教育的視点」「研究的視点」の3つのセッションを設けて、各大学からの事例紹介及びパネルディスカッションが行われ、参加者も含めて活発な議論が行われた。今後、本フォーラムの開催を契機に、日本と台湾の大学間の交流が更に活発になることが期待される。

フォーラム会場の様子

 ランチ休憩に供された昼食は、まさに日本のお弁当そのもので、豆腐の味噌汁付きというのに驚かされた。台湾への日本の影響力を改めて考えさせられたことである。午後のセッションが長引き、晩餐会は遅れて開始されたが、児童のパフォーマンスも飛び出し、別れの席を盛り上げてくれた。

 第3日はキャンパスツアーということであったが、理工系の大学見学ということで当初から不参加を表明し、台南の市内と奇美博物館の見学にあてた。気温30度の中でどれ程のところが見学できるかは心許なかったが、江さんの活躍で、地震の被害に遭った台南孔子廟をはじめとして、日本に関する展示も多く認められる国立台湾文学館、市定古蹟「擇賢堂」、屋上に稲荷神社を奉齋する林デパート、郊外安平区の「億載金城」「林黙娘公園」「安平樹屋」、台湾城残蹟である「安平古堡」等を経巡り、市内に戻って「寧南門」を見学し、奇美博物館に向かった。同行の江さん曰く、筆者は午前中を有効に使うので2日分の見学が可能になるとのことであったが、いずれの見学地においても、美しい南国の花に癒やされ、所謂、繁体字の看板、日本語説明文に日本にいるような錯覚を覚えた。

国立台湾文学館

南国の花

 2015年にオープンした奇美博物館新館は広大な台南都会公園内にあって、ギリシャ建築風な博物館の前庭はすばらしいが、午前中の見学に疲れた筆者にはそのアプローチが少々長く感じられた。そこで、活躍してくれたのが江さんで、疲れの見える筆者の様子に、現地の高齢者しか乗せない移送車に乗れるよう交渉し、見事に往復の足を確保してくれた。学生とは思えない見事な交渉ぶりに恐れ入った。さて、完全予約制で、見学者の人数を調節している同博物館は、見学しやすかったが、その西洋美術、楽器、兵器、動物標本など、多様なコレクションはどれも悪くはなかったが、その外観同様、西洋の文物に傾いた展示物中に筆者の目指す物は少なく、落胆したのも事実である。改めて歴史の新しさを思った。 帰りは、初日と同じく、再び新幹線で台北に移動ということになったが、午後7時過ぎの移動に、内心遅いなという気がしないでもなかった。しかし、翌日の夜市の見学を通して、彼の国が眠らない土地柄であることを理解し、疑問は氷解した。

 第4日、この日は本学と交換留学制度を結ぶ中国文化大学の李天任校長(日本でいう学長に相当)に表敬訪問の予定であったが、江さんの助言で、少々遠い山の上にあるという文化大学を避けて市内の喫茶新饌で、李校長、日本語文学系(学科)の方献洲主任、本学卒業生で、同じく日本語文学系で教鞭を執る齋藤正志副教授(准教授)の3人にお目にかかった。記念品交換後、歓談の時をもったが、江さんが珍しく緊張しているのが微笑ましかった。さて、多忙な校長の中座後は、江さんも普段に戻り、我々は台湾来訪後、初めての小籠包に舌鼓を打ったことである。表敬訪問に山上を避けたについては、江さんのアレンジして下さった午後のメニューが目白押しであったからで、午後には国立故宮博物院の見学、筆者の研究領域に関わる京劇鑑賞、江さんお勧めの夜市観光が待っていた。故宮博物院においては、有名な白菜も豚の肉塊も他出中でなく、楽器も磬と笙くらいしか認められなかったが、日本語の音声ガイドのお蔭で、絵画、磁器等を楽しんだ。また、京劇においては獅子舞が登場し、日本の民俗芸能の獅子との比較をすることができた。その点においては北京の時よりも収穫があった。午後8時の終了後、士林の夜市に向かう。いや、その賑わいには驚いたが、江さんの見てほしいという思いと、使命感がなければ、筆者もこの時間まで付き合おうという気にはなれなかったと思うが、カルチャーの違いを感じさせられた。

表敬訪問

 第5日、最終日は8時集合で龍山寺に行き声明(しょうみょう、信者のお経の合唱)を聴くことができた。筆者は集合前にホテル周辺を巡り、康楽公園、キリスト教会等を見学していたが、龍山寺で声明を聴けたことは収穫であった。その後、小籠包の朝食、氷菓を楽しみ、最後の目的地中正紀念堂に行って、衛兵の交替シーンを見学、観光の真似事をして空港に送ってもらった。この旅行の目的は、学長フォーラム出席にあったが、台湾の学生との5日間は刺激的で、今後の本学学生との接し方を考える上で非常に参考になったことである。やはり「もっと積極的であれ」と思ったことである。

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